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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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36.四王の成立

 〈骨の湿原〉という場所は東西に流れるゴルダー河が蛇行する南側にあって、夏の間はその名の通りの湿原だが、冬に向けて水は減り、やがて雪の下で凍りつく。北方世界のほぼ中央にあるため、地方をまたぐ大きな戦いにおいては古くから戦場として選ばれてきた。三歩歩けば人骨が見つかる、と言われているほどだ。そのため〈骨の湿原〉にまつわる幽霊譚は数多い。死んだはずの友やら仇敵やら兄弟やらが姿を現した、という類の話である。


 エイリークは幽霊など信じていないが、今この場を遠くから眺める者がいたなら、そんな話を思い出すかもしれない。白夜でも真夜中のように暗い曇り空の下、湿った風にはためく白っぽい何かと、その周囲にぽつりぽつりと浮かぶ小さな灯りを目撃したならば。


 実際のところ、その灯りはこの場にいる二〇人ほどの人間たちが持つ松明だった。白く波打つものは幕で、夏の湿原に残された数少ない乾いた土地の上に立てられた四本の柱に張られたものだ。幕にはそれぞれ切れ込みがあるので、四方どこからでも出入りできる。内部には簡易な組み立て机が一つだけあって椅子は無く、八人の人間が四方に二人ずつ立っていた。机の前に立つのはいずれも北方で王を名乗る四人の男たちだ。この会談の発起人であるアルダー地方の王エドヴァルドをはじめとして、スパイク谷の王アスガル、唯一杖を突いて満身創痍というふうなアード地方の王ヨルゲン、そしてスケイルズ諸島の王エイリーク。四人の王はそれぞれ一人の供を連れていて、エイリークはハラルドを従えていた。それ以外は幕の外で待つ取り決めだ。北方世界で王を名乗る四人がわずかな供連れでこんな場所に集まっているなど、一体誰が想像できよう。ドラゴンでさえ計り知れまい。


「手短に済ませよう」と、エドヴァルドが本題に入った。「ここに来た、ということは俺の提案に乗ったと解釈してよいのだな?」


 エドヴァルドがぐるりと他の王を見回し、王たちは沈黙によって是とした。


「では、これに血の署名を」


 組み立て机の上に広げられた羊皮紙には大きな円が描かれ、その内側に沿って文言が刻まれている。模様としてみれば、中心に向かってぐるぐると文字が渦を巻いているように見えた。北方における伝統的な様式だが、今日では少々古臭い。エドヴァルドは手のひらの一部をナイフで切り、血を垂らしてから先の尖ったペンで円の外側に署名した。他の王たちも続けて一人ずつ同様にする。四人全員が署名を終えると、エドヴァルドは血の署名を崩さぬよう丁寧に羊皮紙を持ち上げて後ろに控える男へ手渡した。


「良かろう。これを持って後にファランティア王国へと赴き、テイアラン王の前で正式なものとする。だが、俺のところは今その余裕がない。一、二年待ってほしい」


 ここで初めてエイリークは口を開いた。「構わぬが、エドヴァルド王の都合ばかり押し付けられては困る。今回の件、発起人はそなただが、だからといって盟主のように振舞われるのは面白くない」


 エドヴァルドはにやりとして、胸に拳を置いて会釈した。「もちろん、四王に序列はない。時期については相談をさせて頂きたいということだ。この中では俺が最も若輩ゆえ、お伺いを立てて回り、調整事をするのは俺の務めと思っている」


(小賢しい物言いをする)


 エイリークがエドヴァルドの名を知ったのは彼が王位を簒奪してからで、実際に対面するのは今日が初めてだった。厚い胸板と広い肩を誇らしげに張り、熊の毛皮で作ったマントを肩に掛け、赤毛に金の王冠を頂いている。太い眉に力強い目、頑丈そうな顎。なるほど佇まいは北方の王らしい。しかし武力だけが物をいった群雄割拠の時代ならいざ知らず、現代の北方で王位を奪えたということは根回しが上手いということに他ならない。


 続いて満身創痍の――とても王とは思えない有様だ――ヨルゲンが無事なほうの左手を上げた。「さっそくだが、一つ提案がある」


 どうぞ、というふうにエドヴァルドが身振りで答える。


「我が国土において謀反があった」


(さっそく〝我が国土〟の〝謀反〟と来たか)


 エイリークはヨルゲンの顔を見たくないので目を逸らしたまま、心の中で唾を吐き捨てた。器の小さい男はすぐに大げさな言葉を使いたがる。


「ソールヴ、そして我が従兄ブルンドが、息子エリアスの偽物を担ぎ上げて王位簒奪を狙ったのだ」


「偽物だと?」エイリークは思わず反応してしまった。包帯に覆われた顔の左側をこちらに向けていたので、直接目を合わせずに済んだが。


 ヨルゲンも残った右目をわざわざ向けたりせず、正面を向いたまま答える。「偽物だ。本物のエリアスならここにいる。挨拶しろ、息子よ」


 ヨルゲンに促されて、その後ろに控えていた男が前に出て来た。線の細い印象を受けるヨルゲンとは似ても似つかず、丸々と肥えており、胴回りは玉のようである。ヨルゲンは尖った鼻をしているが、本物のエリアスだというその男の鼻は低く上向きで、顔立ちは良くない。似ている所といえば目つきの悪さと栗色の髪くらいだ。


「アードリグの主にしてアード地方の王ヨルゲンの息子、エリアスと申します。皆さま、以後お見知りおきを」


 こいつのほうが偽物だ、という言葉を飲み込んでエイリークは拳を握りしめた。アウラが全てを捨てて選んだ男が偽物扱いされたのには我慢ならなかったが、この場は冷静でいなければならない。それに、エリアスの姿をよく知る者が少ないのは事実だった。スケイルズ諸島に戻って来た戦士たちからもエリアスの容姿については「ずんぐり太って猪のような男だった」という報告と、「細身ですらりとした女のような顔立ちの男だった」とに分かれている。


 彼の挨拶に反応したのはエドヴァルドだけだった。「初めてお会いするな、エリアス王子。どうぞよろしく。ところでヨルゲン王よ、その謀反の後始末に協力して欲しいという話なら難しい。我が国土もいまだ安定しているとは言い難く――」


 ヨルゲンは手を振って話を遮った。「ソールヴとブルンドの後始末については自分でやる。提案というのはこれに関係する話で……」


 そこからはヨルゲンとエドヴァルドの話し合いに終始し、エイリークは一言も発さず黙っていた。口を開こうものなら、身の内から苛立ちと怒りが溢れ出てしまいそうな内容だったからだ。同じく沈黙したままのアスガルを見ると、彼も眉間に皺を寄せて不機嫌そうにしている。スパイク谷の人間はいつも気難しい顔をしているので普段どおりなのかもしれないが、アスガル王も自分と同じ気持ちであって欲しい、とエイリークは願った。真を嘘に、嘘を真に、言葉で裏表を返すような者が北方の王であって良いものか、と。


 ヨルゲンの提案とそれについての取り決めを最初の約定として四王の密会は終わり、その夜のうちにそれぞれ帰路についた。エイリークがスケイトルムに戻ったのは、それから四日後のことだった。


 まずは四王の成立をスケイルズ諸島の民に布告せねばならない。そのためには全島会議を開く必要があるだろう。自分の退位を望むアイオルフ派の島主がこの話を素直に受け取るとは思えないから、何らかの手を打たねば――そんな事で頭がいっぱいだったエイリークにとって、スケイトルムに着くなり告げられたドラゴンの来訪はまさに寝耳に水であった。旅の埃も落とさず服装もそのまま、足早に王の館を出たエイリークは、スケイトルムの塔へと向かった。夏の太陽がくっきりと影を落とす岩山の中の細い坂道は汗が流れるほど暑いが、湿原よりは快適に感じる。岩山の向こうの塔を見上げると純白の体毛に覆われた翼の一部が見え、それだけで心臓がどくんと脈打ち、流れる汗は冷や汗に変わった。〈ドラゴンの恐怖〉と呼ばれている現象だ。あらゆる生物はドラゴンを見ると恐怖に竦んだような状態に陥る。これに耐えられる人間も存在するが、それは勇敢さや強さとは関係なく体質的なものだと言われている。


 エイリークは最後の坂道でぐっと自らの膝を握りしめてからスケイトルムの塔の前に出た。塔の周囲は普段から静かな場所だが、海鳥の声も、岩山に住む小動物の気配も一切しない。エイリークもまた心臓を掴まれたように硬直する。その原因である純白のドラゴンは、三階建ての塔の上にいた。翼を畳み、尾を塔に絡めて、蛇のように長い首を下げてエイリークを見ている。赤いルビーのような瞳に敵意はないが、それで〈ドラゴンの恐怖〉が和らぐわけではない。


「う、あ……」エイリークは呻いて声を出せるか確認した。「この塔は……目立ちます。あなたがここにいると知られてしまうのは……」


 白竜ファーンヴァースは首を伸ばして口を開いた。『私はドラゴンだ。望むまま空を行き、望む場所で翼を休める』


 ドラゴンの口は人間の唇のようには動かず、パクパクと動かしているだけだが言葉は明瞭に聞こえる。そして次の瞬間には見る見るうちに小さくなり、いつの間にか灰色のローブを着た人間の姿になってエイリークの前に降り立った。純白の長髪だけがドラゴンであった時の名残だ。同時に、エイリークの身体を縛っていた〈ドラゴンの恐怖〉も消える。呼吸が浅くなっていたせいか目の中で小さな光虫が舞った。不思議と、人間の姿をしている時は〈ドラゴンの恐怖〉を感じない。


「理解していないようだな、エイリーク。人間同士の争いに関与せず……それは我らが得た教訓であって、法でも誓約でもない。破ったところで罰せられるわけでもない。ただ、私は二度と同じ過ちを繰り返したくない。それだけだ」今度は人間のように、柔らかい唇を動かしてファーンヴァースは言った。


「しかしカティヤがその教訓を理解しているようには見えません」


「そうだな。そしてそれを期待していたからこそ、お前はアウラの捜索を依頼したのだろう?」


「それは……」


 図星であった。竜騎士としての修行を経て別人のようになっているかもしれなかったが、〈竜笛〉を使って呼び寄せたカティヤはまだ自分の養女だった頃と変わっていなかった。そしてエイリークの目論見どおりアウラの捜索を断らなかった。だから結果的には、エイリークがカティヤを利用してファーンヴァースを巻き込んだと言える。


「責めてはいない。人間とはそういうものだと理解している。いちいち気にしていてはきりが無いからな。私はいつ何時も頭を悩ませ続けることになってしまう」


 事実、ファーンヴァースの表情にも口調にも変化は無い。そこで会話は途切れて二人の間に微妙な沈黙がおりた。耐えきれずにエイリークは口を開く。


「それで今日は、散歩の途中にたまたまここで休憩なさっている、と?」


 ファーンヴァースは小さくうなずいた。「そうだ。ついでに世間話でもできればと思っていた」


「世間話ですか」


「うむ。三週間ほど前にアード地方で起こった出来事をお前は知っているか」


 〝我が国土において謀反があった〟というヨルゲンの言葉が思い出されて、エイリークは眉根を寄せた。ヨルゲンいわく、偽物のエリアスが有力な豪族と共に王位簒奪を狙ったという件だろう。トレグからその噂を聞いた時、これを利用すればアウラを守れるなどと思ってしまったのが浅はかだった。自分にエドヴァルドのような小賢しさがあれば娘一人くらいは守れたのだろうか。


「ええ、知っています」


「直前の戦に敗れ、雪辱に燃えているはずのスケイルズが何もしなかった。アルダー地方の豪族も同様に、対岸の火事がごとく眺めていただけだ。なぜだと思う」


 エイリークは正直に答えた。「動かなかったのではなく、動けなかったのでしょう」


「動けば、自分たちにも同じ事が起きる可能性があった。それぞれが火種を抱えていたというわけだ」


 ほとんど独り言のようなファーンヴァースの言葉を、エイリークは黙して否定しなかった。このドラゴンはどういうわけか北方の人間社会に関心を持っている。自分と同じくらいには現状を把握しているだろう。ここに来たのはおそらく答え合わせをするためだ。


「ところでエイリークよ。このような時期に王自らが出向いて何をしていた。ひさしぶりに海原が恋しくなったか? その気持ちはわからんでもない」


「他の王と会っていました。私、ヨルゲン、エドヴァルド、アスガルが一同に会し、お互いに四地方の王として承認し合った。いずれファランティアに赴き、テイアラン王の前で正式なものとするでしょう」


 ドラゴンの白眉がぴくりと動いた。興味を惹かれたようだ。「ほう、それは現王に限った話か?」


「いいえ。王族の血統を正式なものとします。ファランティア王国と同じように」


「それは私の予想を上回ったな。四王の成立、というわけか」


 ファーンヴァースの口調が僅かに変化した。楽しんでいるのかもしれない、とエイリークは思ったがドラゴンの本心などわかるはずもない。


「だが、それだけでは不十分だな」と、ドラゴンは独り言ちる。


「はい。今後一〇年間、四王体制を確たるものとするため、各地方における反乱、王位簒奪行為には協力して対処する約定を結びました」


「誰の提案だ、それは」


「アルトレイムのエドヴァルドです」


「なるほど賢しい男のようだ。運もある。自らも王位簒奪者でありながら……時代が味方したか」


 ファーンヴァースは天を仰いだ。考え事をしているようにも見える。空はやっと夕焼けの色に染まり始め、海鳥たちの笛のような鳴き声も戻ってきていた。エイリークには馴染み深い島の夕暮れ。少ししてドラゴンは人間のように首を左右に振った。「つかの間の平和とはいえ、この一〇年で北方は大きく変わるだろう。その呼び水となった二人が名を残せぬとは皮肉なものだ」


 ふいと踵を返したファーンヴァースをエイリークは呼び止めた。「ファーンヴァース様、もう一つ世間話に付き合ってもらえませぬか」


「ふむ?」


「アード地方におけるエリアスの反乱は偽物の仕業で、二人の豪族のみならずドルイドまでも協力していたという話になっています。復権を狙ったとか、大昔の復讐だとか。いずれにせよ、この反乱を最初の事例として四王はドルイドを北方から排除すると決定しました。ドルイドはアルダー、アード地方に広く散らばっているため協力が必要だという理屈です」


 珍しく、ファーンヴァースが眉根を寄せて不快感を表した。「四王の成立を世に知らしめ、反逆の見せしめとするか。提案したのはヨルゲンあたりか?」


「はい。本物のエリアスと名乗る者も一緒でした」


 アウラがどこでどうしているのかエイリークは知らないが、ファーンヴァースに話せばそれはカティヤに伝わる。カティヤに伝われば、アウラを守るために行動するはずだ。


 当然そんな思惑などお見通しのはずのドラゴンは、「やれやれ、困ったものだ」と独り言のように呟いて、今度こそ踵を返した。ふわりとローブが広がったかと思うと、見る見るうちにドラゴンへと変じて純白の翼をはばたかせる。再び〈ドラゴンの恐怖〉がエイリークの身体を縛った。翼が巻き起こす風に硬直した身体では耐え切れず尻もちをつく。純白のドラゴンは塔の上に飛び乗って、そこに置いていた荷物を手で掴み取り、長い首をくねらせて振り向いた。


『これが最後だ、エイリーク。アウラはエリアスの伴侶となった。二人をスケイルズに匿ってやる気はないか』


「……無理です」


 ファーンヴァースはそれ以上何も言わず、純白の翼を広げて塔を蹴り、大空に飛び出していった。ドラゴンが視界から消えて、エイリークは〈ドラゴンの恐怖〉から解放される。だが、スケイルズ諸島の王というくびきから自分を解放することは最後までできなかった。


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