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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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35.種子の運び手

 〈夏至(トゥスーニ)の祝い〉の翌日、これまた初めての二日酔いに苦しみながら後片付けをしていたフィニのもとへカティヤが〝ヨルゲン生存〟の報せと共に飛び込んできた。真相を確かめるためにフィニは〈大樹〉を離れることとなり、そして七日後に戻って来た。


 まず誰に話すべきか――フィニは決めていなかったが、足はまるで答えを知っているかのようにボリスが埋葬された場所へと向かった。


 ドルイドは墓地を作らない。死者は倒れた場所で埋葬され、墓標も立てず、亡骸に執着もしない。それは死を悼まないという意味では無く、残された遺体の中に魂は残らないと知っているからだ。肉体から解き放たれた時点で、もはや物理的な距離は無意味となる。故人を悼むのも偲ぶのも心の中ですればよい。埋葬された場所に行っても意味はないし、語りかける対象が欲しければ思い出深い品を用いるのが普通だ。


 だからボリスの墓標の前に立つエリアスの背中を見た時、フィニは思わず「そこに彼はいないよ」と言いそうになって自制した。何でも思ったままを口にすべきではない、というカティヤの教えは正しい。その代わりに事実だけを口にする。


「見張っていなくても、ここなら獣が墓を荒らしたりしないよ」


 エリアスはバッと振り向いて、フィニの姿を認めると緊張を解いた。剣の柄から手を離す。「ああ、いや、たまに考えるんだ。ボリスは何を考えていたんだろうって。母様への気持ちはこれっぽっちも残ってない、ヨルゲンが怖くてたまらない、自分は後悔と恐怖と恨みで出来ている、そう言っていたのに……僕に逃げろと言った時の彼はそんな感じじゃなかった」


「考えなきゃわからないようなことか?」フィニは首を捻った。「君が好きだったんだろ。情が移ったとか、家族みたいに感じていたとか……とにかく君を気に入ってて守りたかった。んで、君は守られた」


 エリアスは少し驚いたような顔をして、それから満足げにうなずいた。「うん。そう、そうだ。僕はボリスに守ってもらったんだ」


 エリアスは本当に変わっている。フィニが思いもよらない事を思い付く時もあれば、考えるまでもない事で悩みもする。例の戦いの後はそのまま死んでしまうのではないかというくらい落ち込んでいたが、だいぶ復調したように見えた。今は、初めて会った時の不自然さも、ソールヴの農場にいた時の浮足立った感じもしない。出会う前の彼がどんな雰囲気だったかは知らないが、まるで〈古き川〉の泉の水面のように落ち着いている。やはり最初に話すべきは彼だ。


「エリアス、ヨルゲンは本当に生きていた。戦場から南に一家が暮らす小さな農場があるんだけど、そこで治療を受けていた。アードリグから従士たちが来て、動かせるようになったヨルゲンを運んで行くのをこの目で見たから間違いない」


「そうか、それは……良かった。本当に」


 心底そう思っているというふうにエリアスは胸を撫で下ろしたが、それがフィニには意外だった。血は水よりも濃いという。実父がどこの誰とも知れない自分には計り知れない絆があるのだろうか。「……やっぱり、父親だから?」


「えっ、いや違うよ。ヨルゲンを父とは思ってないし、実感もないよ。そうじゃなくて……もしヨルゲンが死んでいたらアードリグの玉座を巡って争いが起こる。あの戦場のような敵味方入り乱れた戦いがアード地方全域に飛び火してしまうところだったんだ。でもヨルゲンがアードリグに君臨していればそうはならないから」


「だけど、これで君はここにいられなくなった」


 エリアスは無言で肩をすくめた。ヨルゲンは間違いなくエリアスを探させる。そしてこの場所は秘密というわけではない。彼が事を起こす直前にここへ通っていたのを知っている人間だっているだろう。ここは決して安全とは言えない。


「アウラとカティヤには……まだ話してないみたいだね」エリアスはフィニの姿を見て言った。旅に出た時のままの恰好で埃も落としていない。


「ああ、うん。まだ」


「じゃあ一緒に戻ろう」


 墓に背を向けてエリアスは歩き出した。ボリスの遺体と遺品が埋葬された場所に、割れた兜を墓標代わりに置いただけの簡素な墓は、手入れする者が無ければ数年で緑に覆い尽くされるだろう。そうして彼は世界に溶けていく。鮮やかな緑に囲まれ、木漏れ日の中で静かに、平穏に。彼が苦しむことはもうない――フィニはエリアスを追った。


「でも、フィニが僕に協力していたと知られなくて良かったよ」


「んー、どうかな」フィニは疑問を口にした。「ソールヴは、エリアスが会談場所の地図を持っていたこととか、ブルンド勢の位置取りとか、そういう不自然な所について何も言わなかったんだろ?」


「言われてみれば確かに……あの時は単純に気にしていないだけだと思っていたけど、ソールヴは見た目よりずっと目敏かった。敢えて聞かなかったのだとすれば気付いていた可能性はある。問題はそれを誰かに話しているかどうかだけど、確認しようが無い」


「ま、ここが襲われたらそれが答えさ」


 エリアスが立ち止まってしまったので、フィニは振り向いて「俺もコランも魔法で姿を消せるから大丈夫だ」と付け足す。それで再び歩き出したが浮かない顔だ。木を避けて二人は左右に別れ、枝を潜って合流したところでエリアスが口を開く。


「その魔法って姿が見えないだけで、実際にはそこにいるんだよな?」


「当たり前だろ。ただ、そこにいると気付けなくなっているだけだ」


「じゃあ、もし……火を付けられたらどうなる?」


 そうなった場合を想像して、フィニは少し怖くなった。不安を振り払うように努めて明るく答える。「もちろん火に巻かれれば焼け死ぬ。だけど誰もいない森に火を放つ馬鹿がいるか?」


 エリアスは即答せず、木立を抜けて大樹の根元にいるカティヤとアウラの姿が見えるところまで来てぼそりと言った。「そうだな。でも……僕ならそうする」


 清浄な空気を汚す血の臭いが漂ってきて、フィニはぎょっとした。見れば、奥のほうに枝を使って広げられた鹿皮が干され、その付近の地面は黒ずんでいる。カティヤたちはただフィニの帰りを待っていたのではないらしい。常に自然体でいるよう訓練されてきたが、これにはさすがに面食らった。聖地の中心たる〈大樹〉の近くで獲物を処理するなど、ドルイドであれば絶対にやらない。そんな事情など露知らずといった顔で、カティヤとアウラは二人に気付いて手を振っている。コランは黙認したのだろうか。彼女らはドルイドではないのだから仕方ない、と許す器量の持ち主ではあるが最近のコランは何か変だった。それがフィニをそわそわさせる。


 アウラは縫い直していたエリアスの鎧下から手を離した。「おかえりなさい」

 カティヤが早速、「どうだった?」と尋ねてくる。


「ヨルゲンは生きてる。顔も見たから間違いない」


 エリアスとは違い、二人ともがっかりしたようだった。カティヤが肩をすくめる。「まあ……予定通りあの鹿が必要になったってことだね」


「とりあえず中で話そう? フィニも疲れてるだろうし」というアウラの提案に従って、四人は大樹の根元にある(ほら)の中へ入った。そこにはいつもどおりにコランがいて、アウラやカティヤの荷物が増えている他は何も変わっていない。フィニはほっとしながら、「戻ったよ」と養父に声をかけた。「うむ」とだけ老ドルイドは言って、薬草を選別する作業を続ける。フィニが聖地に戻って来たことなどお見通しのようだ。フィニが荷物を置き、水を飲むのを待ってから四人は輪になって座った。コランは手元の作業を続けている。口火を切ったのはアウラだった。


「ヨルゲンが生きているなら、ここにはいられない」


「ねぇ」カティヤがフィニに話しかける。「姿を隠す魔法を準備しておいて、誰かが来たらすぐに隠れるとかできないの?」


「準備しておけばできる……と思うけど、鉄や流血はドルイドの魔法を阻害するんだ。だからドルイドは鉄の道具を必要最低限にしか持たないし、余分な荷物も持たない。必要な時に自然から手に入るものだけで生活するのが基本なんだ。そういう生活をしてきていない皆にどこまで魔法が働くかは正直わからない」


「それに、僕らがいた痕跡を全て隠すのも難しいと思う。だからここを離れるのは決定事項だ」エリアスが断言し、アウラが続く。「問題はどこに行くか、だけど……」


「しばしドルイドと行動を共にし、様子を見られてはいかがか」全員が老ドルイドに注目した。手元の作業は止まっている。「今、ドルイドは〈大夏(アウレアル)〉の日を迎えるため聖地に集っております。今年はもうこの地に来る者はおらんでしょうから、他の聖地に行けばよいでしょう」


「……でも、僕らを匿ったりしたら……」


 ためらうエリアスと違って、カティヤはコランの意見に賛成のようだ。「あたしもそれが良いと思う。どこかの豪族を頼っても同じだし、森の中に二人で隠れ住むなんて無謀過ぎる。ファランティアを目指すのもありだけど、とりあえずはヨルゲンの出方を見てからじゃないと危険だ」


「聖地へはフィニが案内しますじゃ」とコラン。


「え、俺?」思わず言ってしまってから、「ああ、うん。他に誰がいるんだって話だよな」と独りごちる。


 エリアスは眉間に皺を寄せて苦虫を噛み潰したような顔をしてから、頭を下げた。「……僕らだけでは森の中で野垂れ死ぬだけだ。ご厚意に甘えさせてもらいます。すみません」


「いいさ。乗りかかった船っていうか、もう俺たちも当事者だし――痛てっ」カティヤの裏拳が上腕に当たった。それでまた余計な事を口走ったのに気付く。「あー、ごめん。別に嫌味じゃない」事実を言ったまでだ、と続く言葉は飲み込んだ。カティヤの鋭い視線が突き刺さっている。


 エリアスは真面目な顔でうなずいた。「わかってるよ。ありがとう」


 何となくむず痒いような気持ちになって何か言わなければと思ったが、コランが先んじた。


「申し訳ない。少しフィニと二人にしていただけますかな」


「はい。僕らも旅の支度をします。こうなった以上はなるべく早くここを離れるべきだと思いますので」


 三人は立ち上がり、エリアスを先頭にして(ほら)から出て行った。それを見送ってフィニはコランに向く。「話って?」


「行先は〈乙女の湖〉じゃ」


 この〈大樹〉を除けば残る聖地は二つしかない。〈乙女の湖〉と〈風の大岩〉で、どちらも北方世界の東側にある。「そうすると……二〇日前後か。カティヤは別としても、他の二人はドルイドのようには歩けないだろうから……」


 フィニの視線だけで老ドルイドは察した。「心配いらぬ。どれだけの年月を一人で過ごしてきたと思うておる」


「でも……ヨルゲンの手下が来たら……」


 長い白髪の下で老人の肩が上下した。笑ったのだ。「お前は知らぬがな、フィニや。北方の豪族たちがまるで示し合わせでもしたように側近のドルイドを殺し始めたあの夜に比べれば、ヨルゲンとその手下ごとき大したものではない。ましてやその後の受難の時をわしらは乗り越えてきたのじゃ。そしておそらく、今度はお前たちが……」老人の声はしぼみ、フィニが怪訝な顔をする。「ああ、これも運命というものか……」コランは深く嘆息した。


 フィニは驚いた。こんなコランは今まで見たことがない。老ドルイドは白髪の下に手を入れて顔を拭い、長い髭の先まで引っ張ってからはっきりと言った。「ここに戻ろうと思うな」


「なに? どういうこと?」


「お前は〈種子の運び手〉だ。もしやと思うたが、事ここに至ってはそうとしか思えん。そして〈種子〉とはアウラ姫とエリアス王子であろう」


 フィニはますます困惑した。〈種子の運び手〉とは、一〇年くらい前の〈大夏(アウレアル)〉の儀式において予言されたドルイドの救世主のようなものだ。自分がそれだというのか。


「予言は絶対じゃない。それに、〈種子の運び手〉なんて誰も信じてないじゃないか」


「確かにな。だが、わしら守護者の間ではこの予言についてかなりの確信があったのじゃ。ではなぜ皆が信じないか。ドルイドが今の暮らしに落ち着いてから二〇〇年。豪族たちの争いは続いておるがわしらの暮らしは平穏じゃった。それが突然終わるなどと言われても信じられぬのが人間というもの……だがわしらは覚えておる。破滅はある日突然にやって来るのだ。その前兆に気付く者は少ないが、後になって振り返ればわかる。わしらは一度経験しておるでな、気付くことができる」


「それじゃ……それじゃ、なんで俺なの?」


「他の守護者らは以前から、〈運び手〉はお前ではないかと考えておった。だが、わしはその判断を今まで保留してきた。わしはお前を〈運び手〉にしようと育てたわけではないからだ……いや、この話はいい。予言によれば始まりはドラゴンの来訪だという。そして〈種子〉はドルイドの中から現れるのではなく外から来る者であると。アウラ姫とエリアス王子がそうであるならば、もはやお前がその〈運び手〉であることは否定しようがない……」


 老ドルイドは膝の上に置いていた杖を差し出した。先端が瘤のように膨らんだその杖をコランが持つようになったのは、〈種子の運び手〉の予言が語られた頃だったかもしれない。


「これをお前に。この杖はわしのための物ではない。いずれ現れる〈種子の運び手〉のために何年もかけて力を蓄えてきた。今ではこの大樹に劣らぬ力がある」


 フィニは全く納得できなかった。納得したくなかった。頭を振り、差し出された杖から逃れるように座ったまま後退る。「嫌だ。そんなものいらない。俺は〈種子の運び手〉じゃない。ここから離れたりしない」


「……ならば、あの二人を見捨てると?」


 フィニは唇を噛み、声を荒げた。「そうじゃない。二人を送ったら戻って来る。それでいいだろ!」


「フィニ……」コランは肩を落として、差し上げた杖を戻した。悲しげにため息をつく。「……予言ではな、フィニ。〈大樹〉から旅立った二つの種子とその運び手は二度とこの地に戻っては来ないとされている。お前がそのつもりでも運命がそうさせないだろう。今回は今までの旅とは違う。わしはお前をきちんと送り出してやりたいのじゃ」


「〈種子の運び手〉として?」


 苛立ち混じりの嫌味に、老ドルイドは首を左右に振った。


「いいや、ドルイドの未来を担う、我が子として……」


 フィニはコランを父と呼んだことは無い。物心ついた時から父親ではないと教えられていたし、理由は分からないが本当の両親はドルイドではないという確信めいたものがあった。コランから森での生き方や魔法を学びながら、徐々に遠くへと旅するようになったのは外の世界への興味からだ。実の両親を探そうというのではない。ただ、本来であれば自分が属していただろう世界に触れていたかった。ドルイドたちが否定した騒々しくて乱暴な外の世界に。だからエリアスに付いて行けと言われても嫌ではなかった。影ながらでも外の世界に関われるという高揚感もあった。しかし、それができたのも、そんなふうに思える余裕があったのも、コランが全てを与えてくれたからだ。フィニに命を、名前を、愛情を、そして故郷を与えてくれた。帰る場所のある旅と、もう戻れない旅とでは全くの別物だ。そんな心構えも覚悟も無い。だが、コランの恩に報いることができるとしたら今だ――と、フィニは直感した。予言を信じたくはないし、納得もできないが、それがコランの望みだからやる。それなら納得できる。


「……わかったよ」


 フィニは肩を落として手を差し出した。その手にコランが杖を置く。


「ドルイドを救っておくれ、フィニ」


 杖を握ると強い魔法の力を感じた。それはまるでコランの生命力そのもののように温かい。


「うん。俺にできることをする。約束するよ。〈種子の運び手〉としてじゃなく……その……と、父さんの息子として」


 コランは両手を広げた。フィニは自然とそれに応えて老ドルイドの小さな身体を抱く。フィニはまだ諦めていなかった。帰って来てもう一度、この温もりを確かめるつもりでいた。だから涙も別れの言葉も無く、ただ黙って、小刻みに震える養父の身体を強く抱きしめた。


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