32.戦場跡にて
いつか誰かがこの戦いを語るとしたら、何をどう語るのだろう。この戦場に集った三つの従士団を率いた男たち――ソールヴ、ブルンド、ヨルゲンは全員死んだ。勝者はいない。ゆえに敗者もいない。引き分けでも休戦でもない。北方において、こんな戦いが今までにあっただろうか。
北方の戦いには明確な目標が存在し、勝者はそれを得て、敗者は失う。戦場は神が戦士をふるいにかける神聖な場所であり、男たちは誰しも名誉を競って命を賭けるものだ。
そんな常識のどちらも、この戦いには無かった。
首長を失った時点で敗走した者もいれば、それを追って戦場を離れた者もいる。男が一度戦いを始めたなら最後まで引かない、という矜持だけで戦い続けた者もいる。過去の因縁に決着を付ける好機としてどさくさ紛れに殺そうとした者や、高価な装飾品を持った相手を狙って強奪する者までいた。あそこは戦場と呼べるような神聖な場所では無かった、というのが彼らの言い分だが、確かに、それまで連綿と続いてきた北方の慣習に則った戦いで無かったのは事実だ。
いずれにせよ、炎がやがて燃え尽きるように戦いは沈静化していった。最後まで戦利品を奪いあっていた連中も、その日の午後には戦いを止めて姿を消した。
――そうして戦いが終わって三日後。カティヤは単身で戦場跡へ来ていた。状況の確認とボリスの遺体回収のためだ。途中ソールヴの農場を覗いてみると、いまだ混乱の渦中にあった。見咎められる前に離れて森の中を大きく迂回し、東側から進入した。
戦場跡というものはたいてい酷い有様だが、そういう意味ではここも他と変わりない。緑の草地には死臭を放つかつて人間だったものやその一部が散らばり、身ぐるみ剥がされて尊厳すら失ったものもある。折れた矢や剣や槍が名も無き墓標のように点々と突き立ち、カラスや野犬がそこらじゅうにいて、足元には野ネズミと肉食の昆虫が這いまわっている。耳障りな音を立てる黒い雲はハエの大群。ざっと見回したところ生きている人間の姿はない。
目の前にはまるで手招きしているように腕が立っていた。その指は数本欠けている。獣に食われたか、指輪欲しさに切り取られたか。そんなものが草地のあちこちにあった。ざっと見回しても、金目の物が無さ過ぎる。どうやら誰かが来ていたらしい。戦場漁りの無法者か、家族や友人を探しに戻った者がいたか。一通り探られた後のようなので五、六人程度の集団ではないだろう。
(ソールヴ、ブルンド、ヨルゲン、そのあたりの身内か……ソールヴの所はそんな余裕も無さそうだったけど)
布で鼻と口を覆っていてもキツい死臭に辟易しながら、カティヤは北の丘を目指して戦場跡を歩いた。ここで死んだ一人一人が、誰かの親であり息子であり兄弟であるのだ。残された者はせめて彼らが〈大地の館〉に招かれたと信じて慰めを得るしかない。喪失の痛みはやがて怒りと憎しみに変わり、いずれは誰かに矛先を向けるだろう。戦いは戦いを呼び、そうして北方の歴史は綴られる。
(まったくこれだから……やれやれだ)
ため息を殺してカティヤは姿勢を低くした。戦場跡をコソコソと動き回る人影に気付いたからだ。生い茂った草で姿は隠せても動けば音はする。相手のほうもカティヤに気付いたらしく動きを止めた。なかなか手慣れている。盗人か戦場漁りの類か。
ガサガサと草の中を近付いていくと、相手も離れる。速度を上げて距離を詰めると、ついに相手は立ち上がって駆け出した。一人だ。背が低く、子供のように見える。カティヤも立ち上がって一気に相手を追い越し、振り向きざまに剣を抜いて一閃。相手の目から下を覆う布だけを切った。「ひっ」とその場で急停止し、覆面がはらりと落ちて幼い顔が露わになる。頭巾の下から覗くごわごわした茶色の髪と太い眉、黒目がちな瞳。何週間か前に〈血吸いヶ浜〉の戦場跡で見逃してやった少年だった。
「あんた、また……」覆面を引き下ろすと、カティヤの顔を見て少年は真っ青になった。持っていた物を落とし、両手のひらを見せて、首をぶんぶん左右に振る。
「いやっ、いやいやいやっ、ま、待って! 姉さん! 戦場漁りじゃないから!」
その慌てぶりを見るに、〝次に無法者として見かけたら容赦しない〟というカティヤの言葉は覚えていたようだ。
「じゃ、なんなの?」疑わしい目で睨む。
「い、遺品をねっ、遺族の方々に持ち帰ってあげるんですっ! それでちょっとお礼を貰ったりするんです! 前の仕事の経験を活かして人の役に立つ仕事をしてんですっ!」
「……嘘だね」とカティヤは断じた。
「本当ですってばぁ! 信じてくださいよぉ」
「それ、当然だけど遺族に頼まれたからやってんだよね? 身元が分かりそうな奴から勝手に持って行って、金品と交換させるつもりじゃないでしょうね?」
「そんな事しないッス」
少年の真剣な眼差し。それを見て思う。
(あー、これは嘘だわ……)
しかしカティヤは信じたふりをしてやった。ここにはもう十分に死が積もっている。ただし少しはお仕置きが必要だろう。
「あんた名前は?」
「ビョルンって呼ばれてます」
「覚えておくわ。今の話が嘘だった時にあんたを探しやすくなる」
剣を下すと、ビョルン少年は大げさに「ふぅぅ」と胸を撫で下ろした。「ところで、姉さんは何者なんですか。なんかいつも戦場跡で会いますけど、もしかしてご同業――」ピュン、と剣を振るう。ビョルンの前髪がパラパラと空中に舞った。「――な、わけ、ないですよねぇ!?」
少年の引きつった愛想笑いに内心苦笑しつつ、まあこのくらいで許してやるかとカティヤは剣を鞘に収めた。「知り合いの遺体を回収しに来ただけ。そういう意味では、あんたと似たようなもんね」
「その方、どちらにいらしたんで?」
だいぶ慣れたとはいえ腐臭がきつくなり、カティヤは覆面を引き上げた。「ソールヴ側で丘の上に」
「ソールヴ側……ああ、エリアス側ってことですね。それならあっちですよ。でも豪族の関係者はもう回収されちゃってますけど」
訳知り顔で北の丘を指差すビョルンに、「そう。ありがとね」と一応礼を言って立ち去ろうとしたカティヤだったが、少年の話はまだ終わっていなかった。
「回収したのはヨルゲン王の指示らしいです。そこに無かったらアードリグで晒しものにされるかも。取り戻すのは難しいですね……」
ぴくりとカティヤは動きを止めた。「ちょっと待った。ヨルゲンの指示? あいつ死んだって聞いたけど?」
「それが生きてたんですよ。川辺で野営してた旅のもんが見つけて介抱したんですって。すっごい褒美貰えるんでしょうねー。王様の命の恩人だもの」
『今の、聞いてた?』
ファーンヴァースに接触すると、夏の海から立ち上る潮の香と照りつける太陽、そしてどこまでも続く海と空の青が想起された。キラキラ輝く海面が眼下を流れていく。たくさんの死体に囲まれ、死臭に満ちた場所にいるカティヤと違って、ドラゴンは海上を飛んでいた。
『戦いの後、そうした噂が流されるのは珍しくない。その子供の話だけでは事実かどうか分からない』
『川辺ってたぶんここから西のほうにある川の、だよね。下流のほうに住んでる人に聞いてみるか。アードリグまで行って確かめられれば良いんだけど……』
『我らでは目立ち過ぎる。ドルイドのフィニアスに頼んでみてはどうか』
ドラゴンの懸念が伝わって来る。一刻も早く真相を確かめたいカティヤだったが、彼を尊重した。それにもし事実だとしたらエリアスに追手がかかるはずだ。ドルイドの〈大樹〉は秘密の場所というほどでもないし、そこにエリアスが出入りしていたのを覚えている人間もいるかもしれない。
『フィニか……戻って頼んでみる。あたしは念のため二人の近くにいるつもりだけど、あんたはどうする?』
『しばらく好きにさせてもらおう。気になることがある』
『わかった』
カティヤが思念による会話を打ち切ろうとした時、ファーンヴァースが呼び止めた。
『カティヤ。〝人間同士の争いには関与せず〟。それを忘れないでくれ』
『えっ、いまさら? もう遅くない?』
ファーンヴァースの真剣さが逆に冗談のようでカティヤは思わず笑いそうになった。
『いまさらでも。すでに手遅れだとしても』
しかし彼は真剣そのもので、それは忠告というよりも懇願であり、陰には恐怖の色が垣間見えた。それを茶化すほどカティヤは悪趣味ではない。
『わかった。気を付けるよ』
「それじゃあ、姉さん。俺はそろそろ失礼さしてもらいます」
ビョルンの言葉で、カティヤは意識を完全に目の前に戻した。
「誰かに見つかる前にさっさと行きなさい。今後も真っ当に生きんのよ」
行ってよし、というふうに手をひらひらさせるとビョルン少年は何度も頭を下げながら、「へへへ……それじゃ、失礼します」とこそこそ離れて行った。まだ一〇歳かそこらに見えるが、そのしぐさにはすでに小悪党感がある。カティヤは覆面の下でため息をついて首を振り、ボリスの遺体を探しに走った。




