29.混沌の戦場(3)
久々の戦いは興奮したが、やがて疲れが手足を痺れさせて動きが鈍くなってくると気分まで落ち込んできた。若い頃の力はもうない。お前は年を取った。そう言われているような気がする。そんなブルンドの様子を見て取ったか、オーレが長い髭を振り乱しながら味方に指示した。「敵を押し出せ! ブルンド様に近付けるな!」
さすがに良く分かっている。その気遣いに感謝して、ブルンドは両手をだらりと下げて戦場を見回した。矢が飛んでくるかもしれないが、その時はその時だ。緑の草地は血に塗れ、そこここで男たちが命を賭けて戦っている。前方のヨルゲン勢は総崩れで、集団としての抵抗力はほとんど残っていない。西に上った狼煙の意味を彼らは知らないだろうが、王が戦場に立っていないのは気付いているはずだ。今や最大の敵はソールヴ勢となったが、複数の集団に分かれているので一つずつ潰していけば問題ない。分かれた集団ごとに敵を押し留めて狙った逃走経路へ誘導する、というエリアスの策はソールヴとも戦いやすくしてくれた。
北の丘の上に目をやる。グンナーがソールヴを始末している頃合いだ。仮に失敗してもこの状況は変わるまい。
(すべて上手く行っている)
心は踊るが、笑みを浮かべたりはしない。ブルンドの計画には長い時間がかかり過ぎて、彼はすっかり疲れてしまっていた――。
ブルンドの父は先代の王すなわちヨルゲンの父の兄である。兄弟で玉座を争わず弟に譲ったという人物だが、それはブルンドのためであったらしい。当時赤ん坊だったブルンドが、玉座を争って敗れた場合に殺されるのではないかと危惧したからだという。それが言い訳で無いとは誰にも言えないが、ともかく父はブルンドにこう言い残した。「今回は俺が譲ってやった。次は弟が譲る番だ。もし譲らぬようなら奪い取れ。神の助力もあろう」
そして、先王は譲らなかった。実子のヨルゲンに玉座を渡したのだ。
〝いずれは玉座に〟
それが自身の願いなのか、父の願いなのか、もうブルンドにも分からないが彼はそのために生きてきた。ヨルゲンの二人の息子を操り、仲違いさせ、最終的に決闘させて殺し合わせたのはそのためだ。生き残ったほうを手当てすると言いながら見殺しにしたのもそうだ。彼の目は最後まで〝なぜ〟とブルンドに問うていた。
エリアスの身柄を引き受け、軟弱に育てたのもそのためだ。武器を持たせず、狩りも教えず、ファランティア王国の文化的で平和な暮らしとやらをたっぷり吹き込んでやった。軟弱なエリアスが玉座に付こうとするなら、排除するのは簡単だ。こう言ってやれば良い。「エリアス。お前はファランティア王国に行け。王座は俺に任せろ」エリアスは喜んで従っただろう。その頃、自分が老い衰えてしまったなら息子に託せばいいだけだ。
――それほどの長い計画が、まさかこのような形で一気に決着するとは思っていなかった。エリアスには感謝せねばなるまい。死で報いるのは気も引けるが、それも今さらか。
その時、「どういうつもりだ!」という怒声がしてブルンドは斧と盾を持ち上げた。見ればソールヴの長男レイフがオーレと揉めている。「俺は親父から、ヨルゲンを始末した後はブルンドに報告するよう言われている。聞いているはずだ。なぜ邪魔をする!?」激高して兜の下の顔を赤くしているレイフは、若い頃のソールヴとよく似ている。
ソールヴとブルンドが直接ヨルゲン排除の意思を確認し合ったのはエリアスに呼ばれた時だったが、それ以前から付き合いがあったのは単純に気が合ったからだろう。だからといって今後も味方でいてくれるとは限らないし、ソールヴと玉座を取り合うのは面倒だ。残念だがここで消えてもらうほかない。
そんな考えはおくびにも出さず、ブルンドは「どうした?」と声をかけた。「あんたに直接話すよう言われている!」と叫んでレイフは王冠を掲げる。
――とても嫌な予感がした。首の後ろの毛が逆立つような。
ソールヴが自分と同じことを考えた可能性もある。だが、安穏とした暮らしででっぷり太ってしまったソールヴと自分は違う。ブルンドには若くて力強いレイフが相手でも負けない自信があった。斧の柄と盾を握り直し、力が戻っているのを確認してからレイフを手招きする。冷たい汗が頬を伝った。それよりもっと気になるのはあの王冠。
同行していた仲間を押し留められても、レイフは一人で堂々とやって来た。背後にはオーレが付き、抜け目なく味方に合図してさらに二人を呼ぶ。「ヨルゲンを殺った」鼻の穴を膨らませてレイフは王冠を見せつけた。黄色が引いてあるそれは間違いなくヨルゲンのものだが……。
「なぜ王冠だけだ? 首は?」
ブルンドが問うと、レイフの目はわずかに泳ぎ、そしてむっつりと答える。「……ヨルゲンの死体は沢に落ちた」
その一言に、どん、と胸を叩かれたような気がした。思わず矢継ぎ早に問い詰める。「死んだのを確認した後に落ちたのか? 確認する前に落ちたのか?」
「あれで生きてるはずがない。もしまだ息があったとしても獣か魔獣か、いや魚の餌だろうさ」
実に数十年ぶりに、いや生まれて初めてと言っていいほどの怒りがブルンドの内で膨れ上がった。目の前に光の粒子が舞って、頭が破裂しそうだ。
(長年の……長年の計画が……父と俺の……こんな馬鹿のために……こいつのために!)
絶対に抜いてはならない手を抜いて、さも自分は悪くないと言いたげなレイフの顔を思いっきり盾の縁で殴る。鼻がへし折れ、レイフは仰け反った。「レイフ!」彼の仲間が叫ぶ。オーレたちはブルンドの突然の激高にも動揺せず、レイフを両側から押さえつけた。
「あがぁ……な、なにを……」ぼたぼたと鼻から血の塊を垂らしてレイフが言った。もう説明してやる気にもならない。
「馬鹿が。もし〈大地の館〉に行けたら父親を捜して聞いてみろ。もっとも、あの惨めな酔っ払いの豚が神の目に適うとも思えんが」
いかに愚鈍な男でも、その言葉の意味は理解できたらしい。見る見るうちに顔は紅潮し、目がつり上がる。
「んぬがあぁぁぁっ!」
怒りの咆哮を上げるレイフを見下ろして、ブルンドは無慈悲に言い放った。「このクズを殺せ。あいつもだ」
「うごがあぁぁぁぁっ!」
野獣のように暴れるレイフの両肩が外れたような音がした。骨が折れたのかもしれない。暴れる獣の頭を狙い、オーレが斧を振り上げる。一瞬でも無駄にしたくないブルンドはすぐさま別の従士を呼んだ。「おい、五人で行って狼煙が上がった場所の周囲を徹底的に探せ。見つからなければ川底までさらうんだ。何としてもヨルゲンを見つけろ。生きていても死んでいてもだ。死体を見るまでは安心でき――」
「ああっ!」
オーレの叫び声にブルンドは振り向いた。目の前には血に塗れた獣のようなソールヴの――いやレイフの顔。黄ばんだ歯と生臭い吐息。
(えっ?)
レイフがブルンドの喉笛に噛みついた。不潔な歯がぶちぶちと喉の肉に食い込み、血管が裂け、気道を塞ぐ。ブルンドはそのまま押し倒された。
「くそっ、こいつ!」
オーレが毒づき、レイフの背中に斧を打ち込んだ。ごぼっと口の端から血が溢れ、ブルンドの首から溢れる血と混ざりあう。別の従士が何とかしようと血の海に指を突っ込み、レイフの食い込んだ顎を切り取ろうとナイフを入れた。
そうして何とかレイフを引き剥がした時にはもう、二人は〈大地の館〉へと旅立った後だった。




