27.混沌の戦場(1)
親父殿も賢いが、あの小僧……大した奴だ。本当に来やがった。
ソールヴの長男レイフは、低い崖の上の茂みから眼下を眺めてそう思った。
そこは戦場の西側を流れる川へと地すべりして出来たような狭い切れ間で、沢に向かって傾斜しており、雨でも降ろうものなら川へ流れ落ちる泥水の通り道になるような場所である。茶色の土が露出した、乾いていても脆くて滑りやすい切れ間の底を、足元に注意しながら三人の男が歩いている。警戒すべきは背が高くて横幅もある巨漢の戦士だが、レイフたちの狙いは中央の人物――ヨルゲンだ。
〝ここにヨルゲンが現れるから先回りしろ〟と言われても、レイフには全く信じられなかった。父親の命令だから渋々従っただけだ。一緒に来た仲間のヨーンとグズニもつい先程まで不満顔だったが、今はレイフ同様に信じられないという顔をして眼下のヨルゲン一行を見ている。三人は茂みを揺らさないよう注意しながら手と目線で誰が誰をやるか相談した。他の二人はレイフを立ててヨルゲンを譲ってくれるらしい。レイフは感謝を込めてうなずいた。いずれ何かで報いてやらねば。
ヨーンがゆっくりゆっくり弓を引き、そして充分と見るや、左右の二人に目で合図する。レイフとグズニは茂みの葉を散らして雄々しく立ち上がった。「ソールヴの長子レイフと従士グズニ、ヨーンだ。ヨルゲン覚悟!」名乗りを上げて崖から飛び降りる。
ヨルゲンたちは武器を構えて迎え撃つ態勢だ。着地の衝撃でまだ走り出せずにいるレイフに、斧を振り上げた巨漢の戦士が向かって来る。しゅっ、と援護の矢が飛んで巨漢の腕に突き刺さったが、一瞬怯んだだけだった。続く二本目の矢で、やっと武器を落とす。それでも巨漢はまるで狂戦士のように咆哮を上げて、走り出したレイフめがけて突進してきた。三本目の矢を期待するには近すぎるか。
もう一人の敵に向かう予定だったグズニが機転を利かせて方向転換し、巨漢の戦士に横から飛びかかって突進を阻止する。二人は倒れて地面の上で取っ組み合いになった。レイフは二人の脇をすり抜けて走る。目の前には敵がもう一人。その後ろにはヨルゲン。
ヨーンが弓を捨てて崖上から大きく跳躍し、ヨルゲンを守る最後の敵の上に落ちて押し倒した。地面に倒れた二人をひらりと飛び越えてレイフは王に迫る。ヨルゲンは盾も手持ちの武器も無くしていて、あるのは腰のナイフのみ。レイフは両手で斧を振りかぶって勢い任せに振りぬいた。ヨルゲンは四〇を過ぎているが、その年齢にしては素早い。後ろに飛びのいて斧をかわし、ナイフを腰の高さで構える。両手武器を振りぬいたレイフは無防備だ。刺される、という予感に総毛立ったが、前に出ようとしたヨルゲンは緩い地面に足を滑らせて片膝を付いた。
「おおっ」と声を上げて斧を大きく振り回し、ヨルゲンに必殺の一撃を見舞おうとしたレイフだったが、今度は自分が不運に見舞われた。地面の上で取っ組み合いをしていた巨漢の戦士とグズニが一体となって勢いよく転がって来たのだ。
後ろから不意に脚をすくわれた形になって、受け身も取れず背中から地面に叩きつけられる。目の前に火花が散り、肺の中の空気が全て口から飛び出した。息が詰まって視界が歪み、兜の中でぐわんぐわんと音が響く。そして「ギャアァァァ」という誰かの断末魔。
朦朧として何度か足を滑らせながらやっと起き上がり、頭を振って前方を見ると、沢に落ちそうなぎりぎりのところに三人が転がっていた。一見して死んでいると分かるのはグズニだ。目があった所は血溜りの穴になり、穴と言う穴から流血して顔はくしゃっと潰れている。兜に残った指の跡と巨漢の戦士の真っ赤に染まった両手を見れば、信じられない怪力でグズニの顔を握り潰したのだと分かる。だが、巨漢の戦士もぐったりしたまま動いていなかった。その大きな身体と細い灌木に挟まれたヨルゲンは何とか脱出しようともがいている。
レイフは斧を拾って近寄った。ヨルゲンの持っていた鋭いナイフは巨漢の首元に深く突き刺さっている。仲間を殺す理由はないので、もみくちゃになっている間にそうなってしまったのだろう。詳しい経緯などレイフにはどうでもいい。ヨルゲンは短剣を抜き取ろうとしたり、脱出しようとしたり、とにかくもがいている。どうやら右腕は使えないようだ。手首が直角に折れている。
念のためヨーンを確認すると、まだ敵と戦っていた。互いに相手の武器を持った手首を握り、上になったり下になったり、くんずほぐれつという状況だ。位置的にこちらへ転がってくる心配はないだろう。さっきのような不意打ちはもう御免だ。
そうしてついに、レイフはヨルゲンを追い詰めた。逃げられないよう圧し掛かっている巨漢の死体に片足をかけて押さえる。
「ま、待てっ……!」
苦しそうにうめくヨルゲンを見下ろし、レイフは無慈悲に言い放つ。
「命乞いはするな。名誉を損なうぞ。神が見ておられる」
斧を振りかぶり、ぐっと最後の一踏ん張りを入れた瞬間だった。重さに耐えかねた灌木がメキメキと音を立てて根から持ち上がり、地面を掘り起こす。ヨルゲンは灌木ごと後ろに――沢に向かって――落ち始めた。慌てて振り下ろしたレイフの斧はヨルゲンの顔を切り裂き、鎖帷子をめちゃくちゃにし、死んだ巨漢の脇腹にどっかと食い込む。ヨルゲンは顔と胸から血を流しながら、巨漢の戦士とレイフの斧、グズニの死体とも一緒になって土砂に巻き込まれ沢へと落ちていき、途中で見えなくなった。少しの間を空けて、どぼどぼと川に土砂の落ちる音が響く。
レイフはといえば、伸ばした手が掴んだ別の灌木に片手でぶら下がっているような状況になっていた。這い上がろうとしても脚はずるずる滑って踏ん張れない。両手で身体を持ち上げようとするも灌木が耐えられなさそうで怖い。レイフはついに自力脱出を諦めて声を上げた。「おい、ヨーン、さっさとそいつを始末して手を貸してくれ!」
少しして、ヨーンが息も絶え絶えにやって来て顔を覗かせた。「すまん。手こずった。ほら、掴まれよ」と手を差し伸べる。
仲間の手を借りて脱出したレイフは安全な位置まで離れて、やっと落ち着いた。お互いの傷の具合を確認しながらヨーンが少し湿っぽく言う。「グズニは間違いなく神の目に留まったろうな。あんな怪物みたいな奴と相打ちしたんだから」
巨漢の戦士を殺したのはヨルゲンのナイフだがレイフは「そうだな」と同意した。本当のところは見ていないのでわからない。それこそ神のみぞ知るところだ。
少しの沈黙の後、ヨーンは普段の調子に戻った。「ところで、ヨルゲンは殺ったのか?」
「手ごたえはあった。それにこの状況だ。まず間違いなく死んだだろう」
「首を持って行かないと信用されないかもな」
「うーん……」レイフは何か証拠になるものを探して、花の茎に引っ掛かっている鉄の輪を見つけた。「おっ、あれ、王冠じゃねぇか?」
「本当だ。あれなら良いだろう。取って来いよ」
しかしレイフは首を左右に振る。「俺はもうこの沢には一生近寄らない。神に誓って」
冗談ではなく本気だったが、ヨーンは笑った。「ははは、わかった、わかった。俺が取って来てやるからお前は合図を上げろよ。その後は手筈どおりブルンドと合流だな」




