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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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26.誰がための角笛

 北と南、二つの小さな丘に挟まれた草地は夏を謳歌する植物と虫たちの楽園だった。普段なら農場から女子供と一緒に羊を連れた男たちがやって来て平和な一日を過ごし、干し草の原料や野草類を抱えて帰っていく――そんな場所だった。


 中央付近には長方形のテーブルが置かれていて、それを挟んで向かい合うように彫刻された椅子があり、四方に長い棒が突き立っている。棒と棒の間には幕が張られる予定だが、今はまだ無く、蝶がひらひらと舞っている。そんなものが草地にぽつんとあるのはどこか滑稽だが、エリアスには可笑しいと思う余裕など無かった。彼は北側の丘の上にいて、会談場所となる草地を面甲の目出し穴から見下ろしていた。ヨルゲンから与えられた衣装と鎧を身に着けているのは戦闘への備えではなく、まだ父王に従っている証として、だ。この姿を見れば、挙兵は噂に過ぎず、エリアスに戦いの意思は無いという主張も聞いてもらいやすくなるはずだ。一緒にいるのはボリスとトーレ、それにソールヴ他数人のみで他は丘を下ったところにいる。戦いに来たわけではないとはいえ、味方の後方に控えるという恥を甘んじて受け入れる男は少ない。それだけにトーレがここにいるというのは違和感だった。ソールヴの従士団は総勢九七人。丘の上にいるエリアスたちも含めれば一〇六人になる。


 味方の人数を数えるのはエリアスにとって色々な事から目を逸らすのに都合が良かった。これから始まる数々の出来事――いつブルンドに合図を送るか、ブルンド勢は上手く動くか、ヨルゲン勢はどう反応するか、父は話し合いの席に着くか、父との対面はどうなるか――への不安と緊張から。


 何度めか人数を数え始めた時、南側の丘の端から一人の男が姿を現した。手を大きく振って合図を出しながら、こちらを目指して走って来る。


「んーむ、我が方の斥候です。ふむ、相手方の斥候も自軍に戻るようですな」ソールヴは反対側の丘の上を見ながら落ち着いた様子で腕組みしている。その落ち着きはエリアスが今一番必要としているものだ。近くにいる従士の一人が斥候の手信号を読んで報告する。


「もうすぐ見える距離。数はこちらの約二倍。ブルンド勢と一緒」


 胃がねじ切れそうな緊張感の中、唾を飲み込むのも忘れてエリアスはただ立っていた。報告の内容は改めて聞くようなものではない。ヨルゲンの従士団は約一〇〇人程度で、ブルンドの従士団も同規模、合わせてこちらの約二倍となる。到着は本日昼頃。全てフィニから聞いたとおりだ。この場所の地図作成やヨルゲン勢の偵察、ブルンドへの連絡など、かなり協力させてしまったが、ドルイドである彼をこれ以上巻き込むわけにはいかないので、今はこの場から離れてもらっている。


 南の丘の上で何かがキラリと光って、一人の戦士が姿を見せた。次いでぞろぞろと丘の向こうからヨルゲンの戦士たちが現れる。武器や鎧で夏の日差しをチカチカ反射させながら、彼らは立ち止まることなく丘を下って、草地の南端に陣取った。南北に分かれて武装した男たちが睨み合う様は、まさしく(いくさ)の様相である。


 ヨルゲン軍の何人かがエリアスらを指さして肩を揺らした。おそらく後方にいるのを見て(あざけ)っているのだろう。そんな北方人らしい態度にエリアスは苛立った。


(向こうは戦うつもりで来ているはずだ。これから死ぬかもしれないのによく笑っていられるな)


 小さな怒りが潤滑油となり、雰囲気に圧倒されて固まっていた思考が動き出す。ブルンドの姿を探すと、長髭のオーレ、赤毛のグンナーとともに敵陣左側にいる。東側に陣取って欲しい、という内容の密書をフィニに届けてもらっていた。


 同じように敵陣を眺めていたソールヴが感心したようにため息を漏らす。「ほぉ、ブルンド勢は東側。エリアス王子が言ったとおりの形になっておる。相手の布陣まで予測できるとは、まるで魔法ですな」


「偶然だよ」と(うそぶ)いたが、喉はカラカラに乾いていて上手く声が出なかった。


 相手方に動きがあり、居並ぶ戦士たちを割って一人の男が歩み出た。エリアスが与えられたものとよく似た鎧兜を身につけているが、ぶ厚い綿入れで体型を誤魔化してはいない。平均より体格はやや小さく、首まで覆う細い髭はエリアスの髪と同じ栗色をしている。エリアスの父、アードリグの王ヨルゲンである。


「来てやったぞ、エリアス!」大きいとは言えない体格ながら、声は草地を響き渡る。「不遜にも父を呼びつけておいて、お前は後ろに隠れているのか!」敵陣に嘲笑が広がる。


 エリアスも一歩前へ出た。心臓が早鐘のように脈打つ。ここで声が震えようものなら今後の事にも差し障る。気合を入れて負けない声を出さなければ――と、その時ソールヴがエリアスの肩を掴んだ。「ここはわしにお任せあれ」極度の緊張から解放されて力が抜け、思わず膝から崩れそうになる。エリアスは心の底からソールヴに感謝した。老戦士は大きな腹を膨らませて、丘の上から声を降らせる。


「わざわざ出向いてくださり感謝いたしますぞ、ヨルゲン王。先だってお伝えしたとおり、こちらはただエリアス王子のご婚約について相談したかっただけ。なのに軍を率いて来られるとは、及び腰が過ぎますな!」


「ソールヴ、この老いぼれめ。我が父王から受けた恩を忘れたか。エリアスに与して王位簒奪を企てるとは――」


「なるほど昨今、我らが挙兵したなどという噂があるようです。ヨルゲン王ともあろう御方が、噂を信じてお味方に守られながらやって来られたと。お父上であれば数人の供連れで済んだでしょうに。大仰な事で!」


 言葉の応酬はソールヴに分があった。エリアスがそう思っただけでなく、両陣営の雰囲気からもそれが伝わってくる。口では敵わぬと見たか、一拍置いてヨルゲンが最後通告を突き付けた。


「ソールヴ! エリアスを置いて引け! 今なら不問に付す!」


「そろそろです」ソールヴはエリアスに小声で告げてから、喉を震わせる。


「味方に守られていなければ、自分の息子と話すことさえできぬとおっしゃるか! そらちこそ、王者らしく兵を下げ、お一人で席に付かれて堂々と待ってはいかがか。準備が出来次第エリアス王子も同様になさる」


 エリアスはさっと手を水平に伸ばした。その合図を見て、近くにいた従士が角笛を持ち上げて構える。


「後悔させてやるぞ! 殺して下さいと懇願しても許さぬ!」


 ヨルゲンが怒声と共に指を突き付け、武器へと手を伸ばした瞬間にソールヴはエリアスに合図した。「今です!」


 エリアスが素早く手を下ろすと、プォ、プォ、プォーと角笛が響き渡った。続いて、まったく同じ拍子の角笛がブルンド勢からも響く。誰もがエリアス側からの合図に応じたものとわかっただろう。ヨルゲン勢の動揺は丘の上からもはっきりと見て取れた。自分たちの右側にいたブルンド勢が全員、盾を自分たちに向けて武器を構えたのだから。


(やった!)


 思わず声が出そうになった。全て完璧に思い描いたとおりだ。あとはブルンドがエリアス支持を表明すれば――。


 角笛が、続けてプォーと長く吹かれた。エリアスは何の合図もしていない。


「えっ?」


 振り向くと同時に、わーっと(とき)の声が空気を震わせた。


 ソールヴ勢が盾を構えて一気に前進する。迎え撃たんとするヨルゲン勢だが、すぐ隣にいるブルンド勢ともすでに戦闘が始まっていた。武器が閃き、最初の血しぶきが舞う。ヨルゲン勢は混乱したまま両面の敵と戦い始めてしまっていた。軍勢は間延びし、徐々に分断されていく。ヨルゲン本人は武器を抜きながらも自軍へと引き込まれて姿が見えなくなった。交渉の椅子は蹴散らされて粉々になり、テーブルは血に染まる。眼下で始まった戦いを前に、エリアスはただ茫然と立ち尽くした。いったい何が起こったというのか。


「エリアス!」


 どん、とボリスに突き飛ばされてエリアスはふらふらとよろけた。かすった矢が兜の表面を滑って地面に突き刺さり、そのままどすんと尻餅を付く。ボリスが盾を構えて前に立ち、周囲にいたソールヴの従士たちも同様にして盾の壁を作った。その裏へソールヴも滑り込んでくる。


「いやはや、ここまで矢を飛ばして来るとは。危ないところでしたな」


 雪合戦でもしている子供のように楽しげな顔でソールヴはニカッと欠けた歯を見せた。それから一人で棒立ちになっているトーレに「お前も入れ!」と呼びかけるが、トーレは戦場を凝視したまま反応しない。矢が足元に刺さってもぴくりともしなかった。


「な、なんで……?」


 エリアスのか細い声にソールヴは(とぼ)けた顔で聞き返す。「はい?」


「なんで。どうして。これは何だソールヴ! お前の仕業なのか! ブルンドおじさん……ブルンドもか!?」


 戦いの騒音も、悲鳴も怒号も、盾の壁は防いでくれない。その裏でソールヴはにっこりと微笑んだ。「ええ、もちろんですとも。最初に我が家で話し合ったでしょう? あの夜に取り決めておきました」


「なんで……」


 すとん、と盾に矢が突き立つ。


「なんでなんでと……エリアス王子ともあろう御方が、わからんのですか?」ソールヴは鋭い目つきになった。「皆、知っておるのですよ。一度ヨルゲンに反旗を翻したなら、やつを殺さない限り安心できないと。誰も〝玉無しボリス〟にはなりたくないのです。ヨルゲンは生かしておけません」


「そんなのはおかしい! 戦いにはならないはずだったんだっ!」


「何をいまさら。ご自分を誤魔化すのはお止めなさい。あなたはこうなると分かっていた。ブルンドと会った時には……いや、わしに話を持ってきた時にはもう〝あり得る〟と思っておったでしょう。最初にこの計画を考えた次の瞬間に、ここまで想定していたと言っても今では驚きませぬぞ」


 ぎゃっ、と声がして盾の壁を作っていた従士の一人がぐらりとよろけた。肩に矢が刺さっている。「ほれ、しっかりせい」とソールヴはその従士を身体で支えて立ち続けさせる。


 エリアスは言葉を失った。確かに、戦いになる可能性も考慮はした。しかしそれはこういう形では決して無い。ソールヴとブルンドが裏で共謀し、自分を利用して、王を排しようとするなど予想できるわけがない。


「お心安らかに、エリアス王子。我が方は王子のルールでネフタールをやっております。サイコロの運頼みはしておりません。長男のレイフがヨルゲンを抑えるべく動いております」


 ソールヴはにんまりと笑った。


「ヨルゲンを討つ名誉を、我が子に与えてくれて感謝しておりますぞ。エリアス王子」


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