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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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24.アウラの帰郷(5)

 塔へ向かう岩山の中の道は、夏の日差しによって光と影とにくっきりと分かれていた。アウラの背後を歩くハラルドも今日は無言だ。結局そのまま、一言も交わさずに二人は塔を上った。「しばらくは下にいる」というハラルドの気遣いを無視して、力強く扉を閉め、寝床にどっかと腰を下ろし、全身に広がる痺れのような不快感――怒りのためか緊張のためか――が収まるのをじっと待つ。薄暗い部屋の中で唯一外界と通じる窓から落ちる四角い光が床を焼いていた。室内は暑く、ただ座っていても汗ばんでくるほどで、気まぐれに入り込む南風だけが唯一の慰めだ。


 アウラは顔を上げて南向きの窓を見る。四角く切り取られた真っ青な空の向こうにはエリアスがいる。彼のために何ができるか、考えなくてはならない。計画通りにスケイルズを味方にしてエリアスを助けにいく方法はないか。塔を出て、島から脱出し、エリアスのもとへ戻る方法はないか。


 しかし、何度考えても思い付くのは挑戦権の行使しかなかった。誰を相手に、何を賭けて、どう戦うか――そこに考えが及ぶたび、エリアスの言葉が蘇る。


 〝君だけは無事に僕の所へ戻って欲しい〟


 彼ならこんな時でも何か思いつくのだろうか。


 いつの間にか汗は止まり、少し涼しく感じられるようになっていた。床に落ちた四角い光は朱色を濃くして、長い夕暮れの始まりを告げている。アウラは頭を抱えたり、部屋の中をウロウロしたり、脚を伸ばしたりしながら妙案が無いかと考え続けたが、何も浮かんで来ない。ついには足の小指を寝床の角にぶつけて悶絶するはめになった。足元がよく見えないほど暗くなったせいだ。


 南のアード地方よりも白夜が長いスケロイ島だが、まだ暗い夜空になる時間はある。あと一週間もすればほんの短い時間しか太陽の沈まない日がくるだろう。その後しばらくは日没でもあり日出でもある薄明の空になるだけだ。夜陰にまぎれて脱出するなら今しかないのに……唇を噛み、寝床に座って足の指の具合を確かめていると、塔に入って来る人の気配がした。数人でゆっくりと階段を上がってくる。


 まさかアイオルフが手下を連れて迎えに来たのだろうか。まるで忍んでいるように控えめな足音だが……緊張して待っていると足音は部屋の前で止まった。呼びかけもなく、ゆっくりと扉が開かれ、隙間から油皿の小さな火の灯りと共に「アウラ?」という囁きが漏れ入ってきた。驚きに目を丸くして、慌てて立ち上がる。「母様!?」またもや寝床の角に足をぶつけたが気にせず扉に駆け寄った。小さな灯りを手にした母リアナの姿が現れる。ハラルドと彼の妻ユッテも一緒だ。ハラルドが素早く事情を説明する。


「ユッテは今リアナ様のお手伝いをしている。俺の話がユッテからリアナ様に伝わってな。どうしてもお前に会いたいというのでお連れした次第だ。これは我が王も知らぬこと。すまんがあまり時間はない」


「とにかく母様、中へ」アウラは母を気遣って寝床まで誘導した。リアナを座らせると、ユッテは身を引く。「私はすぐ外にいますから、何かあったら呼んで下さい」


「ありがとう」アウラとリアナは同時に礼を言った。扉が閉まって母娘二人きりになると、すぐにアウラは口火を切った。「ごめんなさい、母様。帰ってきてたのに全然会いに行けなかった。すぐ顔を見せなきゃいけなかったのに……」


「いいのよ」リアナは優しくアウラの手を包んだ。「あなたの事情はわかってる。自分の家なのに、自由に歩き回れなかったのでしょう?」


「……ここはわたしの家じゃない。父様の家だもの」


 その言葉に含まれた険を母は敏感に感じ取って、ぽんぽんと優しく手を撫でる。「そうね。その通り。ここはエイリークが継いだ家で、私だって嫁いできただけ。私のものでもないし、あなたのものでもない……やっぱりあなたは特別なのね。私があなたくらいの年頃にはそんなの考えもしなかった」


「わたしが特別?」


 足元に置いた油皿の小さな灯りの中で、母ははっきりとうなずいた。


「私があなたくらいの頃の悩みといえば、この家の中の仕事や、出入りする人達の顔や名前や、自分がするべき振る舞いやらをちゃんと覚えられるかってことだった。自分の生き方に迷ったりはしなかった。他の生き方なんて想像もできなかったから」


 リアナは一息ついて、話を続ける。


「何年かして新しい生活に慣れてきた頃、やっとエイリークと向き合えるようになったの。変よね、自分の夫なのに。でも彼が愛情深い人だとわかって安心したし、嬉しかったけど、それが彼の問題でもあった。イヴァルが生まれて、あなたが生まれて……そしてあの子(イヴァル)が冷たくなって帰って来た後も、あの人は私との間に子を授かろうとこだわった。それが間違いの始まり」


 母の手がゆっくりとアウラの髪を撫でた。心地よいぬくもりが全身に伝わっていく。


「彼は愛情深きゆえに間違った。本当はもっと冷徹に振る舞うべきだった。私を実家に帰して、若くて腰の太い娘を迎えれば良かった。そうして男子を得て、息子には北方の王としての生き方を、娘には北方の女としての生き方を教えれば良かった。でもそうするかわりに、全てをあなたに押し付けたの。そのせいであなたは悩み、苦しむことになってしまった。けれどね、アウラ……」


 リアナは娘の頭を胸に抱いた。弱々しいが、しっかりとした鼓動を感じる。話し過ぎて疲れたのか、母の声は小さくしぼむ。


「……だから、あなたは特別なのよ。私のように他人から人生を与えられるのではなく、自分の力で自分の人生を進んでいける。男として育てられたあなたなら、男のように世界を切り拓いていけるはず。もう自分が居るべき場所はどこかわかっているのでしょう?」


「うん」母の胸の中でアウラはうなずいた。リアナはますます娘を抱き寄せて耳元で囁く。「この蝋燭を使って。今夜、火を灯して窓に置いておけば、カティヤが来てくれる」


 アウラはがばと顔を上げた。「カティヤと話したの?」


「もちろん。あの子も私の娘だもの。会いに来て、何の不思議もないでしょ?」


 リアナがアウラの事情に詳しいのはハラルドからユッテ経由で聞いたからだと思っていたが、それにしては詳しすぎた。しかしカティヤと話したのなら納得だ。そして母は、アウラの胸に希望の火を灯すために来てくれた。ここを脱出できる。エリアスの所に行ける。もう二度とスケロイ島の土を踏むことはないかもしれない。父にも母にも弟にも会えないかもしれない。今この瞬間に感じている母の愛情を捨てて行かねばならない。しかしその覚悟はもうできている。


 アウラは最後にもう一度母を抱き寄せ、「ありがとう母様。わたし、やってみるね」と涙声で囁いた。


「さようなら、私の娘。あなたはエイリークとリアナの子。それだけは、どこにいても変わらない。忘れないでいて」


 リアナはユッテを呼び、支えられて部屋から出て行った。視線で最後の別れを交わして。アウラは塔の外まで母の背中を見送りたかったが、そうしなかった。別れは済んだ。旅立ちの時だ。開け放たれた扉から灯りを手にハラルドが顔を出す。「持ち出せたものは下に置いてある。見繕って持って行け。俺は二人を送る」


「ありがとう、ハラルド」


 彼はアウラの感謝に目で答えて、階段を下り、塔から出て行った。


 それからアウラはできる限りの準備を済ませて、蝋燭に火を灯し、窓辺に置いた。やがて力強い翼の音がして、続く旋風に蝋燭は吹き消されて床に落ちる。アウラは目を閉じた。この家から、この島から出る時が来たのだ。


 再び目を開くと、窓から注ぐ月明かりでぼんやりと部屋の中が見えるようになっていた。立ち上がって荷物を担ぐと同時に、ほっそりとした人影が窓の外に現れた。右手で外壁を掴み、両足を窓枠にかけ、左手を差し出している。その手を掴むと身体は一気に窓から引き上げられ、抱え込まれた。耳元でカティヤが問う。「本当にいいんだね?」


 心残りが無いと言えば嘘になる。生まれ育ったこの島には良い思い出もたくさんある。今はとても許す気になれない父だが、その愛情を忘れたわけではない。しかし愛憎を都合良く切り離して憎しみだけを捨てるなんて無理だ。なぜならどちらも父のした事だから。捨てるなら何もかも一緒に捨てて行くしかない。


「うん。行こう」


「わかった。あたしの首に腕を回してしっかり掴まって。このままファーンヴァースの背に飛び下りる」


 言われたとおりにすると、カティヤの背後に広がる景色が見えた。淡く月を映す夜の海と、星の瞬く空。その中を月光に輝く純白のドラゴンが優雅に旋回して高度を下げている。まるで吟遊詩人の歌にでも出てきそうな光景に、息を呑む。


「ファーンヴァースの身体には絶対に触れないで。体毛を掴むと指が無くなる。行くよ。ヴェー、エクス、ハラー!」


 たぁん、とカティヤが塔の外壁を蹴って二人は空中に身を躍らせた。内臓が浮き上がり全身が泡立つ気持ちの悪い感覚。アウラは口をぐっと結んでそれに耐え、目も閉じなかった。あっという間に塔の窓は頭上に飛んでゆき、硬い山肌がそれを追いかけるように伸びていく。海面がぐんぐん上がってきて、本能的な死の恐怖に身体を硬直させたが、その終わりは衝撃とともにやってきた。落下する二人をファーンヴァースが空中で受け止めたのだ。


 そのまま二人を背に乗せて、純白のドラゴンは夜の海へと滑空して行った。


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