18.トレグボルグ(2)
斜面には畑の間を抜けるように道が出来ている。一人分の幅しかないので一列になって土手を上り、門前に立つと武装した男たちが待ち構えていた。トーキルの家でもそうしたようにアウラが立ち止まって相手の反応を待っていると、一人の男が進み出て威圧的に言った。
「札を持っているやつだけ来い。他の連中はここに残れ」
どうやら〈もてなしの授受〉は無いらしい。アウラも要求はせず、木札を見せつけた。「これ、二枚あるから二人入れるって意味だよね? わたしと彼女が行く」
相手の返事を待たずにカティヤが前に出るとトレグ側の一人が軽く身構えた。カティヤは気付かないふりをしてアウラの隣に並ぶ。男は太い眉を寄せて「そういう意味じゃない……が、まあ良いだろう」と、付いてくるよう身振りで示した。
二人は男に案内されてトレグの大きなロングハウスに入った。二つのロングハウスが玄関部分で連結したようなコの字形をしており、玄関部分の内部は四角い小さな窓が付いた壁で仕切られている。窓口から禿頭の男が「武器を預かる」というので二人はそれに従った。男は左のロングハウスへ続く廊下の前に立って「こっちだ」と頭をかしげて誘導する。そのまま二人は大広間の奥にある衝立で仕切られた場所へと連れて行かれた。もし悲鳴を上げても外には聞こえなさそうな場所だ。
そこには小さな丸テーブルがあり、一人の男が座っていた。ひょろりとして手足が長く、額は広い。三割ほど白くなっている髪は後ろに撫でつけられ、神経質そうに枯れ枝のような指を組みなおしつつ二人を見上げている。トーキルと似ている部分があるとすれば額の広さくらいだろうか。金糸の刺繍が入った袖なしのローブに宝石が付いた金の腕輪、背後のキャビネットに飾られた本や銀のゴブレットがこれ見よがしである。
「どうぞ、お座りください」
冬を告げる風に吹かれた落ち葉のように乾いたかすれ声。アウラは向かいに座って二枚の木札をテーブルに並べた。その間に案内してきた男は回り込んで首長の後ろに立ち、カティヤも護衛よろしくアウラの背後に立つ。
「はじめまして、スケイトルムのアウラ姫。トレグと申します。船を一艘ご所望とか」
「わたしが本物だと確信しているような口ぶりね」
「仮に貴女が偽物だとして、取引するのに不都合なんてないでしょう?」かかっ、という乾いた音が男の喉から漏れた。方法は分からないが対岸でのやり取りも正確に伝わっているようだ。その事にアウラが気付いているのかどうかは後頭部を見下ろしてもわからない。
「スケロイ島まで戻りたい。海に出られる船はある?」
トレグはゆっくりとうなずいた。「もちろんですとも。三〇人は乗れるスケイルズ船を持っています。ただ……」
(もったいぶった言い方……イライラするな、こいつ)
交渉の様子を伝えるためファーンヴァースに心を開いていたのも忘れて心中呟くと、案の定ドラゴンは反応した。
『それがその男の交渉術なのかもしれん。アウラが相手の手管に乗せられぬよう注意しておくことだ』
「ただ……なに?」アウラも少し苛立った様子で先を促す。
「……ただ、貴女方がお持ちの品物では、スケイルズ船とは到底つり合いません」
「面と向かって断るためだけにわたしをここまで連れ込んだのか?」
金髪の間に覗くアウラの可愛らしい耳が紅潮している。こちらを不機嫌にさせる意図がわからない。警告したいが、トレグの背後に立つ男はこちらの一挙手一投足も見逃すまいと目を光らせている。迂闊に動くとまずいかもしれない。
トレグはまた、かかっ、と乾いた音を漏らした。「それは貴女様もとうに理解しておられたでしょう。理解していながら、この交渉をしにいらした。そこに興味を惹かれたのです。さあ、どんなお話を聞かせてもらえるのでしょう?」
アウラは腕を組んで背筋を伸ばし、鼻息も荒く答える。「わたしはヨルゲンの息子エリアスと婚約した」
しかしトレグは全く動じる素振りもなく、ただ「ほう?」と言っただけだ。アウラは肩を怒らせ、声も大きくなる。
「ファランティア王国の白竜騎士カティヤ、それにアード地方の豪族ソールヴが婚約の証人になっている。お前もそれに加わることができる」
「ほうほう、それで?」
やはり全く動じないトレグに対してアウラの声は熱を帯び、言葉は勢いを増した。「スケイルズとアードを同盟させる計画がある。そうなれば取引するための市が立つし、お前のような商人はその恩恵に与れる」
「んー」ここで初めてトレグは違う反応を見せ、小馬鹿にしたような、残念そうな、微妙な表情のまま左右にひょいひょいと頭を傾けた。
「わかった。じゃあ、こういうのはどう?」アウラの声は怒気をはらんでいる。もう相手の出方を気にしている場合じゃない、とカティヤは彼女の肩を掴もうとしたが遅かった。「ここに市を建て、その全てをあなたに任せる」
市をどこに作り誰に任せるかはいずれ重要な問題になるはずだが、いま思い付きで決めて良いようなものではない。そもそも相談すらしていない事案だ。完全に勢い任せの発言だった。
「それは魅力的なご提案だ。光栄に思います」トレグはそんな言葉とは正反対の冷静さで応じ、またもや「ですが……」と言葉を濁す。
「な、なに……?」
相手の冷静さに触れ、アウラも自分が先走ってしまったと気づいたようだった。声が微かに震えている。トレグは組んだ指を開いて組みなおした。
「その同盟、本当に成るとお思いですか。戦争というものは酒場で殴り合うのとは違います。そこに至る積年の感情や、そうなるべくしてなった状況というものがあります。もし二人の王が拳を収めたとしても、民はどうでしょう。王の個人的な喧嘩に命懸けで付き合うほど民は愚かではありません。むしろ民の多くが戦を望んだからこそ、王が動き、戦いが起こったのではないですか?」
『興味深いな』とファーンヴァースが思念で言った。
エリアスもアウラも――そしてカティヤも――王がやめると言えば戦いは終わると考えていたし、それこそが二人の計画の骨子であった。まるで冷や水をかけられたようにアウラは熱を失って沈黙し、そしてしばらくして口を開いた。
「……つまり、あなたはわたしたちの計画が上手くいかないと思っていて、勝ち目の薄い賭けには乗れない、というわけだ」
トレグは黙ってうなずいた。
「わかった。なら、こうしよう。ここで船を貸してもらえればスケイトルムまで二日で戻れる。そこであなたへのお礼をこの船に乗せて送り返すから、四日後にあなたは報酬を得られる。父がわたしの生還を助けた者に褒美を出さないとは思えないから、満足できるものが手に入るはず。これを父とわたしの名にかけて約束する」
まだ交渉を続けようとするアウラに、またしてもカティヤは感心させられた。以前の彼女なら怒って椅子を蹴り倒し、立ち去ってしまっただろう。トレグは上体を起こして椅子に背を預け、指を解き、細い脚を組んで膝に手を置いた。ゆっくり時間をかけてから、かすれた声で話す。
「……同じような言葉を一〇年くらい前にも聞きました。彼は戦利品を積むのに船がもう一艘欲しいと言いましてね。その対価は、とお尋ねするとこう言いました。〝二日で市に到着する。その夜に略奪をし、四日後には戦利品を満載してここに戻る。代価はその時に支払おう。父と俺の名にかけて約束する〟」
はっ、としてアウラが顔を上げた。「それって……もしかして……」
「はい、貴女の兄上イヴァル様です。その後どうなったのかは敢えて申し上げませんが、私が貸した船は焼け焦げてボロボロになって戻ってきました。もう修理もできない有様でしたから壊して沈めましたよ。もちろん代価は頂けませんでした」
(何故、今、その話をする?)
思わずカティヤは眉を吊り上げた。トレグの後ろに立つ男がびくりと反応して剣に手をやる。
『落ち着け、我が騎士よ』すかさずファーンヴァースが心の中で手を伸ばしてきたが、カティヤは反射的にそれを払い除けた。
アウラの兄イヴァルの最初で最後の遠征、その終焉の地こそ、幼いカティヤが全てを失った場所だ。血と炎の臭い、両親の悲鳴、命を失っていく弟の目、炎を背負って立つ男――溢れ出る記憶に慌てて蓋をする。イヴァルの死はまた、アウラにとっても始まりだった。ただ一人の王位継承者となって全てを背負うことになった。望むところではあったかもしれない。しかし今まさにその重責で苦しんでいる。
トレグは古い傷跡を見事に抉ってみせた。この交渉はもう終わりだ。アウラが黙って立ち上がっても、カティヤには気遣う余裕が無かった。振り向いて一歩、二歩とその場を離れるアウラの表情に、すぐ近くまで来てやっと、気付いたほどだった。青い瞳が潤むほどの怒りと悔しさ。「行こう」アウラが囁いた。そしてさらに一歩を踏み出したところで突然トレグがはっきりと口にする。
「ご希望のスケイルズ船、お貸ししましょう」
アウラの足が止まった。
「船はいずれ見返りと共に返してくだされば結構。先ほどの市を建てる件も、口約束で終わらないよう期待しております」
訳がわからないという顔でアウラは振り向いた。トレグはテーブルに並べた二枚の木札を弄んでいて、その内の一枚を見せる。
「弟のトーキルはあれで人を見る目がありましてね。この札には〝この客には絶対に逆らうな〟という意味があります。もし貴女とお仲間たちが本気で船を奪おうとしたなら、私たちは船を失う以上の損害を被るでしょう。もっと簡単な方法もあります。カティヤ様が心の中でこう思うだけでいい。〝焼き尽くせファーンヴァース。船以外〟」
『ははは、面白い冗談だ』
ドラゴンは皮肉でも何でもなく本当に面白がっている。現実でも顔をしかめながらカティヤは思った。
『全然面白くない。笑えない。最低』
「……なら、最初から船は渡すつもりでいたわけだ」アウラの問いをトレグは沈黙のうちに肯定した。「もう二度と、わたしを試すような真似はするな。船に関しては感謝する。いずれ必ず対価は払おう」
もう一呼吸たりとも同じ空気を吸いたくないという勢いでアウラは踵を返した。すれ違いざま小声でささやく。
「最低のクソ野郎」
カティヤも全く同感だった。




