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海賊王の娘と森の国の王子  作者: 権田 浩


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15.待ち人来りて

 〈大樹〉を出発した一行がソールヴの農場に到着したのはその日の午後、まだ夕暮れ前だった。森を抜けて切り株だらけの草地を行くエリアスとボリスに、念のためフードで顔を隠したアウラとカティヤが続く。フィニとファーンヴァースとは森の中で別れた。ファーンヴァースは人間の姿であっても目立つし、ドルイドが協力していると知られないほうがいい。


 フィニは何度もソールヴの農場に来ているらしく、姿を隠して忍び込めるというから、もしかしたらついてきているのかもしれない。〝母屋の裏までだって行けるんだ〟と、自慢げに話していた。


 あの二人だけになったら、どんな話をするんだろう――そんな場面を想像して不安を紛らせつつ、エリアスは農場をぐるりと囲む壁を見やった。緊張しているせいか足元の草に潜む切り株で何度か転びそうになったものの、無事に門までたどり着く。


 門を守る従士は当然エリアスとボリスを知っているし、女を二人連れて来たくらいで騒ぎはしない。とはいえソールヴの従士であればこの付近に住む人間は全員見知っているはずだから、この二人の女がどこから来たのか興味は持っただろう。しかし王子の連れを詮索したりはしなかった。


 丸太組みの頑丈そうな門をくぐった先の農場の様子は昨日までと変わりない。干し草作りに家畜の世話、畑仕事などの日常的な光景に交じって、だらだらするのにも飽きたのか千鳥足で歩く戦士の姿がある。時折聞こえてくる甲高い嬌声は仕事を手伝っているのか邪魔しているのか分からない幼子の声だろうか。年長の少年が敵に見立てた丸太を相手に黙々と剣を振るい、汗を流していた。夏の風が緑の丘と小川を撫で、森の中には無かった、人間の生活のにおいを運んでくる。


 目深に被っていたフードを持ち上げて、アウラは感心したように呟いた。「すごく広い……」


「スケイルズの島は岩山ばかりで平地が少ないからね」と、カティヤ。


「あの壁とか柵ってこの農場全体を囲ってるの?」


 後ろを歩くアウラにエリアスは肩越しに答える。「うん。ここは丘の下にも農場が広がっているからね。森から来るものを防ぐために必要なんだろう」


(いくさ)にも耐えられそう」


 エリアスは歩みを止めて振り返った。「(いくさ)にはならないよ」


「……だと、良いですね」前を向いたままむっつりとボリスが言った。その丸い背中を追いかけて一行は再び歩き出す。


(現状で(いくさ)になれば、スケイルズに背後を突かれる。それは誰でも分かるはず。だから今が絶好の機会なんだ。これは無謀な策ではない……)


 それでも、エリアスには拭いきれぬ不安があった。戦場で見た野獣の如き人々。ヨルゲンがボリスにした仕打ち。他人を蹂躙するのは強者の権利とでも思っていそうなトーレの態度。それら理性よりも感情的なものが、恐怖の力が、北方人の気質が、エリアスにとって理解不能な事態を招くかもしれないという不安が。


 一行は農場の中を流れる川を越えて、丘のふもとにある二つめの門をくぐり、頂上まで道を辿った。そこはソールヴの農場が始まった場所で、彼とその家族が住む母屋、羊を入れる囲い、畑、干し草を入れる納屋など、必要な施設が小さくまとまっている。


 庭にいる二人の女性と、彼女たちにまとわりつく子供たちが一行を見て動きを止めた。ちょうど干していた寝藁を敷布に包んで取り込もうとしていたところで、名前は憶えていないが、ソールヴの娘と孫たちだ。


「あらまぁ、エリアス王子」女性の一人が物怖じしない態度で声をかけてきた。


「こんにちは。ソールヴ殿はおられますか?」


「おられ……ええ、おられます、おられますよ。今ちょうど別の来客があって話していますけど。王子が来たと伝えてきましょうか?」


「お願いします」


 エリアスが〝お願い〟すると彼女は笑顔で応えてロングハウスの中へ入って行った。他の男たちは〝それでは女になめられる〟と言うが、女たちのほうはエリアスの接し方を嫌ってはいない。であれば、わざわざ高圧的な態度をとって嫌われる必要はない……とエリアスは思っている。すぐに彼女は戻って来て、戸口から手招きした。「〝ちょうど良いところに来た〟らしいですよ。どうぞ入って下さい」


 エリアスたちが庭に入っていくと武装した大柄な男が出てきて、ずいっと行く手を阻んだ。ソールヴの長男で、名はレイフ。八人の子供のうち彼を含めて五人は成人している。


「連れの女は武器を持っているな。エリアス王子は良いが、玉無しと女共は駄目だ」とレイフは不愛想に言った。


 三人は素直に従って、ボリスは肩から盾を外して斧とナイフを一緒にしてその上へ置き、アウラは弓と幅広の片手剣(ブロードソード)を男に渡した。カティヤも短めの片手剣を差し出す。竜騎士の剣は特別な品物だという話だが、そんな素振りは全く無くあっさりと手放してしまった。まるで武器など必要ないとでも言うように。


 武器を預かったレイフが道を開ける。それから母屋(ロングハウス)へ向かう一行の最後尾に付いた。見張るつもりだろう。エリアスは取り次いでくれた女性に「ありがとう」と礼を言ってから中に入った。彼女はニコニコと笑顔で応じる。


 ソールヴの母屋は丘の下のロングハウスと比べて小さく、丸太を組んで作られていた。二つのロングハウスが垂直に交わった十字型をしているが、接点は中心よりずれているので一辺が長い。室内は布や衝立で仕切られ、壁に取り付けられた棚の上には蝋燭や石鹸、調味料などがあり、床には料理鍋に樽桶に壺などがある。炉端には男の子が遊びそうな戦士や怪物を模した人形が散らばっていて、奥にある機織り機には織っている途中の布が掛かっていた。小さな四角い窓から差し込む光は室内を照らすには不十分で薄暗い。


 広間の左奥に長方形のテーブルと椅子が六脚あって、その一つに座ったトーレがこちらを見ていた。上座にいるソールヴは背もたれに意匠が彫刻された立派な椅子に太った身体を詰め込んでいる。


 ソールヴは髪を伸ばして編む者が多い北方人の中では珍しく短髪で、本人いわく、〝汗で濡れた髪がうっとうしくて剃ってやったらせいせいした〟かららしい。調子の良い武勇伝もまんざら嘘ではないと思わせる大柄な体格をしているが、豊かな生活と年齢のせいで腹は風船のように膨らんでいる。家の中にこもった夏の熱気で汗をかいた顔はテカテカと輝き、髭は濡れそぼっているように見えた。


「ちょうど良いところに! エリアス王子!」


 ソールヴがダミ声を上げて手招きする。同席していたトーレも「よお」と軽く手をあげた。ふうと一息ついて覚悟を決め、胸を張って二人に歩み寄ると、ソールヴは自分の用件を優先した。


「エリアス王子、今ちょうどトーレから残党狩りで得た戦利品の扱いについて相談を受けていたのです。王子はこの(いくさ)の英雄だ。ここにいない王や戦士長より、ここにいる王子がお決めになったほうが皆も納得しよう」


 トーレがさして興味も無いという口調で続く。「俺ぁ、酒と食いもんがあって暴れられりゃあ良いんだが、家の連中が奴隷を欲しがっててよぉ。でも奴隷はヨルゲン王が全部持って行っちまっただろ。残党狩りで手に入れた奴隷もそうすんのが道理だって言う野郎がいてよ。どうなんだ?」


 トーレは話しながらエリアスのために場所を開け、ソールヴは蜂蜜酒を持って来いと家人に命じた。テーブルに付いたエリアスの目の前にはネフタールのゲーム盤とコマが並んでいる。ソールヴとトーレは奴隷の扱いについて話し合いながらこのゲームで遊んでいたようだ。


 ネフタールは格子状のマス目がある盤面に同数の手駒を持って対戦するゲームだ。手駒には大将駒とそれ以外の二種類しかない。対戦者は交互に手駒を一つずつ一マスだけ移動でき、敵と同じマスに手駒を進めるとそこで戦闘になる。戦闘はサイコロで大きい目を出した方の勝ちという運任せの決め方なので、運さえあれば一つの手駒で相手の大将駒まで取れてしまうこともある。


 子供の頃にエリアスも何度かネフタールを遊ばせてもらったが数回で飽きてしまった。手駒の進め方とか大将駒の囲い方とか、そういう戦術を駆使しても結局はサイコロの運勝負だったからだ。しかし、逆に北方の男たちはこの単純なゲームが好きだった。運良く手駒が連戦連勝したり、圧倒的に不利な状況から一つの手駒だけで勝利したりという展開があると特に興奮する。そこに自分が憧れる勇者の姿を重ねるからだろうとエリアスは思っていたが、今は少し違う見方ができるようになってしまった。運の良し悪しで命のやり取りをする――それは本物の戦場も同じだからかもしれない、という。


 エリアスは無言でゲーム盤を押しやり、蜂蜜酒を受け取って一口飲んだ。アルコールのせいで胃がカッと熱くなったが、おかげで勢いづいた気がする。


「その奴隷というのはスケイルズ人の事だな?」


 エリアスが問うと、二人は揃って返事した。

「そうです」

「他にいるかよ?」


「僕は、捕らえたスケイルズ人を解放するつもりだ」


 ソールヴもトーレも口をぽかんと開けたまま動きを止めた。猛反発を食らうのは分かっているので一気に話を進める。


「いいか、今の北方でスケイルズとアードは間違いなく二強だ。その両者が潰し合って得するのは誰だ? アルトレイムのエドヴァルド王だろう。エドヴァルド王は王位簒奪後の内乱を収めたように見えるが、実際その勢力圏はアルダー地方全体に及んでいない。つまり、もっと良い獲物がいるんだよ」


 ソールヴは困惑した様子だ。「いやいや……エリアス王子、いったい何を言って……」


「待て待て!」トーレがソールヴを制した。その目はらんらんと輝いている。「エリアスが面白れぇ話をしてんだ! 聞こうぜ!」


 この時ばかりはトーレに感謝して、エリアスは話を続けた。「今こそスケイルズとアードは手を結ぶ時だ。北方を二王で支配できるかもしれない好機なんだよ。そして僕にはその方法もある」


 エリアスは腰を浮かせて、入口近くに待たせておいた三人を手招きした。ボリスは遠慮してその場に留まり、アウラとカティヤだけがやって来る。レイフは二人の女とボリスとを交互に見て、結局はその場に残った。エリアスはテーブルの二人にアウラを紹介する。


「彼女はスケイトルムの王エイリークの娘アウラ。僕らは婚約した。この婚姻が成ればスケイトルムとアードリグの王は親族になる。つまり、スケイルズ諸島とアード地方が手を結ぶ理由になるんだ。そしてスケイルズ船のアード地方通過を許して常設の交易市を作れば、どちらも潤い、富み栄えるだろう。二強が手を組んで一強になれば北方の統一だって不可能じゃない」


「その……その娘は本物の……?」


 ソールヴはわなわなと指を震わせ、眼球が転げ落ちそうなほど目を丸くした。アウラはフードを背中に落とし、首の後ろに手を入れて金髪を散らすと、堂々と胸を張って答える。


「本物だ。わたしはスケイトルムの主にしてスケイルズ諸島の王エイリークの娘アウラ。あなた方は知らないかもしれないが、この二枚貝の首飾りを持っているのはわたしと、父に養育されたファランティア王国の白竜騎士カティヤだけ。ちなみに彼女がそうだ。婚約の証人になってもらった」


 今度はカティヤがフードを外し、それから首飾りを取り出してアウラに渡した。アウラは二枚貝の首飾りを合わせて見せ、カティヤは口を開く。


『わたしは白竜ファーンヴァースの騎士カティヤ。彼女が本物であることはわたしが保証する』


 〝竜語はそれ自体が魔法であり、初めて聞いた者でも正確に意味が理解できる〟と伝えられている。まさしくそのとおり、初めて聞いた言語であるにも関わらず正確に意味が理解できた。彼女が竜語まで披露するとは思っていなかったのでエリアスも少々驚いたが、それ以上に驚いているだろうソールヴは二人の娘を交互に見ながら口をパクパクさせている。


「そこでソールヴ、お前の力を貸してほしい。僕には彼女を迎え入れる家が必要だ。それから、父に話を通すため婚約の証人になってほしい。ソールヴほどの男が証人になってくれれば父も無下にはすまい」


 エリアスはソールヴの目をじっと見つめながら話した。あまり他人の目を覗き込むのに慣れていないため視線を逸らしたくなったが、ぐっと歯を食いしばって堪える。しかしそのおかげでソールヴの心の動きが手に取るように分かった。困惑は混乱に変わり、やがて水が地面へ浸み込むようにゆっくりと理解するにつれて動揺は瞳の奥へと消え、冷静さが浮かび上がってくる。


 その時、ガタリと音を立ててトーレが椅子から立ち上がった。エリアスが警戒して身を固くすると、長身の戦士は少年のように目を輝かせながらその場に膝をつく。


「ヨルゲンの従士は辞めだ。エリアス、俺ぁ、おめぇに付いていく。初めておめぇを見た時は弱っちいヒョロ野郎だと思った。許してくれ。おめぇは本物だ。俺はおめぇみてぇな野郎を待ってたんだ。だからよ――」


 すると、今度はソールヴが慌てて立ち上がった。「ま、待てっ! 駄目だっ!」テーブルの角に突き出た腹をぶつけながら回り込み、エリアスの前に膝をついて早口に言い切る。「最初の従士はわしだ! エリアス王子、あなたのような方を我らは待っていたのです! どうか我が忠誠を受け入れてくだされ」


 この時、この場で一番驚いているのは自分だろうとエリアスは思った。こんなにもすんなりいくとは全く想像していなかった。まるで騙されているみたいだ。アウラを見ると彼女は〝ほらね、上手くいったでしょ〟とでも言わんばかりの笑顔でうなずいている。それでようやくエリアスも上手く事が運んだのだと信じられるようになった。


「……わかった。その忠誠に名誉と富を持って報いるよう、大地の神に誓う。二人の力を僕に貸してくれ」


「はい、エリアス王子」ソールヴが頭を下げ、トーレは立ち上がって「任せときな!」と胸を叩く。


「それじゃあ、まずは――」


 エリアスの言葉をソールヴが引き継いだ。「わかっとります。この農場にあるロングハウスの一つを王子に進呈しましょう。それから人を集めて婚約の発表ですな。その場でわしも正式に証人となります」


「そろそろ家に帰るって言ってる連中がいたぜ。やるなら早ぇほうがいい」と、トーレ。


 二人の言葉を聞いてエリアスは「うん」とうなずいた。「今晩にでも婚約を宣言するつもりだ。その場でスケイルズ人の捕虜も解放する。もちろん騒動は起こさずアウラに従うと誓った者だけだ」


 ソールヴは立ち上がり、ふたたび白髪交じりの丸刈り頭を下げた。「王子の言うとおりにいたしましょう。後の事は諸々、このソールヴにお任せを。ブルンドにも連絡をやろうと思いますが、いかがか?」


 言われてみればソールヴほどの豪族ならブルンドと親交があってもおかしくない。「そうして欲しい」


「お任せあれ」


 トーレがぽんとエリアスの肩に手を置いた。エリアスの頭くらいなら握りつぶせそうな大きな手だ。見上げると、「面白くなりそうだな!」と不器用に片目を瞑る。


 この男がここまで乗り気になる理由がわからず、エリアスは困惑しつつも一旦それを無視した。トーレが味方になってくれれば、まだこの農場に残っている戦士たちを引き入れるのも容易くなるだろう。今はそれでいいはずだ。


「他の戦士たちにもうまく伝えておいてくれないか」


「おうよ」と答えてトーレはロングハウスを出て行った。


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