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プロローグ

 

 闇の中で小さな灯火(ともしび)を見つけたなら、人間は安堵するだろう。

 そこに安らぎと希望を期待して。


 しかし遥か眼下の、夜空よりなお暗い森の中にある灯火(ともしび)から立ち昇ってくるのは怒号と悲鳴だった。スケイルズ諸島の海賊が、遠く西の〈鉄の海〉からやって来て、市を略奪しているのだ――。


 細長く前後に尖った彼らの長船(ロングシップ)は、テストリア大陸の北方を流れる大河ゴルダーの支流にまで進入できるので、森に覆われた内陸部にも海賊たちはやって来る。


 それが分かっていながら川沿いに交易市を開くのは、彼らの来訪を期待してもいるからだ。スケイルズ人も最初から略奪者としてやって来るわけではない。ただ彼らにとっては略奪もまた交易活動の一部というだけだ。交渉が決裂するなどして必要な物が手に入らなかった場合、彼らは躊躇わずに武力を用いる。


 もちろん、市には〝武器を抜かない〟という決まりがあった。ゆえに略奪は市が閉まった夜間に行われる。


 争いの気配は市に集まった各人が感じ取るべきだし、略奪者も「夜にまた来る」などとわかりやすい言葉を残していくのが通例だから、北方人の感覚では無法でも卑劣でもない。むしろ奪われた者こそ、自分の物を守り切れなかった弱さを恥じるべきだし、それを持つに相応しい者では無かったと見做される。


 〝汝欲するなら勝ち取れ〟という言葉は、このような北方人の世界観を端的に表現している。


 ――眼下の灯火(ともしび)を視界に捉えながら月の無い闇夜を旋回して少し離れた場所に降り立った男は、森の中を歩いて炎に包まれた市までやって来た。


 美しい純白の髪は櫛を入れたように整っており、背中の半ばまである。年齢不詳の顔立ちは淡白だが、鼻筋は通っていて、口元や顎には男性的な厳格さが見られた。首から下は足元まですっぽりとローブに包まれ、まるで筒のようである。


 上空からは燃えさし程度だった灯火(ともしび)は、今や圧倒的な熱量と火勢を持って眼前で燃え盛っていたが、純白の髪の男は火の海にも、充満する煙にも臆さず平然と踏み入った。


 転がる死体や建物の様子を見れば、今回は海賊が勝利したと分かる。しかし、ここまでの破壊が行われるのは珍しい事だった。脅かすつもりで放った火が意図せず燃え上がってしまったのか、それとも相手の抵抗が激しすぎて海賊たちの逆鱗に触れたのか、理由は分からない。当事者たちはすでに撤退していて、残された者たちも朝までには炎とともに命尽きるだろう。


 ふいに、何かに誘われるようにして、純白の髪の男は進路を変えた。めらめらと燃え上がり、今にも倒壊しそうな建物の手前で立ち止まる。


 そこには血で黒く髪を染めた赤毛の少女が、ぺたんと地面にへたり込んでいた。まだ五歳くらいだろうか。服も腕も血に塗れていて、そうでない部分のほうが少ない。傍らには短剣が無造作に放ってあった。純白の髪の男には目もくれず、目の前に横たわる男を呆けたように見ている。


 その男がすでに死んでいるのは一目瞭然だ。鎖帷子(チェインメイル)鱗片鎧(スケイルアーマー)というスケイルズ諸島の戦士らしい格好で、顔の下半分は大量の血に染まっている。吐血したのか、首を裂かれたのか、おびただしい量の血によって一目見ただけでは分からない。下半身は無残にも圧し潰され、燃え落ちようとしている小屋をやっと支えている梁の下敷きになったままだ。


 純白の髪の男は、その死んだ男を見下ろして初めて、ぴくりと眉を動かした。彼はこの男が何者か知っていた。少女に問う。「君は、この男が何者か知っているのか?」


 少女は顔を上げた。その瞳には生きる意志も希望の光も、絶望すらも残っていない。「……うん。お父さんとお母さんを殺した人。あと、弟も殺した」


「そうか」


 少女はかくんと頭を落として、再び死んだ男に視線を戻す。いや、実際には何も見てはいないのだろう。


 燃える建物が完全に倒壊するまで、残された時間はあと僅か。地面にへたり込んでいるやせっぽちの少女は煙に巻かれて窒息するより早く、倒壊した建物に押し潰されて死ぬだろう。炎にまかれているので逃げ場もない。


 純白の髪の男は最後に尋ねる。「それで君が仇討ちをして……この男を殺したのか?」


 少女は顔を上げて、答えた――と同時に、バリバリと音を立てて建物が一気に燃え落ちる。少女の声はその音にかき消され、少女自身も、倒壊した建物に押し潰されてしまうはずであったが、純白の鱗と皮膜を持つ巨大な翼が少女を救った。熱を防ぎ、黒煙を吹き散らして、少女は清浄な空気に包まれる。その瞳の奥で死にかけていた心が瞬き、少女は驚いて顔を上げた。そこにあったのは――純白のドラゴンの、大きくて真っ赤な瞳。


 純白のドラゴンは少女と男の遺体を掴み、翼を羽ばたかせて燃える残骸を蹴散らすと夜空に舞い上がった。そして闇夜を滑るように、西の空へと飛んで行った。


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