短編:騎士団長と優雅なひととき
「ミルキー、君も飲むかね? この紅茶。我が国の所有するあのラァウール山脈のふもとで取れた、最高級の茶葉を使ったものだ。きっと君も気に入ると思うんだが」
騎士団長は執務室の中、開かれた十字窓に乗っかった、青いこじんまりとしたかわいらしい小鳥に向かってそう告げる。手に持った紅茶から、限りなく高貴な、そう高貴なかぐわしい香りが漂った。
ぴよっぽ。ぷるっぷる。青い小鳥の愛らしい歌が部屋に、まるでフルートの調べのような穏やかさをもって招き入れられる。
ああ、思い切り撫でまわして存分に堪能した後、青空に飛び立っていく姿を消えゆくまで見届けたい・・・。しかしそんなことをすれば、ミルキー――――勝手に名付けた――――が嫌がって山に帰ってしまうだろう。
「もどかしい。まるで春の恋人のようではないか。花のようにつかみどころがなく、乱暴にすればすぐに枯れてしまうのだろう? ミルキーああ、ミルキー。檻に入れてしまおうと何度考えたことか。でもそれは君と青空とを分かつことになる。いやだよ僕は。そうして泣く君を見たくないんだ・・・」
そんなことを考えただけでも、騎士団長の手に持ったティーカップは、もう片手に持ったソーサーの上でカタカタと震え始める。
――――一つ風が吹いた。
ミルキーがしまっていた翼を広げた。
「ああミルキー、今日はもう行ってしまうのかい? いいと思うよ。青空が君を待ってる。今日の風は君を乗せるための馬車になるだろうから、君は立派なお姫様になっておいで。ああでも、僕よりも素敵な王子様を見つけても、浮気しちゃだめだからね」
ミルキーは騎士団長の言葉を知ってか知らずか、タイミングもよく飛び立っていく。空の青に溶け合っていくその姿は、何度見てもいいものであった。
騎士団長は十字窓に背を向けた。もう外に用はない。景色は人の群ればかり。直に見ようが、ガラスを通してみようが変わらない、私利私欲にまみれた胡散臭い連中が跳梁跋扈している阿鼻叫喚の世界。
「ああ嫌だ嫌だ。ミルキーのいない時間なんて退屈で退屈でしょうがないよ全く」
騎士団長は紅茶を一気に飲み干した。ミルキーに自慢しようとして少し奮発した紅茶だったのだが、肝心のミルキーがいないのでは全く味がしないのだった。
ティーカップを執務机の上に置く。よく磨かれた大理石と、樹齢百年を超えるという特別な大樹を使って作られた、王国騎士団長専用の執務机。何を上においても小気味の良い高品質な音を立てるのだから、お気に入りだ。
騎士団長は暇になった右手で、こしにぶら下げた宝剣の柄をなでる。
「レーヌ王国、国王陛下直属ローゼン騎士団、騎士団長クロウ・ド・ボナパルト。レーヌのムッシューとは彼のことだ、なんて言われてるけど、もう嫌だよミルキー」
柄の、すべすべつるつるといった、感触だけは一等品だとわかる。だが肝心の剣の価値はわからない。ボナパルト家が代々家宝にしてきた宝剣だというのはわかるが、それ以上のことは知らないし、知るすべも持ち合わせていない。何よりも知りたくないという気持ちが一番である。
「あぁあ、騎士団長、やめちゃおうかなぁ」
――――――――すると、執務室の中の、とある場所から苛立ち気に足踏みをする音が響いた。
騎士団著が面倒くさいといった顔でそちらを見ると、彼女がいた。
腕組をして執務室に置かれた革製のソファにどかりと座っている。
「さっきからミルキーミルキーって、いったいどっちのことですか。あの鳥ですか? それとも私ですか? 私の場合今すぐあなたを切り捨てますが!」
長い銀髪を一つにまとめたその美しい女性は、銀色の胸当てと、家紋の入った同色のガントレット、錫を混ぜた特注品のグリーブを履き、左わきには丁寧に前蓋のついたヘルムを置いている。
生粋の軍人といった風情の彼女は、事実頭の中に戦争と国の繁栄という二つの事柄しか詰まっていない。
翡翠色の瞳の中に感じる火傷しそうなほどの情熱にはいつも悩まされる。
彼女の名前はミルキー・ラ・ベルベット。騎士副団長である。
「もちろんミルキーのことだ。僕はミルキーを愛しているからね」
騎士団長は執務机の椅子を引いた。優雅に、舞い散る羽のような軽やかさで椅子に腰を落ち着ける。軍人にはまねする事すら出来ない美しいその所作を、騎士団長はミルキーに見せつけた。
「君ももっとおしとやかになったほうがいい。この前の婚約も結婚直前に破棄されたんだろう? ああ、かわいそうに。いつも僕に怖いこと言ってるからそうなるんだと思うがねぇ」
ドンッ! 一際大きく靴で床を叩く音がした。彼女の、ミルキーの仕業であった。
「ああ切ってしまいたい・・・!」
「ほらほらそれだよそれ。もし僕が君の結婚相手だとしたら真っ先に逃げ出すね。殺されかねないから」
「じゃあ悲鳴上げて逃げてください。それを見れば少しはすっきりするはずですから」
「おおこわい。・・・まあ、今のところ騎士団長だから、逃げたら怒られるんだがね?」
ミルキーの眉間にしわが寄る。怒りっぽいのは彼女の悪い癖だった。
騎士団長は肩をすくめる。背筋を伸ばしてミルキーに告げた。
「試しに君、いや試しにだね? 僕に優しく接してみるというのはどうだい? 君のお父さんも君の結婚をそろそろ決めたいと思ってらっしゃるんだろう? その時困るじゃないか。次々と破談になったら。そのうち相手を選ばなくなってしまうかもしれないよ?」
騎士団長がそういうと、ミルキー視線をあさっての方向に飛ばした。
「団長はうちのことに首を突っ込みすぎです。先日だって父上と朝まで飲んでらしたんでしょう? 一か月前なんて私と団長の二人で父上の領地の視察にまで行きましたし、いい加減にしてください。何考えてるんですか。切りますよ」
「切らないでくれよ。痛いだろう?」
するとミルキーは腰に提げた剣の柄に手をかけた。眼光は一気に鋭くなり、視線だけで刺す勢いであった。
「――――――――本気で切ると言ったら、どうしますか」
怒ったのかもしれない、と騎士団長は思った。
しかし、別段どうすることもできなかった。
「おとなしくスパっといくんじゃないかなぁ」
ミルキーはその言葉を聞いて、深いため息をついた後に剣の柄から手を離した。危ないほどにまでとがらせていた視線は元に戻り、気配は静寂なものへと変化した。
「――――心配せずとも、どうせ私の剣は届きませんよ、団長だけには」
再びミルキーは深いため息を漏らす。それは酔っ払いの親父が酒を一気に飲んだ後に吐くような、おおよそ乙女がするものとはかけ離れたものだった。
「王国騎士団長は権力やよこしまな力ではなりえないものだって、団長もわかっているはずでしょうに。ああ、その実力をもっと発揮してくれれば、私も団長に優しくできるんですが」
団長は首を振った。それはもうぶんぶんと。
「嫌だ嫌だ。疲れるのは苦手なんだ。以前君に決闘を申し込まれたときなんか、疲れすぎて家に帰ってから死んだように眠ったんだから」
「よく言いますよ。三分で私を負かせたくせに。私の初めての敗北がたったのそれだけで終わるなんておもいもしませんでしたよ」
「偶然だよ偶然。たまたま君の攻撃を僕が防げて、僕の攻撃が奇跡的にも君にあたったというだけの話だ」
「ああそうですか・・・! ハイハイわかりました。私が弱かったですね! これでいいですか? 切りますね?」
ミルキーは青筋張った顔で刀身を鞘から半分ほど抜いた。
「うんちょっと待ってくれ。確かに君は強かったね! でも僕の方がほんのすこぉし強かったんだきっと! ああそうだそうに違いない」
――――ミルキーは剣を収めた。不貞腐れたような目線が、団長に向けられる。
そのままミルキーはぷいっとそっぽを向いて立ち上がった。陶器のように滑らかな白い肌に、血色のいい赤が混ざっていた。すこぉし頭に血が上っている色であった。
「とにかく、私は真の実力を発揮した団長に仕えます。優しくだってしますよ? お望み通りね。ですが今のままであれば永遠に私はこのままですから! 残念でした!」
どかどかと足音を立てながら執務室の部屋のドアを開け放った。銀色の後ろ髪が右左に揺れる。ぷんすかぷんすかと噴火しながら立ち去っていく様子は、どこか子供じみたものを思い起こさせた。
静まり返った部屋の中、団長はミルキーの座っていた場所を見た。
「ヘルム・・・忘れて帰っちゃったよ。あとで彼女の家に届けに行かないと」
すぐに追いかければ十分に間に合うが、そんなことはしない。ついでに彼女の両親にも挨拶をしておきたいのだ。
開いた十字窓に青い小鳥が舞い戻ってくる。ぴぃちくぱぁちく。耳触りのいい音が部屋をめぐる。
そして青い小鳥と共に、騎士団長は十字窓の外を眺めるのだ。
通りには、銀色の髪を左右に揺らしながら、大股で、おおよそ乙女らしからぬ動きで帰っていく少女の姿があった。
騎士団長は、それを見て自然と優しい笑みをこぼしていた。
「――――変わってほしくないからこのままでいるって言ったら、怒るかな? ねぇミルキー」