課長 山ノ内
~ JR新幹線ひかり467号・岡山行車内 ~
第二殺人の報を受けた佐久間は、山川と静岡県浜松市へ向かっている。村松泰成の無実を確認することが目的だが、心中は複雑である。
事件関係者として認識されていない村松泰成の擁護を今行えば、静岡県警察本部に誤解を与えてしまう可能性があり、警視庁と軋轢が生じるかもしれない。だが、第二殺人の現場不在証明を確認しなければ村松泰成が捜査対象外になる事もない。村松泰成に関係する人間が、連続して死んだ事に間違いないのだ。
事態を重くみた佐久間は昨夜、課長の安藤と方向性を話し合った。捜査一課の特性を考慮しなければ、生じた軋轢が、今後多方面で影響が出るのは明らかだ。
村松泰成から捜査要請を受けた事実があるにせよ、現場不在証明を静岡県警察本部に仁義を通さず聞く訳にはいかない。経緯が受け入れられるよう、先に静岡県警察本部に情報提供したうえで、共に捜査する選択をしたのである。無論、この事は村松泰成には話していない。
車窓から富士山を見つめる佐久間に山川が質問をする。
「警部。一体、どのような構図を描くつもりですか?」
(………)
「相手の温度感によるかな。上手く言えないが、この事件はとてもきな臭いんだ」
「と申しますと?」
佐久間は、車内販売で回ってきた女性に二千円を手渡し、駅弁とお茶を二つ購入した。
「腹減ったね、弁当を食べながらでも?」
「遠慮無く頂きます」
「…本来であれば、静岡県警察本部所管の殺人事件が、村松弁護士を中心に警視庁が巻き込まれる絵図となっている。犯人が最初からこうなるように仕向けたなら、警察組織に対する挑戦となり、騒動は大きなものとなるだろう。…まあ、普通に考えるとあり得ないがね」
「その通りです」
「単純に考えて、村松弁護士に恨みを晴らすために発生した殺人事件なら、警視庁は極力介入すべきではなく、静岡県警察本部が陣頭指揮して解決すべきだ」
「それも分かります。要は、お友達の村松が警部に泣きついたからこうなったんです」
「極論はそうなるね。だが、友人としては何とか助けてやりたいと考えているよ」
「…確かに、それも理解出来ます」
二人はしばらくの間、幕の内弁当を無言で食べる。今回の事件は、流石にいつもと雰囲気が違い、山川も気軽に話しかけられない。村松弁護士の事は気に入らないが、悪く言い過ぎても角が立つ。自分が同じ立場なら、例え同僚から非難されても、今の佐久間と同じように手を差し伸べるであろう。そのもどかしさから、どうしても車窓に目がいってしまう。
「静岡県警察本部は警視庁捜査一課が介入している事は夢にも思わないだろう。だからこそ、火種が大きくなる前に全員でこの事件を共有し、警視庁が一歩引く姿勢を見せる事が一番良いと思うんだ。村松弁護士には悪いが、組織と友人の天秤を掛ける訳にはいかない。でも、友人として何かあれば単独で助けようと思う」
「そこまでお考えとは。…ところで、その大きな荷物は何ですか?」
「これかい?…これは、後のお楽しみだよ」
~ 十二時、浜松中央警察署 ~
浜松中央警察署で佐久間を待ち受けていたのは、静岡県警察本部捜査一課長の山ノ内、捜査一課二十名、そして浜松市所管の各警察署長・副所長を初め、今まで関連を捜査した者たちだ。
昨夜、捜査一課長同士で情報共有がなされた。山ノ内から捜査一課内に、捜査一課から各所轄署へ直ぐに伝達され、緊急招集が掛かったのである。招集された中には、佐久間を一目見ようと、興味本位で集まった人間も含まれていた。
「本来、警視庁が静岡県警察本部の捜査に口を出すことは仁義上、好ましくありません。その点を考慮し、警視庁は一歩引いた位置で、これまで入手した情報を水平展開させて頂きたく、無理を言って場を設定して頂きました。今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「よろしくどうぞ」
「二月十四日と三月二十七日、遠州鉄道の無人駅付近で発生した二件の殺人事件ですが、ご承知の通り村松泰成弁護士が過去に弁護した人間です。一月の段階で村松弁護士が東京に赴き、私にある相談をしておりました。当時、事件性はないので警視庁としても捜査はしておりませんでしたが、ここから全てが発生したものと考え、公表に踏み切ります。まず、今までの経緯を簡潔に示せるよう整理してきたので、これをご覧ください」
佐久間は用意した大きな模式図をホワイトボードに掲示し、解説を始める。
「発端は、村松弁護士がここに記載の通り、殺害された者たちを『夢や記憶』で半年以上前から頻繁に見たことから始まります。村松弁護士は浜松聖霊病院や常葉学院大学に治療を求めましたが、根本的な解決とはならず、不安を払拭出来ないため、「もし自分に不測の事態が起こった場合は警視庁に捜査して欲しい」と『捜査要請』の書簡を提出しています。これを受け、警視庁は経過観察扱いとしておりました」
会議室内では、この新事実に声があがる。
「では、村松弁護士がこの事件の引き金だと?」
「まあ、お待ちください。続けて説明していきます」
山ノ内も部下たちに質問を控えるよう目で諫める。
「二月十四日、遠州鉄道の八幡駅付近で第一の殺人が起きました。警視庁がこれを知ったきっかけは村松弁護士からの電話です。事の顛末はあえて申しませんが、警視庁としても捜査要請を受けている以上、村松弁護士の現場不在証明を確認する必要がありました。第一殺人の際、村松弁護士は就寝中であり嫌疑に掛けられたそうなので、当面の間、不特定多数の場所で寝泊まりし、不測の事態には無実を証明出来るように促しました。…これは後に後悔することとなりますが」
佐久間は説明を続ける。
「次に、三月二十七日の事件です。これも村松弁護士から電話を貰い、夕方のテレビニュースで知りました。この日の為に村松弁護士は不特定多数の場所で寝泊まりをしていた事から現場不在証明を証明出来ると思われますが、ここで問題が生じました」
「問題とは何でしょうか?」
「村松弁護士が犯人の場合、この現場不在証明を利用し、犯行を行うという事です」
会議室内は一気にざわめく。
静かに聞いていた山ノ内が口を開いた。
「…評判が高い佐久間警部のことだ、何か思惑があるんだろう?静岡県警察本部の事は構わんから持論を展開したまえ」
山ノ内が言葉を発したことで、部下たちは発言出来ない。黙って佐久間を見守る。
「ありがとうございます。…では申し上げます。まず村松弁護士が犯人の場合をA、犯人でない場合をBと仮定して話をします。Aの場合、私に接触を求めた時点から壮大な殺人計画を立てている事になります。記憶の話をする事で警視庁捜査一課に複数人の被害が出ることを連想させる。この時、何人が記憶や夢に出て来たのか人数を言いませんでしたので、手の内は村松弁護士にあります。第一の殺人では、現場不在証明を確認する時期が尚早であったため、それ以上、村松弁護士への接触は静岡県警察本部や浜松中央警察署も出来なかったと思います。これは警視庁というよりも私の失態ですが、第二殺人を予想し、第一殺人の嫌疑を再び掛けられぬよう、現場不在証明を証明出来るよう助言してしまいました。村松弁護士がこれを逆手に取って時間的な罠を駆使して第二殺人を起こしていた場合、崩すのは至難の業でしょう」
「…済んだことは仕方あるまい。犯人でなければ助けるだけだ。Bの場合は?」
「村松弁護士が殺されるでしょう」
(------!)
(------!)
「二件とも村松弁護士が弁護し、勝訴した元被告側が殺された。連続性がなければ、被害者に恨みを持つ人物の犯行と予想は出来ますが、偶然にしては出来過ぎています。これは犯人から村松弁護士へのある予告だと考える方がスマートです。これを教科書通り考えると、犯人は村松弁護士に敗れた関係者になります」
(------!)
(------!)
「ちょっと待ってくれ。浜松中央警察署の総力を挙げて神田夫妻は調べたが、潔白だったんだぞ。となれば、第二殺人の被害者中田光治の相手、つまり元原告側の人間で金原という事になる」
「それはまだ早計です。村松弁護士に恨みを持つ人間が、たった二人を殺して終わりとは思えません。それにたった二人目で足がつくやり方を犯人が選ぶとは思えません。村松弁護士を恨んで復讐するのであれば、それなりに準備してから策を弄するはず。でなければ弁護士の頭脳に敵いませんから。…これらを鑑みて、村松弁護士が過去に担当した人間で、まだ被害を受けていない類似者を調べ上げて、対象者を減らしていくんです」
山ノ内はニンマリとしながらも、安藤が羨ましいと思った。
(…刑事の質は判断力と統率力。そして、方針を決め、戦局を見極める先眼力と先導力。…この男には全てが備わっている。初対面というのに、己の力を見せつけるのではなく、少し発言するだけで王者の風格を滲み出し、場を掌握する。…それをこの年齢で身につけている、これは安藤や自分にもない力だ。…将来は警視総監に立つ器という噂も満更でもない)
「佐久間警部ならこの先どう捜査していく?」
「…冒頭で申しました通り、警視庁は一歩引いたところから支援します。捜査権限は静岡県警察本部です。本日の午後一に村松弁護士の現場不在証明を確認し、まずは立証出来るか検証します。私自身、まだ村松弁護士が完全に潔白とは断定出来ず、両方のパターンで捜査する必要性があると思っています。また、村松弁護士の潔白が証明され、犯人に嵌められた場合は、何とか助けてやりたいとも思っています」
「陣頭指揮するつもりはあるかね?」
この言葉に、会議室内は凍り付いた。他所者に指揮を奪われるかもしれないのだ。早々に捜査指揮から外された鈴木警部は大いに反発を見せた。
「課長、お言葉ですが、それでは組織が成り立ちません。合同捜査ならまだしも、この事件は静岡県警察本部主導で解決すべきです。警視庁の新情報で捜査が一歩前進したのは事実ですが、佐久間警部でなくとも、この事象はあり得ました。その点を考慮され、どうか…」
山ノ内の見えない圧力が会議室の空間を支配する。
「…言いたい事はそれだけか?…佐久間警部。君なら真意を汲み取れるな?」
山川も心配そうに佐久間を見守る事しか出来ない。
(………)
全員が固唾を飲んで見守る中、佐久間は即答でこれを拒否した。
「やはり陣頭指揮はまずいでしょう、士気に関わります。静岡県警察本部は山ノ内課長あっての組織です。陣頭指揮しない代わりに置き土産をして、支援する側に徹します。…これで宜しいですね?」
この回答に、山ノ内は声を上げて笑った。
「流石は佐久間警部だ。『1』言えば『10』答えが返ってくる。安藤が嫌になったら、いつでも来い。捜査一課長職を喜んでくれてやる」
この発言には全員が驚愕した。
事実上、警部職の佐久間が捜査一課長の山ノ内と同格に位置するからだ。榎田はおろか各所轄警察署の幹部も従うしかなくなるのである。各自の気持ちを理解する佐久間は、奢ること無く謙虚に話を続けた。
「お気持ちだけ頂いて、置き土産の話をさせてください。私が静岡県警察本部の一員としての考えです。まず、第一犯行と第二犯行の共通点がないかを徹底的に洗います。殺害の手法、時間帯、曜日、発見した時の状況などです。無人駅付近で人が少ない、交通量が少ない、防犯カメラ画像がない、目撃者がいない。この事から何が見えますか?…はい、そこのあなた」
唐突に指名された捜査官は、虚を突かれ何も回答出来ない。また、周囲も『自分にだけは質問が当たりませんように』と祈る気持ちで目線が下を向いてしまう。
「このように虚を突かれると、人間は固まってしまい何も出来ません。先程質問したのは当然、まだ答えはありません。それは何故か?…それは誰も何も見ていないからです。犯人は何故かは知りませんが、遠州鉄道の無人駅付近に拘りを持っています。この二件から逆転の発想をしてください。犯行を突き詰められなければ、防止すれば良いんです。………もうお分かりですね?」
山川も質問者として捜査会議に参加する。
「まだ、捜査していない無人駅を洗えという事ですか?」
「その通り。失礼だが、都会と違って遠州鉄道の赤電が通る駅数は単線で十八駅と少ない。そこから有人駅と利用数が多い駅、すでに舞台となった駅を控除していくと僅か八駅です。その付近に防犯カメラを増設してください。これによって犯人の目星がつく確率が飛躍的に上がります。次に目撃証言ですが、目撃証言が取れないなら、取れる環境を整えれば良いんですよ。では、どうやって作りますか?……一番後ろの方」
「…近くにアパートを借りるとか人を雇うとかでしょうか?」
「良い回答です。だが、問題もあります。…次の犯行がいつ起こるか分からないからです。長期的に考えなければならないし、八駅全てに人を継続配置する事は、捜査の士気が維持出来ないかもしれない。なので、程々で結構です。二件の傾向から、犯人は人目につく様に、あえて遠州鉄道の無人駅付近に遺棄している事から、残り八駅で犯人が遺棄しやすい場所や環境を絞り込む事をお勧めします。これを行う事で、労力はある程度削減出来ますよ」
(…何て男だ。課長に即答する胆力といい、課長が佐久間を見る目が、俺たちを見る目と全く違う)
鈴木は佐久間を心底恐れた。
自分が捜査している時、この発想は微塵もなかったからだ。壇上の男が、同格の警部とは信じたくない。
「これまで話した内容は、今後の被害抑制を図るための手法です。では次に、二件の背景捜査に移ります。共通しているのは、村松弁護士が関わっている点です。手分けして構わないので、過去の履歴を全て洗ってください。そして、村松弁護士が原告・被告を問わず逆転勝訴した事件に特化して洗い出しをお願いします。洗い出しが済んだら、元原告と元被告両人の現所在を把握します。遺棄している事から県外であっても、看過しないよう注意です。所在を掴んだ時点で闇雲に接触すると、犯人に逃げられるおそれがありますので、裏が取れない限り避けた方が良いでしょう。相手の事件背景、感情、その後の生活。それらをある程度把握して、接触しても問題ない人物から当てってください。ここが重要ですので、慎重にお願いします。………山ノ内課長、これで宜しいですか?」
うんうんと満面の笑みで山ノ内は頷く。
「全員聞いたな、巻き返すぞ。ここまで来たら、本部も所轄も関係ない。内輪揉めしている場合でもない。一丸で状況を打破するんだ、良いな!」
「はい!」
「了解です!」
「かしこまりました!」
(良い課長だ。……安藤課長。伺った通り、凄い統率力を持つ方ですね)
こうして、佐久間は場を掌握し、軋轢を生む事なく友人の元へ向かうのであった。