友人と弁護士
~ 三月二十八日、静岡県警察本部 ~
「一体、どうなっているんだ?」
早朝から、静岡県警察本部の捜査一課では情報が錯綜している。所轄の浜松東警察署刑事課と連携が上手くいかず、初動捜査自体が後手になっているのだ。鈴木警部は部下の花田を引き連れ、パトカーで現場へ急行する事となった。前回の殺人事件で、隣の所轄署である浜松中央警察署の動きを制限した『しわ寄せ』が早速、鈴木自身に跳ね返ってきた形だ。
パトカーの車内で、花田憲弘は当然の質問を鈴木にぶつける。
「鈴木警部。浜松東警察署がここまで機能しないなんて、前代未聞です。『前回の事件と関連しているらしいから静岡県警察本部でどうぞ』なんて、舐めきっているし、組織として間違っています。ガツンと行きましょう、ガツンと!…でも何でここまで、反発されないといけないんですかね?課長までこの情報が届いていないってのが厄介です」
(………)
鈴木は、前回の捜査会議で浜松中央警察署に対して三行半を突きつけ、捜査権限を参加者全員の前で勝手に静岡県警察本部に移していた。経緯を含めた全貌を本部に伝えようとした矢先、別件の強盗殺人事件が発生し対応に追われたことで、捜査一課長へ報告を怠っていたため、騒ぎが大きくなってしまっている。浜松中央警察署長が静岡県警察本部の上層部に直訴でもしたら自分の立場がどうなるか?そればかりが脳裏に浮かび、その不安がそのまま貧乏揺すりに出てしまっている。
「…鈴木警部?」
「前を見て運転しろ、命令違反者は後で処罰するさ。それよりも、もっとスピードを上げて一秒でも早く現着するんだ。初動捜査が中途半端で終わってしまうぞ」
鈴木警部を乗せたパトカーは南安部交差点経由で県道84号線に入り、サイレンを鳴らしながら東名高速道路『静岡IC』に差し掛かる。
(ここからまだ一時間か。…よりによって、また遠州鉄道界隈か。…全く、どうなってやがる)
二月に発生した松本剛絞殺事件で、これといった証拠があがらず、捜査は難航している。背後関係といっても、松本剛は天涯孤独で所帯はおろか、肉親もいない。因果関係で考えられる元原告側、神田雄一は妻の不貞でとうの昔に離婚しており、元夫婦両人とも現場不在証明があった。しかも両人とも事件当時は大阪府と熊本県におり、どう考えても浜松市での犯行は不可能であった。防犯カメラからは犯行に結びつく映像は見つからず、下足痕やタイヤ痕からも進展が見られない。浜松中央警察署の刑事たちも他の事件対応に追われ、何度催促しても対応に時間を要しているのが現状だ。
鈴木自身、自ら何度も現地入りして、状況を打破しようと試みているが、半ば諦めも入っている。警察官としては失格だが、元を正せば、松本剛は被告人であり、裁判で判決が覆られなければ、受刑者であったことから、天罰が下ったのだと自分に言い聞かせようとしていたのかもしれない。捜査関係者たちも口には出さないが、自分と同じ意見だとも感じており、そのために松本剛に対して捜査を積極的にしないのであろうとも思ったのである。
(残された事件関係者といっても、あの敏腕弁護士だけか。…だが、村松弁護士に松本を殺す動機も利益もない。馬鹿な浜松中央警察署のせいで迂闊に近づく事も出来ない。警部たるもの、捜査でこけたら浜松中央警察署はおろか、静岡県警察本部からも徹底的に叩かれるだろう。…最悪は捜査を外される。……誰にこの責任を取らせるべきか)
鈴木のしたたかな考えを乗せ、パトカーは天竜川を通過する。
「警部、そろそろ浜松ICです。浜松中央警察署に立ち寄りますか?」
「…一秒でも早く現着するんだ。浜松中央警察署の事だ。帰ってしまうぞ」
花田は大笑いする。
「んな馬鹿な。そんな事したら懲戒もんですよ。なんなら、私が諫めましょうか?」
「馬鹿はほっとけ。何としてもスピード解決するんだ」
~ 静岡県浜松市東区積志町 ~
遠州鉄道積志駅。
駅舎は有るが、終日無人の駅である。年間31万人が利用するが、時間平均の利用者数は42人であり、過疎化が進んでいる。二俣街道を天竜方面に進み右折すると、積志駅を三十メートル過ぎた辺りで規制線が張られ、野次馬たちが捜査状況を見守っている。
(あそこか。報道陣はいないようだ)
「花田、そのままサイレンを鳴らして突っ込め。野次馬どもを蹴散らすんだ」
「警部、何か嫌な事でもあったんですか?本部出てから、ずっと険しい顔ですが」
花田の言葉に内心動揺するも、悟られないよう真顔で前方だけを見つめる。パトカーは規制線の中で停車し、鈴木は停車とほぼ同時にドアを開け、奥へと歩を進めた。アパート横の空き地から川沿いの小道に差し掛かるところで、初動捜査中の捜査関係者たちと目が合ったが、誰も率先して挨拶はおろか出迎えもしない。
「捜査状況を説明しろ」
上から目線で説明を求める鈴木に対して、捜査員たちも冷ややかだ。
「…遅いお着きで。では、静岡県警察本部に捜査状況を説明し、引き上げさせて頂きます。被害者は、免許証から中田光治、三十九歳。履歴照会を行った結果、八年前に天竜区で起きた幼児誘拐事件で逮捕されておりますが、その後の裁判で無罪判決を受け、釈放された男でした」
(何だって?)
「二月の事件と一緒だと?」
「…さあ、どうでしょう。ですが、当時の弁護士は村松泰成弁護士でした。だから今朝、静岡県警察本部に『前回と関連性があるかも』とお伝えした次第です」
愛想がない応対に駆けつけた花田が切れる。
「さあとは何だ。いつから浜松中央警察署はそんな横柄な態度で接するようになった?いいか!組織ってもんは…」
失笑される中、慌てて鈴木が花田をたしなめる。
「まて、花田。浜松東警察署も思うところがあるんだろう。おい、お前は何て名前だ」
「…柴山ですが」
「階級は?」
「巡査部長です」
「では、柴山巡査部長。改めて問う、現在判明している初動捜査状況の説明を」
柴山の対応を応援する形で同僚の捜査官たちが集まる。
「先程話したとおり、被害者は中田光治です。財布には現金、クレジットカード、免許証などが残されており物取りの犯行ではありませんした。死亡推定時刻は、昨晩二十三時から本日三時。死因は絞殺と思われます。この周辺には防犯カメラはなく、近くのアパートにも聞き込みしましたが、不審車両が駐まっていた情報はありません。死亡している場所で争った形跡もない事から別の場所で殺害され、ここに遺棄された可能性が高いと思われます。下足痕とタイヤ痕は採取出来たので、二月の事件と関連性があるか科捜研に依頼するところで止めています」
ここで、また花田が切れる。
「おい!止めているってどういう事だ?浜松東警察署はそんな判断も出来ないって言うのか?それとも静岡県警察本部を馬鹿にしているのか?…おう?」
益々、失笑する声が聞こえる。
「…これは異な事を。浜松東警察署は静岡県警察本部の命令なしに一切動く事のを禁じられたので、出来る職務を全うしているに過ぎません。これは、隣の浜松中央警察署と同様です。事の顛末は浜松中央警察署から情報として水平展開され、情報共有されております。…逆に伺いますが、単独行動を禁止され、全ての権限を剥奪され、かつ、静岡県警察本部の号令なしに動けない各所轄署が一体どうやって捜査をするんです?…あまり横柄な態度で凄まれたら、所轄署にも意地があります。団結して、静岡県警察本部ではなく警察庁に直訴しないと立場がありませんねぇ」
(何だって?)
「鈴木警部。これは一体どういう事ですか?…自分は何も聞いていませんよ」
鈴木は慌てて、場を収拾しようとするが一触即発の空気を押さえることは出来ない。
「では、鈴木警部。浜松東警察署はこれで失礼しますよ。今日は緊急なので、浜松中央警察署にも応援に来て貰いました。これ以上は捜査したくても出来ないので、後はよろしくお願いいたします。規制線と最低限の捜査員は残しますので、何なりと浜松中央警察署ではなく、浜松東警察署の捜査員にご指示を。無駄な動きはさせたくないので、具体的かつ的確な指示をお願いいたします。働き方改革で騒がれていますから、ご容赦くださいませ」
柴山たちは、今後の事を見据えて建設的な態度で対応しながらも、丁寧に嫌みを言い残して現場を後にする。逆に鈴木警部と花田は握り拳から血が滴り落ちるくらい、力を込めて耐えるしかなかった。完全に頭に血が上っている状態では、些細な証拠を見つけられるはずもなく、ここでも失態を見せると共に今後の捜査に大きく影を落とすことは避けられなかった。
もし、通常の捜査形態であれば、広範囲で隈なく捜索し、川沿いに設置されている防護柵裏側に付いているピンマイクを見落とさなかったであろう。三百メートル程、離れた小屋で捜査状況を盗聴している犯人はこの様子に、笑いで声が出るのを必死に堪えていたのである。
(…くっくっく、馬鹿すぎて話にならないねぇ。どんな捜査展開になるか分からないから盗聴してみれば、醜い内部抗争で初動捜査も満足に出来ないとはねぇ。…大丈夫でちゅか?日本の警察は優秀じゃないのかい?ギリギリの展開を期待してるんだから、もう少しドキドキさせてくれよぉ)
この失態は、すぐに花田から捜査一課長へ報告が為され、午後には捜査一課問わず全ての課に情報が広まった。当然、鈴木警部は大目玉を食らい、その場で捜査指揮から外された。そして、その日のうちに今度は静岡県警察本部自らが威信を賭け、事態の収拾化に乗り出すのである。捜査一課長自らが、浜松中央警察署に乗り込み、各所轄署の警察署長をはじめとした幹部を招集し、浜松中央警察署に合同捜査本部を設置。舵取りを修正したのだった。
~ 夕方、東京都杉並区 ~
山川とラーメン屋で夕食中の佐久間のもとに一本の電話が入る。
(…泰成からだ)
「もしもし、どうした?」
「佐久間、今どこにいる?」
「今か?今は杉並区のラーメン屋だよ」
「すぐにテレビをつけてくれ、日テレ系だから4chか?」
(日テレ系?)
「オヤジさん。すまんが、テレビ回しても良いかな?どうしても見たいものがあってね」
見せたくはなかったが、警察手帳を提示し、チャンネルを回す。
(…殺人事件か。浜松市東区、…積志町?)
「泰成、これってまさか?」
「ああ、そのまさかだ。正直驚きだ」
「…弁護した人間か?」
「間違いなく、八年前に弁護して助けた男だよ。佐久間警部の見立て通りになった」
「泰成、昨夜の現場不在証明はきちんとあるな?」
「もちろんだとも、お陰様でな」
「浜松中央警察署からは、二月以降何か連絡はあったか?」
「いや、何もないぞ」
(…ここで下手に現場不在証明を謳えば、逆に怪しくなってしまう。かといって、時間が経てば経つほど第三者の現場不在証明証言に信憑性が乏しくなる。泰成の現場不在証明を警視庁が率先して確認するのも角が立つ。…一番厄介なパターンは泰成自身がシロでなく犯人の場合で、警視庁捜査一課が犯行の片棒を担いでしまうことだ。…さて、どうしたもんか)
「…泰成、言いにくい事だから真っ先に言うぞ。ちょっと待ってくれ。…山さん、悪い。外で電話してくるから先に食べていてくれ」
「はあ、分かりました」
佐久間は、すぐに外に出て会話を続ける。
「泰成、友人として村松弁護士の潔白を信じる一方で、刑事として疑わなければならない点もある」
「どういう意味だ?」
「話した通りだ、まあ、聞いてくれ。…私は第二の殺害を予想し、村松弁護士は先手を打って現場不在証明を作った。松本剛殺害の第一犯行、それに今回の第二犯行両方ともまだ手掛かりすら掴めていない。だが、村松弁護士を中心に既に二名が死んでいる」
「その通りだ」
「あってはならない話だが、村松弁護士が犯人なら殺害時間から逆算して、現場不在証明工作をいくらでも出来るし、疑え無くないんだよ。村松弁護士の現場不在証明は、静岡県警察本部が村松弁護士を事件関係者として監視している状況下で効果を発揮出来る唯一のものだ。だが、まだ監視されていない以上、今この時点で現場不在証明を立証しなければ、誰もが無実だと認識せず、いつか疑われる危険性がある」
電話越しに村松が激高するのが分かる。
「そんな事言ったって、そうしろって言ったじゃないか!」
「勿論だよ。だから、警視庁捜査一課の刑事として明日、動こうと思うんだ。今から、捜査一課に戻って課長に説明し、明日村松弁護士の現場不在証明を公式に確認させて貰う。そのうえで、静岡県警察本部に捜査依頼を受けたことを説明したうえで、村松弁護士の潔白を先手を打って証明しておくんだよ。そうすれば、最低限のリスク回避は出来るはずだ」
(…なるほど、一理あるな)
「記憶の話はどうする?」
「捜査を攪乱するおそれもあるから現段階では話さないが、少し考えさせてくれ。もう一度言うが、友人として村松泰成を疑いたくない。だが、刑事としては事実確認が出来るまで村松弁護士を完全に信用はしない。…どうか、分かって欲しい」
(………)
「…信じるよ、どうすれば良い?」
「ここ最近、どこで寝泊まりを?」
「昔から使っている健康ランドに毎晩いる」
「とりあえず、明日の午後一に会おう。そこで第三者の証言者と照合して確認事実を作ってから、静岡県警察本部に掛け合うつもりだ」
「分かった、午後一だな。健康ランドの場所は佐久間も良く知る所だ」
「…天王町のハッピーか?」
「今は、『浜松温泉喜多の湯』という名前だ。経営者が変わったからな」
「時代の流れを感じるよ、では明日」
電話を切る佐久間は、複雑な表情で天を仰いだ。知恵を授けたはずが、友人を追い込む結果になるかもしれない。だが、救えるのは自分しかいない。
ラーメンを啜る山川のもとに佐久間が戻ってくる。
「電話はもう宜しいんですか?」
「山さん、明日一緒に浜松市に行ってくれないか?」
山川の右眉が僅かに上がった。
「浜松市って、静岡県のですか?」
「そうだ。ここじゃ何だから捜査一課で詳細は話すよ。安藤課長に相談するから一緒に聞いて欲しい」
「…警部の苦悩する表情からして何かあるとは思いましたが。喜んでご一緒しますよ」
(ありがとう、山さん)
「そうと決まったら、早く食べて捜査一課に戻ろう。山さん、少しだけ待っていてくれ」
すっかり伸びきってしまった麺を強引に流し込む。よくある事だが、味気ない夕食だ。