最悪の想定
~ 東京都足立区 ~
午前九時過ぎに発生した強盗傷害事件で、足立区五丁目に呼ばれた佐久間と山川は状況を捜査中である。犯人は竹の塚二丁目交差点で老女からハンドバッグを力ずくで奪い取り、スクーターで走り去ったようだ。第一機動捜査隊から現場を引き継いだ佐久間は入念に現場を確認しつつ、鑑識官たちには、細かい部分まで逃走バイクのタイヤ痕や指紋などを採取するよう依頼した。
「山さん、もう一度状況を整理しよう。犯人は、この場所で道を尋ねながら接近。婆さんは、説明する際に、この錆びた横断防止柵の端にハンドバッグを掛けた。そして、横断歩道手前に向かって数歩目に、犯人は反抗に及んだ」
佐久間はハンドバッグを奪う仕草をし、老女役の山川は、これを阻止する仕草をする。
「この位置は背後からは見えにくい。電柱が死角になるからね。見ての通り交通量も少ないし、歩行者も殆どいない。助けを呼んでも、交差点から離れた民家までは婆さんの声では届かないだろう。何とかハンドバッグを守ろうとする婆さんを、犯人は右肘で背中の右肩、丁度この辺りだ。ここを強打し、婆さんはそのままうつ伏せに倒れてしまった。その隙を見計らって犯人は、近くの青空駐車に駐めたスクーターに乗り込み、そのまま都道103号線を竹の塚五丁目交差点方面へ逃走した」
交差点の横断歩道部分に立ち止まり、近くの防犯カメラを確認。
「山さん、見てくれ。防犯カメラは、あそこの位置と三十メートル手前の雑居ビル、あの位置二つしかない。…位置が悪いな。よしんば映っていても精度は期待出来まい、少し歩いてみよう」
狭い通りを左右、注意深く確認しながら北上していくと次々と防犯カメラが視界に入ってくる。
「食事処のあそこ、それから電話ショップのあの位置。あと、交差点傍のファミレスのあそこと向かいビルの看板下。角度を見る限り、何とか逃走した人物像とバイクの車種を割り出せそうだ。日下に連絡して、この一帯から半径二キロメートル圏内の防犯カメラを解析し、足取りを追ってくれ」
佐久間が初動捜査で範囲を絞るのは珍しい。
「二キロメートル圏内ですか?もっと範囲を広げては如何ですか?」
「いや、十分だよ。割とあっさり見つかりそうだ」
(?????)
「警部がそこまで仰るのなら。日下と橘に頼みます」
「よろしく頼むよ。私は婆さんに会って、何か特徴を聞いておくよ」
「犯人は最初からヘルメットを被っていたのではないでしょうか?人相を婆さんが目視しているとは思えません」
「…どうかな。見ての通り、狭い都道だ。民家や店舗も近いし、フルフェイス男が歩くだけで不審に思われる。そんな状況下で、顔も見えない相手に道を教える人間はそうそういないだろう。逃走車両を近くに隠していた点から、婆さんを安心させるために最初は面を見せたはずだよ」
「ふんふん、なるほど」
「計画的な犯行なら、犯人は犯行場所直近の防犯カメラ位置を下調べしていると思うんだ。婆さんに面を見られても、覚えているとは考えにくいし、あの防犯カメラ位置からでは特定に繋がらないだろう。…これらを勘案していくと、まず土地勘のある人物の犯行だと想像がつく。そして、犯行時刻と交通量、過疎めいた路地と叫んでも届かない離れた民家の地理的状況を把握した人物を連想していくと、…案外近所に住む人間、割と若い層かもしれないね」
山川は、改めて佐久間の読みに感心する。
「若い層とは?」
「用意周到に計画して、逃走するには瞬発力と大胆さが必要だ。婆さんを油断させられるのは中年よりも若者。そして一発で婆さんとはいえ、人間を押し倒す腕力。土地勘の優劣は中年も一緒だが、中年の場合、結構目立つからな。自分の居住地域から少し離れた場所を選ぶと思うよ。…これらを鑑みると、土地勘はあっても地域住民からは覚えられ難い = 地方から来た学生が最も犯人像に近くなる。だから、半径五キロメートル圏内でなく、二キロメートル圏内に絞ったんだよ。大学生、専門学校生、予備校生などを中心に洗ってくれ」
「はっ、分かりました」
こうして、山川に陣頭指揮を任せ、老女が搬送された足立南部病院へ向かおうとした佐久間だが、ふと足を止める。何か閃いたようだ。
「山さん、…もしかすると、遊ぶ金欲しさに犯行を起こしたかもしれないね。二キロメートル圏内のパチンコ屋、質屋、リサイクルショップを捜査範囲に追加してくれ。防犯カメラ画像の解析が済み次第、頼む」
「夜の繁華街はどうします?深夜営業のクラブとか聞き込みましょうか?」
「…いや、犯行時刻からパチンコ屋が濃厚だ。丁度、開店時間と被るからね。犯人を特定出来たら、ここ数日の間、質屋かリサイクルショップに出入りしているか裏を取ってみてくれ。案外、ビンゴかもしれないよ」
「やってみましょう、警部のプロファイリングを信じます」
~ 足立南部病院 ~
緊急搬送された老女は、命に別状はないと連絡が入ってきている。おそらく、点滴治療を受けて病室で安静にしているだろう。話せる状態であれば少しだけ事情を聞いて今日のところは引き上げようと考えながら、白とグレーのタイル貼りが特徴的な玄関に差し掛かった時、胸元の携帯が振動した。
「ブッ、ブッ、ブッ」
(誰だろう。……泰成じゃないか)
「もしもし、佐久間だ。どうした、また東京に来る機会が出来たのか?」
「…以前話した『記憶の男』が死んだ」
(------!)
「間違いないのか?」
「ああ。昨日、浜松中央警察署に呼ばれて、任意聴取されたよ」
(?????)
「どういう事だ?全く話しが見えないな。被害者と一緒にいた訳ではなかろう」
「警察から嫌われているからな。半分は嫌がらせだよ」
「…まさかとは思うが?」
「よく分かるな、現場不在証明なら聞かれたよ」
(何てことだ)
「…泰成。馬鹿な浜松中央警察署に変わって謝るよ。…本当に申し訳ない。本来なら、捜査協力を仰ぐべき人間に取る行動じゃない、正気の沙汰とは思えん」
(………)
「やはり、佐久間警部は別格だよ。こうなるんだったら、もっと詳しくあの時に相談すべきだった」
病院入口で踵を返し、向かいの焼き肉屋ベンチに腰掛けた。
「最低限で構わんから、分かる範囲を教えてくれ。何か役に立てるかもしれない」
「…すまんな。昨日の夕方、浜松中央警察署から『過去に弁護した男が死んだ』と連絡が入ったんだ。通された刑事課の打合せテーブルには、被害者の写真が並んでいた。死亡したのは松本剛、三十二歳。浜松市浜北区西美薗在住の中日経済新聞社販売員。五年前、三方原で起きた婦女暴行事件で起訴されたが、俺が弁護して無罪となった男だ。二日前の二月十三日二十三時~二月十四日三時にかけて、遠州鉄道『八幡駅』付近で絞殺されたらしい。今分かっている内容はこんなものだ」
「少し整理したい。ちょっとだけ、そのまま待ってくれ」
(………)
佐久間は、書き留めたメモを何度も読み返し、状況を整理する。
「泰成、何点か確認させてくれ」
「勿論だ」
「まず、被害者の松本剛とは裁判以降、接触していないな?」
「ああ、接触していない」
「被害者が、お前の『記憶の中』に現れたのはいつ頃からだ?出来るだけ正確に思い出してみてくれ」
「…半年くらい前かな。今年に入ってから極端に回数が増えたが」
「誰かにその話をしたか?」
「佐久間以外には妻と、浜松聖霊病院の医師、常葉学院大学の教授、計三名だ」
(記憶や夢に残る。…記憶の男が死ぬ。…何か引っ掛かるが釈然としないな…)
「漠然だが、誰かが関与しているか単なる偶然かの二択だ。前者なら、弁護した人間が死ぬということだから、単純に原告側から疑うな。後者なら真相は闇の中で厄介だ」
「やはり、そうなるか」
「実際に関係者が死んだんだ、被害者身辺から基本捜査を始めるよ。親族、交友関係から開始して、犯罪履歴を照会したうえで弁護士を調べるだろう。だから浜松中央警察署は村松弁護士にも目をつけたんだろうが、初っ端からは捜査対象者とはしないよ」
「警視庁なら、どう捜査する?」
「…記憶という単語と事件がどう関係するのかに重点をおいて捜査するよ。被害者身辺というより、村松弁護士を軸に情報を得ているから出来る捜査なんだが、何か関係していると思うんだ。浜松中央警察署には話したか?」
「いや、浜松中央警察署には話していない。話しても信じて貰えんからな」
「…そうか」
「佐久間、俺はどうしたら良い?嫌な予感しかしない。何とか警視庁で捜査して貰えないか?」
(………)
友の心の叫びだ。握りしめる携帯も熱くなる。
「今の状態では、所管が違うから動きたくても動けない。思いつく事もなくはないが仮説に仮説を積み上げるだけで確証が得られそうもない。…だが、巻き込まれないための知恵は貸そう」
「そんなものがあるのか?」
佐久間は、用心深く、一度周囲を確認した。
「泰成、どこから掛けている?外か?事務所か?」
「取引先から帰る道中だ、車の中だよ。天竜川の河川敷沿いから話している」
(万が一もあるかもしれない)
「念のため車から降りて、そのまま河川敷の土手まで徒歩で上がれ」
(?????)
「分かった、ちょっと待ってくれ」
村松泰成は、佐久間の指示に従った。
「上がったぞ、周囲は誰もいない」
「車内に盗聴器がないとも限らん、直ぐにでも探偵事務所に調査して貰え」
「言う通りにしよう」
「…では話すぞ。殺人事件が村松弁護士を嵌めるために起きたものなら、今後も第二、第三殺人が起こると考えろ。逆に村松弁護士と無関係なら、これ以上の殺人事件は起きまい」
(------!)
「村松弁護士を中心に事件が起きるのか?」
「そうだ、記憶の男が村松弁護士を軸に殺されたという前提での話だ」
「…とりあえず、続けてくれ」
「次の犯行は、捜査を混乱させるために間を空けずに行われるだろう」
(------!)
「今後一ヶ月から二ヶ月の間、単身行動は控えた方が良い。いかなる時も現場不在証明を立証出来る準備をしておけ。それが唯一身を守る術だ。妻の証言は『共犯者の犯行』と取られやすいから注意するんだぞ」
「それなら既に浜松中央警察署でも疑われたよ。でも、事件ってのは大抵夜中に起こるじゃないか?どう防げば良いんだ?」
「簡単だよ。不特定多数が寝泊まりする場所、健康ランドとか簡易宿泊所で毎晩寝泊まりすれば良いんだよ。第三者が村松弁護士の所在を証明出来る。期間限定なら、そこまで苦痛にならないんじゃないか?」
「その手があったか。でも、村松弁護士に関与した人間が次々死んだら、現場不在証明を証明する程怪しまれるかもしれないな」
「そのリスクはある。捜査線上の中核は否応なく村松弁護士だ、中心人物の位置付けになるだろう」
電話越しに、村松泰成の苦悩を察する。
「…泰成。浜松市内で起きた殺人事件は、捜査権は静岡県警察本部にある。これに所管が違う警視庁が介入することは仁義上宜しくない。これは了承してくれるな」
「ああ、組織を守れない者はクズだ」
「だが、予告殺人の疑いがあるケースは、状況次第では警視庁が介入出来るかもしれん。直ぐに被害届けか捜査要請を書簡で捜査一課宛に送付してくれ。予期せぬ事態に巻き込まれたら、職責を掛けて助けるよ」
「…佐久間。……恩に着る」
「やめてくれ、弱きを助けるのが職務だ。でも、くれぐれも用心してくれ。警視庁捜査一課もすぐに動けるように捜査一課長だけには打ち明けておく」
電話を終えると、佐久間は複雑な面持ちで空を仰いだ。
(…浜松の事件、方向性によっては、長期化するだろう。捜査権がない警視庁がどう介入するか。…場合によっては単独で動くことも視野に入れるか。本当に泰成を貶める殺人だったら?…根本を解決しなければ、流されるだけかもしれないな。…とりあえず、目先の事件を片付けて備えておこう)
まだ見ぬ殺人事件。敵は身内にも潜んでいるかもしれない。
危惧通り、村松弁護士を中心に発展する殺人事件ならば、何としても級友を助たけい。
静岡方面の空は、今後を憂うかの如く曇天だ。