信頼の証
~ 九月十三日、十時 ~
「おっ、来たな!今日は、可愛い姉ちゃん同伴かい?」
佐久間と川上真澄は、聖隷三方原病院を訪れていた。相変わらず、決まった面子が医者の目を盗み、喫煙所で暇を持て余している。
「入院しなくても良くなりましてね。帰京する前に約束を果たしに来ました」
「約束?」
「一緒に与太話しようと言ったじゃないですか。色々と教えてくれた先輩たちに失礼は出来ませんから。この間の話は、凄く為になって役立ちました。大したお礼は出来ませんが、これをどうぞ」
「よく分からんが、こんなにいらないって!…って、良いのかい?本当に遠慮なく貰っちゃうよ?」
「勿論です」
佐久間は、全員に均等に配った。
「それにしても変な人だね、あんたも。姉ちゃんも大変だな」
「いつも、思いつきで行動するので困ります。もっと言ってやってくださいよ」
和やかに与太話をしていると、産婦人科に入院中の女性が、ふと最近あった事を教えてくれた。
「そうそう、前に話した桜庭光恵なんだけど、急に退職しちゃったの。風の噂では、桜庭教授の方も同じタイミングで退職したらしいの。何かあったのかしら?」
「ほう?それは不思議ですね。その後、病院内はどうです?」
「それがね、風通しが良すぎるの。何でも、浜松聖隷病院からの通達で、社会的倫理が何とかだって。匿名を活かした意見箱も設置されたし、不正を徹底的に排除して、生まれ変わるんだって」
(…鵜飼理事長が失脚したとは聞いていたが。新たな芽が出て来たという事か。さしずめ、改革派が機に乗じて古参の連中を追い出した。…組織にとっては良い事だろう)
「本当に皆さんにはお世話になりました。入院したら、毎日楽しかったでしょう。またいつの日か、今度は病院の外でお目にかかりたいですね」
「そう言ってくれるのは、奇特なあんただけだよ。俺等も何だか嬉しかった。このご時世にも、義理堅い男がいると分かっただけで、安心してあの世に逝けるってもんだ」
「それは洒落になりません。何せ、喫煙所は病院だ」
全員が笑い飛ばすと、二階から怒号が聞こえてくる。
「こら、またそんなところで喫煙して!纏めて注射するよ」
「ヤベえ。見つかっちまった、またな!」
「元気でね!」
「お世話になりました。どうか、お元気で!」
~ 九月十三日、十二時 ~
「どうも、昼食でも如何ですか?」
「警部さん!」
釣り船屋に立ち寄ると、河合達彦が上機嫌で駆け寄ってくる。
「ご機嫌ですね?」
「そりゃあもう!伊藤良子を事件から守ってくれたどころか、生命そのものを救ってくれた。何とお礼を申し上げてよいのやら」
「大袈裟過ぎますよ。…ん、あなたは?」
「へへへ、どうも」
川上真澄も虚を突かれた。
「野中英二がこんな所にいるなんて。河合達彦さんと喧嘩する為?」
「そんな訳ないだろう?どうです、野中英二も一緒に?」
「ええ、喜んで」
~ 喫茶店 ~
「前回訪ねた時は、伊藤良子と野中英二の関係や経緯を必死で調べていましたね。三ヶ月でここまで進展するとは、正直想像出来ませんでしたよ。捜査する度に思います。人の縁が、初めは小さくても、やがて大きく繋がって、自然に解決の方向へ導いてくれると」
野中英二は、改めて全員に頭を下げる。
「元はといえば、自分のせいで」
河合達彦は、軽く頭を叩く。
「だから、もうそれは良いと言っただろう?」
「それにしても、あり得ない組み合わせだわ。一体、何があったのかしら?」
「野中英二を連れてきたのは、伊藤良子なんですよ。『心から償う気があるなら、一緒に住め』と。あれには度肝を抜かれました。野中英二も、てっきり断るのかと思ったら、その日の内に退職して、さっさと住居を引き払い越して来やがった。店長が何者でも受け入れてくれる人だから良かったものの、伊藤良子に似て行き当たりばったり過ぎますよ」
「ふふふ。でも、満更でもないって顔しているわよ」
河合達彦は、満面の笑みを浮かべる。
「人間って不思議です。野中英二は、河合家から全てを奪った人間です。でも、伊藤良子が許した。もうすぐ死ぬかもしれないっていう人間が、目をキラキラさせて連れてきた。その表情を見た時、もうどうでも良くなりましたよ」
「野中英二は、抵抗なかった?」
「河合達彦に会うのは、死ぬよりも怖かったです。でも、伊藤良子が『自分に任せなさい』って、背中を思い切り、笑いながら叩いたんです。それがあまりにも豪快で、魂が抜けたというか。お陰で、毎日、河合健一たちの墓前にお参りが出来るし、心からありがたいです」
(………)
「伊藤良子が乳癌じゃなかったと聞いて、嬉しかった。村松弁護士事務所に戻っていく後ろ姿を見た時、『またいつでも会える』と分かっていても、心はどこか『やっぱり寂しい』と思った。でも野中英二が来てくれて、誰かがいつも側にいる。『自分は一人じゃない』と分かって、こうも安心して眠る事が出来るんだと実感したよ。…来てくれて、ありがとう」
「…河合さん」
川上真澄が、二人の肩を思い切り叩く。
「人生、頑張れば何とかなる。頑張ろう!」
見つめ合い、照れ笑いする二人を優しく見守る。
この二人は、もう大丈夫だ。この先も憂い無く互いに人生を歩むだろう。
~ 九月十三日、十六時。浜松市天竜区阿多古川 ~
「おーい、ここだ!遅いじゃないか、もう始めてるぞ!」
村松弁護士事務所では、『伊藤良子お帰り焼き肉大会』を開催している。
伊藤良子は、嬉しそうに同僚たちとビールを飲み大騒ぎだ。胸元の名札には伊藤ではなく、河合と手書きのシールが貼ってあり、新たな人生を歩もうとする心意気が感じられ、微笑ましい。
「泰成よ、名札くらい買ってやれ」
「馬鹿者、ちゃんと用意したさ。伊藤良子が、あれで良いって言うからさ」
「本人が?」
「ああ、何か思うところがあるのだろう」
伊藤良子が、上機嫌で佐久間の元に駆けつける。
「久しぶり、警部さん♪」
「元気そうだね。先程まで河合達彦たちと一緒だったよ。あの組み合わせは、流石に想定外だ。伊藤良子が引き合わせたんだって?」
「ふふふ、思い切っちゃいました。だって、余命間近だと思ったから、どうしても河合達彦を一人にはしたくなかったの。誰かが側にいないと、今度こそ心が折れて駄目になるって分かってた。…で、『誰かいないかな』と思ったら、野中英二が浮かんで、我ながら感心したわ」
「でも、それだけじゃないでしょう?」
(………?)
「やっぱり、川上真澄は鋭いですね。…本当はね、野中英二も事件の当事者じゃなくて、どちらかと言えば被害者なんだって思ったの。確かに、結果的に誘拐したと嫌疑を掛けられても仕方なかったのかもしれない。でも、事故に遭う直前まで一緒にいて、無傷で帰してくれたのも事実。結果は悲しいけれど、もしかしたら、河合家以上に心に傷を負っている。そう思ったら、上から目線じゃないけれど、強引にでも『救わなくては』と思った。…これが率直な気持ち。河合達彦も受け入れてくれて凄く楽しそうだし、今は良かったと思ってます」
「…そうか。弁護士の勉強はどうだい?」
「弁護士資格の件は、一切の妥協もしてないぞ。村松弁護士事務所は、女性でも強制指導だ」
「うそうそ、『超』がつく程優しいよ。でも、本当に皆さんには感謝しています。こうしてまた、弁護士になれるかもしれないし。新たな野望も出来たんです。お聞きになりますか?」
(………?)
「もう例の計画なら勘弁だぞ。正直、謎解きは面倒くさかった」
伊藤良子は、笑いながら佐久間を小突く。
(昨今の女性陣は強いというか、驚かされるな)
村松泰成は、興味津々だ。
「どんな野望だい?」
「村松弁護士事務所を乗っ取るんです。で、村松弁護士よりも有能な有名人になって、法曹界の伝説人物になる事です!」
開いた口が塞がらない。
「…まっ、まあ。夢を持つ事は自由だし、目標を立てる事も悪くない」
「ふふふ。じゃあ、また後でね」
楽しそうに、その場を後にする伊藤良子が眩しく見えた。
「泰成、中村光利の弁護人を請けてくれたんだって?しかも、無料で」
ビールを飲み干した村松泰成は、しゃがみ込んで水面に手を入れる。
「中村光利も、ある意味被害者だ。事の発端は、村松弁護士だしな。伊藤良子の為にも、一日でも減刑させてみせるさ」
「実際の刑期はどのくらいだ?十年は、懲役を食らうか?」
「……八年だ。第一殺人の実行者は中村光利。第二殺人と第三殺人は、国元大介。だが、第二殺人と第三殺人の関与は否定出来ない。情状酌量の余地をとっても、今の司法では、八年の減刑が限界だ」
「…そうか。でも、二年も短縮出来るんだ。出所の頃は、…伊藤良子と共に三十一歳。第二の人生には、十分に間に合うな」
「なあ、佐久間。弁護士なりに考えていた事がある」
「何をだ?」
「結局、国元巡査はどうして犯行に手を染めた?医者でもない一介の刑事だ。その謎だけが解けない」
「…国元大介は、高野宏に買収されたんだよ。親の人工透析に莫大な費用が掛かり、金に困っていた。高野医師は高額医療費に目をつけて、裏取引したんだ。犯行に荷担するなら、医療費は病院で全負担してやるとね」
「とことん性根の腐った野郎だ」
「人間は、いつの時代でも何かに捕らわれて生きているんだと、今回の事件で痛感したよ。桜庭教授は名誉、国元巡査は金を、伊藤良子と中村光利は、家族と恋人の為に青春の時間を。捕らわれた人生は、本当に塩っぱいと思った」
「佐久間。俺たちは、あと何年こうして世の中と闘っていけるかな?」
「さあ、どうかな?でも、それは考えなくても良いんじゃないのか?」
「なんで?」
「子供たちがいる。俺たちの生き様は、子供たちがきっと背中を見て育つ。同じ道を進めとは言わん。でも、俺たちが人生で苦悩したり、喜んだり、笑ったり、悲しんだりした事は口で言わずとも、肌で感じ取り、生きる事とは何なのかを、子供たちなりに考え、自分たちの未来へと紡ぐ。俺たちは、子供たちの土台となって、安心して死んでいく。俺たちの夢や希望は、子供へ。それが無理なら、孫が受け継いでくれる。…お互い、駄目になるまで日々を恥ずかしくない生き方をしながら過ごせば、それだけで良いんだよ」
「…先生の言葉を思い出した」
「信頼か?」
「ああ。『信頼』とは、人が言ったことを頁に束ねるって事だ。つまり、人の話す言葉を心の頁に幾つも重ねて、大事にするんだ。読んで字の如くとは、正にこの事だよ。信じて、頼りにする。今の俺たちにうってつけだと思わないか?」
「…そうだな。先生がそこまで考えて教えてくれたのかは、今となっては確認のしようもないが、これからも良き好敵手として切磋琢磨していこうぜ」
「おーい、そこの黄昏れる二人組。肉無くなるわよ!」
川上真澄も、すでに酔っ払っている。
「川上真澄まで酔っ払って。帰りどうするんだ?……まっ、良いか。代行運転もあるしな」
「それにしても、類い希な助手だったな」
「川上真澄は、文壇の鬼才だけでなく、探偵としての資質も兼ね備えた化け物だと思い知らされたよ」
「全く、末恐ろしいな」
「おーい。まだあ?」
「今行くよ。…やれやれだ」
呆れ顔で、河原を歩く佐久間も酔いが回ったのか、足がもつれた拍子に阿多古川に落ちてしまう。それを見た村松泰成は大笑いし、飛び込んで助けると思いきや、佐久間の頭を川に強引に沈める。小学生時代に戻った中年たちは互いに無邪気に水を掛け合い、やがて全員が感化され、服のまま大騒ぎするのだった。
きっとどこかで、新たな事件が起きるだろう。いや、すでに起きているかもしれない。
だが、今この瞬間だけは誰にも邪魔されず、信頼に足る仲間たちと過ごしたいと願う佐久間であった。
九月十三日から、この連載を開始してやっと本日完成しました。
この作品は、想像していた以上に、楽しんで執筆できたと思います。
長期間に渡り、読んで頂いた方々。次回作も頑張って、投稿しますので、
ぜひ読んでくださいね。
今後とも、よろしくお願いいたします。




