記憶殺人
~ 午前九時過ぎ、浜松中央警察署第二会議室 ~
未明に発生した二件の殺人事件について、判明した内容を関係者一同で整理している。天竜区の船明ダムでは、鑑識作業と防犯カメラ映像の解析を継続中だ。
浜北区本沢合の現場は、通学時間前までに必要な鑑識作業は終了。周囲一キロメートル圏内の防犯カメラ映像を浜松東警察署と浜北警察署が手分けして行い、車両特定を進めている。
初動捜査中に無線連絡を受けた安波警部が、二件の連動を予測してから事態は急展開し、静岡県警察本部からも山ノ内捜査一課長が合流した。
「みんな、おはよう」
「おはようございます」
「主力メンバーは揃っているな?では、安波警部。捜査会議を始めたまえ。被害者情報は、後で良いから二件の関連性をまず聞かせてくれ」
「はっ」
安波と鈴木が、二人揃って壇上に立った。ホワイトボードにはざっくりとであるが、二件の犯行情報が既に書き込まれている。
「まずは時系列確認から始めます。鈴木警部、天竜区船明ダムの説明を」
「はい、110番通報者は匿名で、時刻は四時三十二分です。通報内容は、『橋の上で小便をしていたら、人影らしきものが見える』との事でした。班編制は四時五十分、現着は五時五十五分です。六時十分頃から現場検証を開始しましたが、犯行現場がテトラポット上のため、足場確保が必要と判断し、一度中断しました。日の出時刻の六時二十三分に再開し、七時三分に安波警部と状況を擦り合わせた結果、二件の事件が連動性があると判断。船明ダムから浜北区本沢合地区までの移動時間を検証するため、七時九分、犯行現場を出発し、本沢合地区には八時四分に到着。所要時間は、誤差はあるかもしれませんが五十五分でした。遺体は司法解剖に回し、現在鑑識官の指紋、下足痕捜査継続中。また、公園内施設のカメラ映像を解析作業中です」
(………)
山ノ内は、腑に落ちない様子で問い掛けた。
「鈴木警部、少し気になった点を問う。最初に言った『橋の上で小便をしていたら、人影らしきものが見える』なんだが、鈴木警部は橋の上に立って、その位置から実際に被害者を目視出来るのか確認してみたかね?」
「…いえ。初動捜査に気を取られ、橋の上からはまだ確認しておりません」
(佐久間なら、自分の足で信憑性を疑ったと思うがな。…まあ、差はすぐには埋まらんか)
「まず、違和感を覚えるのは匿名者からの通報だ。当然、110番通報時は誰も現地にいないから、そこは問題ではない。問題なのは、夜明け前という状況下で、本当に橋の上から犯行現場を目視出来るのかという点だ。明日、通報を受けた同時刻に、現地に立って検証するように。これだけでも、犯人と被害者以外に第三者が介入しているのか違ってくるぞ」
「…はっ、思慮が足らず申し訳ありません。明朝、検証して裏を取ります」
榎田は、山ノ内の発言に心底感心した。
(…なるほど。匿名なのも怪しいけれど、もし暗くて現場が見えないなら、どうして通報出来たのか?それを問われたんだ。加藤昭博が岡田順平を殺して逃走したなら、普通に考えたら通報なんてしない。通報するくらいなら、その場で自首したはずだ)
安波も、山ノ内の考えに納得する。
「課長の意見は、ご尤もだと思います。岡田順平を、加藤昭博が殺害して逃走。そして加藤昭博を別の人間が殺害したとしたら、通報者が真犯人で、絵図を描いたとも考えられます」
「では、その為の検証をしよう。安波警部、浜北区本沢合での時系列確認を説明してくれ」
「110番通報者は中村栄史という近所の住民からで、時刻は四時十二分です。通報内容は、『調整池に人形のような不審物が見える』との事でした。班編制は四時五十分、現着は五時四十分。規制線を張りながら六時五分頃から現場検証を開始。通報者と現地で通報当時の様子を検証。通報者妻の証言から、不審な音を聞いた時刻が、昨夜の二十二時二十五分前後であると判明。また、この後に被害者が所持する免許証から加藤昭博である事を確認。七時三分に、鈴木警部と無線で状況を確認し、船明ダムでの被害者、岡田順平の死亡推定時刻が昨夜の二十一時から二十三時である点と犯行現場に残っていた血痕が二種類あったことを鑑み、二件の殺人が連動性があると判断。先程の鈴木警部説明に至ります。なお、当該箇所は通学路でもあるため、七時二十分の段階で規制線を解除し、遺体を司法解剖に回しております。以上です」
(…これだけじゃ分からん。一言って十返って来ない、せいぜい三程度だ)
「お前たち、もう少し整理して話せ。要旨は何だ?佐久間警部みたく、簡潔に頼む」
山ノ内は、安波たちに要旨だけを簡潔に並ばせた。
【 船明ダム 】
○死亡推定時刻:六月四日、二十一時~二十三時
○死亡場所:浜松市天竜区船明ダムの護岸浅瀬
○死亡者:岡田順平、三十九歳。逮捕履歴なし
○死亡理由:殴打による撲殺。着衣に本人以外の血痕あり
【 本沢合 】
○犯行推定時刻:六月四日、二十二時二十五分前後
○死亡推定時刻:六月四日、二十二時三十分~二十三時
○死亡場所:浜松市浜北区本沢合
○死亡者:加藤昭博、三十七歳。十五年前の事件関係者
○死亡理由:ひき逃げによる即死。腕に刺し傷あり
○補足情報:着衣に本人以外の血痕あり
(だから何なんだ?…全く)
「要旨はそんなものか?肝心な部分がわからんじゃないか。そこから何を把握して、結論を導く?」
山ノ内からの重圧が凄い。安波と鈴木は食らいつけるが、他の捜査官たちは言葉が出ない。安波は私案だが、可能な限り、手元の情報で仮説を試みた。
【 船明ダム~本沢合 】
○移動距離:約十二キロメートル
○移動時間:犯行現場~駐車場まで
7:09~7:24(15分)
○移動時間:駐車場~本沢合犯行現場まで
7:24~8:04(40分)
○移動時間合計:55分(約1時間)
【 二つの事件を連動していると仮定した場合 】
○船明ダムでの殺害:21:00(犯人:加藤昭博、被害者:岡田順平)
○本沢合での殺害 :22:25(犯人:不明、被害者:加藤昭博)
○時間差:1:25(上記の分計算より、30分の空白時間あり)
(…なるほどな、把握しやすくなった。これを現場で閃いたのだな)
「なかなか面白い推理だ。これなら、確かに連動を疑える。空白の時間はどう考えている、安波警部?」
「もし船明ダムの血痕が加藤だとすれば、負傷しているので、自宅までまっすぐ車で帰ると考えます。殺害された場所には加藤の車両がありませんでしたので、犯行場所まで徒歩で来るように、誰かに呼び出された可能性があります。免許証の住所から、同じ地区に住んでいますので、加藤昭博の居住アパートから事件現場までの徒歩時間を検証すれば固まるかと」
「他の線はどうだ?」
「血痕が加藤でない場合でも、深夜に死亡した事実は変わらないので、誰から呼び出されたかを検証するしかありません。第三の事件とは結びつかず、偶然に加藤がたまたま事件現場を歩いていて、単なる交通事故に巻き込まれたのならば暗礁に乗り上げますが、二つの事件の犯行時刻が近い事から、この線は薄いと思います」
「…良かろう。では、二人の推理を信じて裏を固めよう。船明ダムから本沢合地区までの主要ルートを割り出し、各地点の防犯カメラとオービス記録から加藤昭博の行動を検証するんだ。二箇所の事件現場については、可能な限り半径一キロメートル圏内のカメラ映像を解析し、まだ見ぬ犯人の姿を追え。特に、船明ダムの県道上に犯人がいた事も想定して、映り込んでいる車両が二箇所で見かけるのであれば、最優先に疑って足取りをどこまでも追うんだ。最寄りの小林駅方面からの車両は、絶対に見落とすな。では、解散!」
こうして、山ノ内主導の捜査会議は終了し、全捜査官は各方面に散っていく。
~ 浜松中央警察署、刑事課 ~
加藤昭博と岡田順平の司法解剖が行われる中、鈴木警部と榎田巡査は加藤昭博の家宅捜索をするため手を打つことした。榎田は、まだ刑事としては新米である。即刻、家宅捜索出来ると思っていたが、手順を踏まなければならないらしい。鈴木は刑事課で打合せしている同僚の花田を訪れ、手続きを依頼している。
「鈴木警部。勉強不足で申し訳ありませんが、何故すぐに家宅捜索されないのですか?大家さんにアパートの鍵を開けて貰えば出来そうですが?」
「良い機会だ、学べるときに学んでおきなさい。そもそも、家宅捜索っていうのはマスコミ用語だ。まあ、世間一般に浸透しているから使用しても問題ないが、正確には住居について行われる捜索だ。人の住居に立ち入って、押収すべき物、または逮捕・勾引もしくは勾留すべき人を、捜索することを差すんだ。我々、司法警察職員は犯罪捜査のために必要があるときは、裁判官の発する令状により家宅捜索をすることができる。これは刑事訴訟法218条にあるから、再確認しておくように。ただし、逮捕に伴って捜索する場合には、令状を必要としない。これは刑事訴訟法220条を見ると書いてあるぞ」
「それなら、加藤昭博は岡田順平殺害の犯人なので、令状は不要では?」
「それは早計。まだ容疑が固まっていないし、確定していないだろ?よく『被疑者死亡のまま、書類送検した』って耳にすると思うが、加藤が間違いなく『船明ダムにいた』と証明が出来て、初めて被疑者となる。だから、現時点で家宅捜索をしようとした場合、裁判官の令状が必要になるんだ。もしやと思うが被疑者の意味はいくらなんでも覚えているよな?」
「刑事ですから。日本法上の法令用語で『犯罪を犯したとの嫌疑を受けて捜査の対象となっているが、まだ公訴を提起されていない者』です」
「オッケーだ、安心したぞ」
「では、裁判所で令状を取れば良いんですね?一時間くらいで出来るんでしょうか?」
余りの無知ぶりに、心を入れ替えた鈴木も、軽く頭を小突く。
「あのな、令状は簡単には取得出来ないぞ。今、この瞬間に令状を取ろうとして、取れるまでの時間を教えてやる。まず、家宅捜索をするための理由を報告書に書く。作成には約120分だ。警察署から宿直の裁判官がいる県庁所在地の裁判所、つまり静岡市葵区追手町だな。この警察署から、追手町までサイレンを鳴らして飛ばしても60分は掛かる。裁判官が報告書を読み込んで、宿直の事務官に令状を作らせ、署名するまで60分掛かる。裁判所からこの警察署に帰ってくるまで、往路と同じく60分は掛かる。つまり、今この瞬間から最短で約300分。ざっと五時間は掛かる計算だ」
(そんなに掛かるのか!?)
「まだ条件があるから、覚えておけ。加藤昭博の家宅捜索中に怪しい物が出てきたとするぞ。捜索差押えについてなんだが、今回の場合、その世帯主、つまり加藤昭博本人を立ち会わせることが原則だ。だが、加藤は死んでいる。そういう場合には、例外的に隣人か地方公共団体の職員、つまりは浜北区の職員を立ち会わせることで問題は解決するんだ。これは刑事訴訟法第222条、第114条の準用だから、これも刑事ならスラスラ出るまで復唱しておけよ」
「分かりました、勉強になります」
「宜しい。では、家宅捜索出来るまで時間がある。先に岡田順平の方を洗うぞ、天竜区に向かう」
~ 浜松市天竜区二俣町二俣 ~
免許証から、岡田順平の住所は判明したが、電話を掛けても繋がらない。他の捜査官が、天竜区役所に身元照会を行って連絡を試みているが、未だ誰とも連絡がつかない状態である。そのため、居住アパートを確認し、大家でも居れば連絡手段を探せるかもしれないと考え、先に洗うことにしたのだ。
「住所では、この辺ですが?…あっ、警部。アパート前に誰かいます。ちょっと聞いてみましょう」
国道152号から、道幅が減少する路地を進むと、程なく二階建ての茶色いアパートを発見した。誰かを待っているのだろう、集合玄関の入口デッキに、若い女性が塞ぎ込む様に座り込んでいる。榎田は、車窓から女性に声を掛けた。
「すみません。浜松中央警察署の者ですが、岡田順平という男性のアパートを探しています。日向荘ってこの建物ですか?」
(------!)
「順平の彼女で、豊田千尋って言います。お巡りさん、順平の行方を知ってるんですか?昨日の夕方から全然連絡つかないんです。電話を掛けても、ラインしても…」
(------!)
思わず、鈴木と榎田は顔を見合わせると、すぐに二人は車から降りて警察手帳を提示した。
「静岡県警察本部捜査一課の鈴木と浜松中央警察署の榎田です。……辛い報告です。それでも、お聞きになりますか?」
(------!)
「事故にでも遭ったんですか?」
鈴木は神妙な面持ちで、小さく頷いた。その様子で、豊田千尋は全てを察したのだろう。その場に泣き崩れてしまう。
「…順……平。…ううううわぁぁん---!)
敢えて、それ以上の言葉は必要ない。
鈴木たちは、無言で豊田千尋の涙が涸れるまで寄り添い、立ち尽くすしかなかった。
~ 一方、その頃 浜松市天竜区船明ダム ~
安波は、前回の捜査会議で別部隊として分けた班の中から、機動力の高い木下と樋口を選出し、防犯カメラの映像解析状況を把握するため、現地を訪れている。課長の山ノ内が、鈴木警部の初動捜査を指摘した箇所に立ち寄ってみた。残りメンバーの遠藤と国元には、小林駅付近の映像解析を進めるよう指示済みだ。
(課長が拘った場所は、橋上の欄干だな?……なるほど。110番通報をした時刻に、欄干から犯行現場が見えたかどうかは、微妙だな。暗視スコープでもない限り分からないだろう)
「君たちは、この欄干からブルーシートで覆われた場所が見えるか?勿論、夜を想定してだぞ」
「…欄干からですと、斜距離で五十メートル以上あります。流石に、暗闇では…」
「同意見だ。通報者の話では、小便しながら見かけたんだったな。…この場所から見る限り、作り話だな」
「匿名の通報者が、真犯人の確立が高いという訳ですね?」
「まだ断定は出来んがな。この件は、鈴木警部が責任をもって課長に報告するだろうから、二人は知らん振りしておけよ。それよりも、手分けして映像解析の進捗を掴もうじゃないか。木下は球場を確認してくれ。樋口は、船明諏訪神社だ。儂は、公園管理事務所で公園入口と橋上の県道を確認する。何か分かれば、すぐに携帯を鳴らしてくれよ」
「了解です」
「了解」
~ 再び、浜松市天竜区二俣町二俣 ~
「…取り乱して、すみません。…少しだけ、落ち着きました」
「…いえ、構いません。集合玄関で待っていたという事は、合い鍵などはお持ちでない。…で宜しいですね?実は、岡田順平さんのご家族とも連絡を取っているんですが、中々繋がりません。何かご存じないですか?」
(彼女といっても、まだ浅い付き合いか?)
「…順平のご両親とは、面識がありません。まだ、付き合って半年なもので」
(やはりな)
「そうですか。では、答えられる範囲で教えてください。昨日は、何時まで一緒で、何時から連絡が途絶えましたか?」
「昨日の夕方、十八時頃まで一緒でした。二十時三十分くらいに電話したんですけど、何か別着信が入ったみたいで、保留ボタン押されて電話が切れました。その後は、全く通じなくなって。ラインしても、既読にならなくなりました。今朝も、早朝から連絡を取ったんですけれど、音信不通だから心配で、来てみたんです」
「失礼ですが、夕方別れるまでどこで何をしていましたか?それと、何か変わった事はありませんでしたか?…そうですね、例えば誰かと揉めたとか、誰かから連絡が入って、ソワソワしていたとか。些細な事でも思い当たる事があれば、教えてください」
豊田千尋は、すぐに何かを思い出したようだ。
「昨日は、早朝六時から二人で浜北区内に遊びに行ってました。言い難いのですが、天竜大橋の側にあるラブホテルで、フリータイム中はずっとホテルに。あと一ポイントで、お目当ての景品が貰えるので、たまの休暇だっだし、私が無理言って頼んだんです。十五時くらいに、玩具店行ったのですが、そこで店員と喧嘩になりそうになって、店長も出てきました」
「ちょっと、待ってください。まず、その玩具店というのは?」
「天竜大橋を、本沢合方面に真っ直ぐ二キロメートルくらい進んだお店です。確か、『おもちゃの金本』です」
(…榎田くん、メモしてくれ。後で裏を取りに行くぞ)
(…はい、分かりました)
「その店で、何故揉め事に?」
「……それが」
「事件に関わる内容かもしれません。…お願いです。どうか勇気を出して、話してください」
「…順平の方から、無理矢理、喧嘩を売ったっていうか。…ちょっかいを出したんです」
「相手を覚えていますか?」
「…えーと。名前は、はっきり覚えていません。丸刈りでした。でも、順平が確か、『十五年前の下着を強奪した男』だっと思うんですが、女性から下着を奪って裁判になって、それが原因でうなぎ屋を追い出されたとか言ってました」
(------!)
(…加藤昭博のことだ!)
「それは、加藤昭博という男じゃないですか?」
(------!)
「あっ、そうです。その加藤何とかって人です。…私も『超きもいんですけど』って罵りました。今度会えたら、ちゃんと謝らないといけませんね」
(…加藤は、もう…)
(…余計な事は、言わなくて良い)
人として、間違った言動を取った自分を悔いるように、豊田千尋は涙した。
「…済んでしまった事は、仕方ありません。それで、二人はどうなりましたか?」
「お店の外で、私を遠ざけて二人で何かこそこそ話してました。すぐに二人は、何か折り合いをつけたようで、順平が私の手を取り、その場を後に。それから、二人で十七時過ぎまで書店に行って、小松八幡にある石松餃子を食べてから、天竜区に帰りました」
「そうですか。では、加藤昭博と別れた後、岡田順平さんは、何かあなたに加藤昭博について話ましたか?何でも結構です」
「…餃子を食べた時ですが、『直に十万円入るから、次の休みは舘山寺の遊園地に連れて行ってやる』って言ってました。私が『その遊園地なら、恋人同士で行ったら、別れるって迷信があるから嫌だ』って言ったら、順平は笑いながら、『じゃあ、さわやか浜北店で死ぬほどハンバーグでも食べようぜ』って」
(…警部、十万円って?)
(…ああ。多分、岡田順平が加藤昭博を、玩具店の外で強請ったんだ)
「豊田千尋さん。…勇気ある証言をありがとうございました」
「……あの、順平に会えますか?」
「ご遺体は、現在、浜松医科大学医学部附属病院で司法解剖中です。ご家族優先ですが、まだ貴女はご両親にお会いしてないとの事ですので、家族の方と遭遇しないよう配慮くらいは出来ます。…それでも良ければ」
「……お願いします。このまま、顔も見ずお別れなんて、辛すぎます」
鈴木は、豊田千尋の肩に手を置いて、静かに語りかけた。
「…人生には、必ず好きな人と別れる時が来ます。亡くなった方を忘れる事は出来ません。彼の事を思い続けて生きていくのかは、正直私には分かりません。…ですが、今だけは、岡田順平さんを愛した自分に誇りをもって、彼に会ってやってください。胸を張って、ありがとうと別れを告げてください」
「…はい。…はい、ありがとうございます」
豊田千尋の連絡先をメモし、大学病院で再会させる約束をして、アパートを後にする。
「榎田くん。…やはり若者の死は見たくないな」
「そうですね。彼女、まだ二十歳前半じゃないでしょうか?」
「事件要因を作ったのは、岡田順平で間違いないだろう。だが、この時点で、加藤昭博と結びつくとは、正直予想もしなかった」
(金を強請った事実から、この二人が争ったのは濃厚だ。連絡がつかなくなった二十時三十分には、おそらく船明ダムで、二人が落ち合っていたのだろう。益々、本沢合の一件と連動している確率が上がった)
船明ダムでの真相が掴めてきたが、何故、その加藤昭博が殺されることになったのか?
真犯人とこの事件がどうやって結びつくのか、全く分からない。
佐久間なら、どう解釈し推理するのか?
自分の推理力の限界を噛みしめながら、次の目的地『おもちゃの金本』に向かう。
~ 再び、浜松市天竜区船明ダム ~
「段々、絞れてきたようだな」
球場、船明諏訪神社、公園管理事務所の防犯カメラ映像から、ある二台の車種が浮かび上がる。黒色のワンボックス車と黄色の軽自動車から、加藤昭博と岡田順平の姿が確認出来たのだ。
「安波警部、映像の右上にある時間も合致しますね」
「ああ、これで立証出来そうだ。それにしても、想定よりも二十分も早いとはな」
(二十時三十一分、護岸天端から下りて揉めた後に、岡田順平は殺され、加藤昭博が戻って来た訳だな)
録画時間を早送りしていく。
「ここだ!ここで止めてくれ。…見ろ、加藤昭博だけだ。時刻は…?」
「二十時五十五分です。やりましたね」
「…ここまで、予想通りとはビックリだ。二人は、護岸下ですぐに揉めた事になるな。そして、決着も直ぐについた事になる。一連の時間はたったの二十四分だ。下りに五分、犯行場所からこの位置まで十分としても、残りは九分だ。二十時五十五分なら、今朝の検証時間通り、二十二時には本沢合に到着している」
「安波警部、橋上の県道映像は残念でしたね」
「丁度、死角になっていたからな。匿名者が真犯人だとすると、死角位置を把握して位置取りをしたのかもしれない。知能レベルが高いと考えるべきだろう」
「これからどうします?遠藤・国元班と合流しますか?」
「そうだな。岡田順平については、鈴木警部たちが何か情報を得て戻ってくるはずだ。小林駅付近の映像解析結果を確認してから、一旦捜査本部に戻ろう」
安波は、結論付けて話をする間、早送りする映像が二十二時十分まで進んでしまっている。
「話に夢中になって、早送りし過ぎたようだ。これ以上見ても仕方が無いから、そろそろ止めていいぞ。引き上げよ…う……。ん?ちょっと待て。ストップ、ストップだ!」
三人の視線が、釘付けとなった。
「……安波警部」
「…ああ、村松弁護士だ」
(何故、こんな時間に?)
「どこに向かって歩いて行く?……護岸の方に向かったぞ?おい、他の画面に切り替えてくれ」
船明諏訪神社前に、映像が切り替わる。
(………)
(………)
(…何か、ブツブツ言っているのか?)
「何かを喋ってますね?これだけでは、分かりません」
「映像を大きく出来ないか?」
「浜松中央警察署に持ち帰れば。ここでは、機材がないので無理です」
「なら、浜松中央警察署で検証するぞ。村松弁護士が、関係しているのは間違いない」
「もしかしたら、村松弁護士が真犯人でしょうか?県道上の死角には映っていませんが、安心して回ってきたかもしれないですね?」
(…十分あり得る話だ。これが本当なら、村松弁護士が真犯人。…だが、それだと時間が合わない。この時刻は、二十二時十三分だぞ。二十二時二十五分の犯行時刻には、本沢合地区に行っていない事になる。つまり村松弁護士は、加藤昭博の殺人には関わっていない。…混乱してきた」
「プルルルルル」
「もしもし、木下です。ああ、国元刑事。…ちょっと待ってください。警部と変わります。安波警部、国元刑事からです」
(何か分かったのか?)
「もしもし、安波だ。どうした?」
「国元です。小林駅前での防犯カメラに村松弁護士の姿を確認しましたので、連絡を」
(------!)
(------!)
(------!)
「村松弁護士だって?」
木下と樋口も、傍で聞き耳を立てる。安波は、全員で音声を聞き取れるよう、スピーカーをONにした。
「国元、それは何時何分の解析映像だ?」
「はい。えーと、まずは二十一時です。小林駅前の店舗前で、村松弁護士は約三十分、車内で待機。誰かを待っているのか、何か苛々しているイメージです。二十一時三十分過ぎに、急に何かを思い出したかのように、猛スピードで車を発進させ、この場所から立ち去りました」
「どっちの方面だ?本沢合の事件現場か?それとも秋葉街道方面か?」
「映像の方向から判別すると、秋葉街道方面です」
(………)
安波は黙って、左手で口を塞いだ。
(…二十一時三十分だと?小林駅から本沢合の事件現場までは、直線距離で約三百メートルしか離れていないから、車なら一分以内の誤差だ。…という事は、小林駅前から船明ダムまでは約四十分の所要時間と考えて、二十二時十分。船明諏訪神社の映像時間とピッタリだ)
「国元、村松弁護士はそこで三十分の間、何をしていた?誰かと電話したり、何かを見ていたとか何でも良い。何か分かることはないか?」
「ちょっと待ってください。早送りして確認します」
(………)
「…映像を見る限りでは、何もしていません。ずっと右窓から手をダランとさせ、苛々しながらドアの真ん中辺りを、手の指で叩いているだけです」
(…そんな馬鹿な。何の素振りもなく、本当に突然思い立って、その場所を立ち去ったというのか?)
「……とりあえず、分かった」
電話を切ろうとする安波に、慌てて国元が待ったをかけた。
「まだ報告は続きます、続くんです。切らないでください」
(………?)
「実は、不可解な事なんですが、小林駅前を、再び村松弁護士が通り過ぎています」
(------!)
(------!)
(------!)
「何時だ?」
「時間は、二十二時二十四分です」
(------!)
(------!)
(二十四分だって!)
「馬鹿な!船明ダム映像では、二十二時十三分に、間違いなく村松弁護士が映っている。見間違いじゃないのか?」
「それが、他の防犯カメラ映像でも、同じ時間帯の村松弁護士を映してるんです。例の魚屋付近、加藤昭博がひき逃げされる一分前の映像です」
(------!)
「時間は?」
「はっ?」
「その映像に映っている時刻だ!」
安波の言葉も荒くなる。あり得ないのだ。
「すっ、すみません。…二十二時二十五分。先程話した映像から一分後です。解析をさらにすれば、カメラ位置から時速と距離、時間整合が出来ます」
(………)
「…分かった、ご苦労さん。その映像を、捜査本部に持ち帰って検証を進めてくれ」
「はい、分かりました」
あり得ない事が、目の前で起こっている。
船明ダムと本沢合地区。二箇所の殺人事件現場に、村松弁護士の姿が確認されている。防犯カメラ映像は、二人の村松弁護士を記録し、安波の推理を一つは完璧に証明し、一つは完全に拒絶している。
頭が真っ白になる安波に、木下と樋口が冷静に声を掛けた。
「安波警部。…村松弁護士の身柄を急ぎ確保しましょう。逃げられたら、元も子もない。まずは身柄を押さえて、裏を取るんです。気の毒とは思いますが、加藤昭博のひき逃げ容疑が濃くなりました」
「…だが、村松弁護士は佐久間警部の友人だ。第二犯行の現場不在証明だって成立している。静岡県警察本部や浜松中央警察署全員で認知までしたんだぞ。その男を捕らえるというのか?」
完全に、思考能力が低下している。
「しっかりしてください!…指揮官はあなただ、安波警部!」
「……仕方あるまい。責任は、儂が取る。…本沢合で発生した『加藤昭博ひき逃げ殺人容疑』で村松弁護士を緊急逮捕せよ!」
「はっ、分かりました」
「緊急配備をし、身柄を拘束します」
~ 東京、警視庁近くの料亭 ~
佐久間は、課長の安藤に連れられ、警視総監の布施と一杯やっている。毎年この日は、警視庁幹部が集まる懇親会が催され、本来であれば警部職は関係ないのであるが、警視総監から『佐久間は必ず同席させろ』と厳命が下っており、佐久間もまた、上層部に現場意見を通す良い機会を得たと、喜んで同席していた。
懇親会では、各課の忌憚ない意見が飛び交う。
今年一番のテーマは、やはり『働き方改革に伴う各課の残業抑制と手法』である。
国土交通省や経済産業省と並び、警察庁と警視庁は、省庁の中でもワースト部類に入る残業時間の多さが指摘されており、何年かに一度、過労死のニュースが世間を騒がしている。警視総監の布施が、佐久間を呼んだのも、前線で戦う者の代表としての意見を聞きたかったからだ。酒が、幹部たちの意見を誘う中、佐久間の番が来た。
「次は佐久間警部の番だぞ、思った事を言いなさい。みんな、佐久間警部の性格を熟知しているから、心配は無用だぞ。捜査一課として、きちっと目の前の爺たちに言ってやるんだぞ!」
安藤は、既に顔が真っ赤で出来上がっている。各課の課長たちも、無邪気に楽しんでいるようだ。
「では、極力噛み砕いて。他の省庁と警察職員の残業は、質が大きく異なります。他の省庁は、何故残業が多いのか、新聞やインターネットで調べたことがあります」
「ほう?…安藤、お前が仕込んだのか?」
「違います。そこまでの器量はありません」
「国土交通省や経済産業省の官僚は、国会答弁が警察庁よりも圧倒的に多いため、国会開催期間は、国会議員が良いと言うまで帰れません。でも、残業の根本はそれだけではないようです」
布施も、興味津々だ。
「根本ときたか?非常に興味深いな、何が根底にある?」
「自己満足と顕示欲。それに正義感ですよ。何故なら、国家公務員は、国会議員の代わりに法案を作り、それが国会の審議を通過したとしましょう。自分の力で法律に手を加えられるんです。国の姿は、形が存在するわけではないので当然見えません。ですが、法案で国民の生活がどう変わるのかは明瞭です。ガバナンスがはっきりとしているから、やる気が維持出来るんです」
「ガバナンスって何だっけ?」
「平たく言うと、統治するうえでのプロセスのことを言います」
佐久間は、布施に日本酒を注ぐ。
「なるほどな。そのガバナンスがやる気を出させる訳か」
「はい。顕示欲は、幹部クラスや官僚クラスになるほど強い傾向となります。脳がやる気で支配され、もっと支配している快感を得たいが為に、無理をして残業し、気がつけば病魔に蝕まれた事例が報告されています」
捜査二課長が、質問する。
「では、警視庁をどう見るかね?経済産業省に匹敵する残業を抱えているが、打破せにゃいかん」
「残念な事ですが、ここ数年、組織内で不祥事が多すぎます。犯人を捕らえたにも関わらず、脱走を許してしまう。注意喚起しても、パワーハラスメントやモラルハラスメントが消えず、飲酒運転をして捕まる警察官までいる。国家公務員としての自覚が、あまりにもなさ過ぎるんです」
「…確かに、ゆとり世代を悪くいっちゃいかんが、警視庁幹部の昔に比べると、全体的に緩んできたな」
「ゆとり世代は、確かに悪く言われる傾向が今でもあります。ですが、逆に彼らは『そう言われないように』歯を食いしばって頑張っている。職員人口が減ったことで、業務量がそのままでも、対応する絶対数が足らない。それを補填するために、更なる残業を科せられるから悪循環となる。でも、少しだけ光明も見え始めました」
「どんな光明だね?」
「非常時の分散化ですよ。JR東日本が、試行的に計画運休をしました。ある時間を過ぎたら、もう電車に乗車出来ない。諦めた国民は外出をしないで、危険を抑止することが出来た。改善の余地は見受けられましたが、久しぶりに目が覚めた気がします。これを警察組織に当てはめたらどうなるか」
全員が、佐久間に注目する。
「犯人を捕らえるのに、残業うんぬんは言えません。取り締まりを緩めることも無意味です。ただ、近年、警察組織も、無用な部署が増えすぎました」
布施は、思わずほくそ笑む。
「組織の解体と統一化ということか」
「はい、大学病院と同じです。風邪の症状なのに、どの科に診察を受ければ良いのか、患者はよく途方にくれます。循環器などはさらに複雑で、受付で聞かない限り、一人で訪問する科に辿り着くことも出来ません。もしそこに、全身科医と呼ばれる医師がいれば、一人で多くの症例を診断出来きて、多くの患者が満足出来る。これを警察組織に置き換えても同じことが言えるんです。人材が少ないからこそ、個別能力を底上げし、常識を鍛えていくことで、庶務から刑事事件までも、火急時には誰もが対応出来る。目の前にいる同僚に、会話ではなくメールで用件を伝える体質を改め、意思疎通の強化を図り、風通しを良くする。もっと上は下を信頼し、重圧を掛けずに泳がせ、下も上の立場を尊重し、目標とする。誰かがやるのではなく、全員が仲間意識を持って臨むべきであり、そうしていかなければ、これから行政は、益々民間から置いてきぼりにされ、衰退していきます。公務員は解雇にならないという、安泰に守られる悪しき風習は捨て、改革していけば、必ずや民意を反映する組織となりましょう。そうなれば、必然と業務効率が上がり、例え二十年後、日本の人口が半分程度まで落ち込んだとしても、生き残れると信じてます」
「…各自の能力向上が必須となる訳か。その点は、警視庁幹部も反省せねばなるまい。不祥事を起こした者を、警察学校に戻して再教育させるだけでは足らないな。言葉が汚くなるが、『誰かに尻ぬぐいをさせている』に過ぎないからな」
「はい。上層部が柔軟な思想を持たない組織は、下からの崩壊が早く、立て直しも出来ません。だからこそ、若い巡査たちに対して、飴と鞭を使い分けてでも能力向上を図りつつ、上層部も今の地位に甘んじる事なく、正義を貫かなければなりません。…生意気な事を言わせて頂きましたが」
布施は、満面の笑みを浮かべた。
「佐久間、直ぐに佐久間警部たちの時代が来る。警視庁幹部は喜んで、膿を出し切って、礎になってやる」
「…総監、まだ楽をして貰っては困ります。私も、総監と同じく若者たちの土台で本望です。でも、許されるなら、犯罪のない世を構築して、若い世代に繋げてやりたい。…遙かなる展望ですが」
若い世代を憂い、正義を語ることが出来る同僚と飲む酒は、格別に美味い。そう思いながら、話がさらに盛り上がりを見せる中、安藤の元へ静岡県警察本部の山ノ内から電話が入った。初めは楽しそうに、山ノ内にくだを巻いていた安藤の顔色が、見る見る変わっていく。佐久間も、すぐに何かを察した。
「……分かった。儂から伝えよう」
(………?)
「…佐久間警部、悪い知らせだ。…先程、村松弁護士が逮捕された」
(------!)
「逮捕とは、一体何が?」
「昨夜から本日未明に掛けて、静岡県警察本部所管で二件の殺人事件が発生し、その内一件が、村松弁護士の仕業であると、静岡県警察本部が断定し、身柄を拘束したそうだ。加藤昭博という男をひき逃げし、殺害した容疑だそうだ」
(------!)
「…加藤昭博。課長、それってもしかして?」
(………)
安藤も、すっかり酔いが醒めたようだ。しばらく沈黙し、静かに頷いた。
「第三の殺人。…いわゆる『記憶殺人』だ」




