四面楚歌 1
~ 六月、東京 ~
村松弁護士が襲撃されてから、一ヶ月半が経過している。全快した村松泰成は、既に日常業務をこなし、定期的に静岡県警察本部や佐久間と連絡を取り合っているが、依然として犯人の特定には至っていない。
判明したといえば、ほんの微量であるが血液反応が確認出来たくらいである。このことから、静岡県警察本部は、村松弁護士は賽銭箱を覗き込む際に何者かに背後から襲われ、気を失っている間に電子標識器具を仕込まれた可能性もあるものの、元から入っていた説も否定出来ない事から、両面で捜査をする事に決まった。
また、現場に残された下足痕が第二殺人の現場で採取されたものと同一であると鑑定結果で分かったことから、静岡県警察本部と各所轄警察署の合同捜査チームは、一連の事件として改めて認知し、裏付け捜査を展開。
一方、東京では、通常捜査の合間に佐久間と安藤で今後の捜査展開を予想している。いつ警視庁に静岡県警察本部から捜査協力が来るか分からないからだ。
「なあ、佐久間警部。第二殺人の下足痕が村松弁護士襲撃と一致したなら、やはり村松弁護士は潔白で良いんじゃないか?これで村松弁護士の関係者が犯人である確率はグンと上がったしな」
佐久間は何かを思い悩んでいるようだ。
「…はい、範囲を狭められた事は有り難いです。でも、ほんの僅かですが疑いが消えていません」
「クロロホルムか?」
「どうしても、医師の意見が頭から離れません。麻酔に掛かる意思がないと昏睡状態になりません。本当に、襲われてすぐ意識をなくし、電子標識器具を埋め込まれたのか?村松弁護士が共犯者に指示したのならば可能ではないかと疑ってしまいます」
「まあ、当然といえば当然だな。…だが、現場不在証明が成立しているぞ」
安藤の言うことは正論である。佐久間も困った様子で頭を掻いた。
「確かに、自ら村松弁護士の現場不在証明を確認しました。唯一不審な点といえば、仮眠中トイレに行ってますが、せいぜい十五分前後です。買収された施設責任者が寝落ちしたか、共犯者でない限り、今のところ犯行を立証する事は困難です。ですが、村松弁護士が犯人で何らかの時間差罠を使用して、犯行したならば辻褄が合うんです。唯一の救いは、第二犯行の現場に村松弁護士の足跡がなく、別人のものであったという点ですが。靴寸法も違っていましたし、そこまで村松弁護士が細工を試みたとは考え難い」
「村松弁護士が今でも二重人格者だと思うかね?」
「意識がなくとも、現に犯行は行われています。確率論からするとゼロではありません。実は潔白なのに犯人の誘導で共犯であると欺されているかもしれない。逆も然りです、幾らでも疑おうと思えば疑えてしまい、決定打に欠けるんです」
「一体、どちらが本当なのか難しいな。…ところで、まだ村松弁護士には電子標識器具の事は話してないのか?」
「はい、言わなければとは思っているんですが。期を逸してます」
「佐久間警部しか言えまい。だが、村松弁護士が潔白の場合、躊躇する時間はないぞ」
「…承知しております。ですが、今しばらく考えさせてください」
~ 一方、その頃。静岡県浜松市 ~
「鈴木警部、今度は平成十五年五月に発生した浜松市天竜区衣類強奪事件を当たりましょう。被告は後回しとして、まずは原告の黒澤君枝から。当時三十歳ですから、今はもう四十五歳です」
「所在は…愛知県豊橋市か。黒澤君枝、結婚したんだな」
「そうみたいですね。家庭を持っていますからね、行ってみないと分かりませんが、あまり思い出したくないかもしれませんね。先日の富永宏のように門前払いを食らうかもしれません。…あれは冷たかった」
「まあな。原告にしてみれば、裁判で負けたんだ。真犯人は捕まっていないし、静岡県警察本部に不審を抱いて当然だ。それに新たな容疑者扱いされるかもしれないんだ、包丁が飛んで来ても仕方あるまい」
鈴木と榎田は、村松弁護士が過去に担当した事件の原告と被告両方の所在を割り出し、一件ずつ聞き込みをしている。最も古い事件は、既に十七年が経過していて、結婚した者、居住を変更している者様々である。先日は平成十七年六月に発生した浜松市北区無差別通り魔事件の原告側である富永宏を訪れ、想定通り、挨拶早々に富永宏の怒りを買い、玄関先で水を浴びせられたばかりだ。
敗訴した原告は、一様に警察、検察、弁護士に不審を抱いており、現場不在証明を聞くどころか顔も見たくないはずであるが、捜査上避けては通る事は許されない。今日も、玉砕覚悟で当たるだけである。
二人は、東海道新幹線で浜松駅から乗車し豊橋駅で下車すると、今度は駅前から路面電車の豊橋鉄道市内線に乗り換える。八駅先の井原駅に到着したのは十四時時過ぎであった。
「鈴木警部、黒澤君枝はここから北に進んだ牛川遊歩公園の隣に住んでいるはずです。徒歩で二十分くらいでしょうか」
「…何か手土産はないか?女性が好きそうな」
榎田はスマートフォンで周囲を検索すると、アイスクリームショップを発見。そこで四人家族と想定し手土産として用意することにした。公園に到着し、黒澤君枝宅を確認。家の明かりが点いているから在宅のようだ。
「榎田くん、頼んだよ」
インターホーンを鳴らすと、直ぐに黒澤君枝が出てくる。目が合うなり、警察関係者と分かったようだ。
「突然、申し訳ありません。静岡県警察本部の者です」
(………)
「あの、これ宜しかったら。アイスクリームですが」
「…ありがとうございます」
黒澤君枝は、アイスクリームを受け取るとそのまま奥へと消える。早々と冷凍庫に置きにいったようだ。程なくして、今度は幼い息子を連れ、二人の前にやってくる。
「……あの、ここでは何ですから近くの公園で。…主人も留守だし、この子を遊ばせたいので」
「全然構いません。すみません、無理言いまして」
~ 牛川遊歩公園 ~
「ママ、お砂場で遊んでいい?」
「良いわよ、おじちゃん達とここにいるから。他所の子に『入れて』ときちんと挨拶するのよ」
「は---い」
牛川遊歩公園は、都市区画整理事業で設置された公園だ。奥行きは三十メートル程だが、延長は八百メートルはあり、遊歩するに相応しい所である。子供が輪の中に溶け込むのを見届けてから、鈴木たちは丁寧に接し始めた。
「改めてご挨拶いたします。私は静岡県警察本部の捜査一課警部の鈴木。こちらは浜松中央警察署の榎田巡査です。実は今捜査中の事件に弁護士が関係してまして、弁護士が過去裁判した関係者全員から話を伺っています。正直、過去を聞かれる事は嫌かもしれませんが協力をお願い出来ないでしょうか?」
(流石、鈴木警部。僕とは言い方から違う。こんな風に話掛けていたら、昨日水を浴びせられなかったのかな)
黒澤は、少し戸惑っている。
「過去って、昔の衣類強奪事件ですか?」
鈴木と榎田は静かに頷く。
(………)
初めは冷静に見えた黒澤君枝だが、一気に不満をぶちまけた。
「今更、何を聞きたいと?裁判に負けて、加藤昭博は釈放された。私は目の前で加藤を見たのに、裁判で証拠不十分だと言われ、あっさり敗訴した。周りからは『お金が欲しくて偽証したんじゃないか』とか、『衣類を強奪されたくらいで裁判なんて』とか『隙を見せたのが悪い』とか散々嫌みを言われて。…刑事さん、知ってる?あの裁判のせいで、家は誰かにガラス割られたり悪戯されるし、会社の中では誹謗中傷の怪メールが届くし、当時の天竜警察署に相談しても、『実被害が確認出来ない』って言って、まともに相手にされなかった。…市民の味方じゃなくて、犯人の味方をする警察が今度は何しに来たのよ?」
言葉が出ない。
「…まあ、今の刑事さんに文句言ったところで、あの時の悔しさは伝わらないわ。豊橋まで遠路はるばる来てくれたから一応、話は伺いますけど」
榎田は、申し訳なさそうに村松弁護士の写真を見せる。
「実はこの弁護士なんですが」
(------!)
「これって、村松弁護士?」
「はい。当時、加藤昭博を担当した村松弁護士です」
「村松弁護士のせいで、私や家族は。…で、この男が何か?」
「今、ある事件でこの村松弁護士が捜査線上にいます。その過程で二月十三日深夜から二月十四日未明と三月二十七日深夜から三月二十八日未明の現場不在証明を関係者全員から聞いているんです」
「話がよく見えませんが、現場不在証明を聞かれるって事は死んだの?だとすると、不謹慎だけど、ちょっと嬉しいと言うかざまあみろって感じかな」
(嬉しい?)
「お気持ちは少し分かりますが、死んではいません」
鈴木も榎田も、第一殺人と第二殺人の情報を伏せた内容で事情を聞く。村松弁護士を悪者にしてでも、村松弁護士以外の名が出ないかを知りたいのだ。
「ふ---ん」
黒澤君枝は、それ以上は関心がないようで、こちらの出方を伺っている。
「もう四ヶ月前の事をいきなり聞かれても困るのは重々承知です。遡りしやすいように、少し小さいですがシステム手帳を持参しました。これを見れば曜日も分かります。何とか思い出して頂けると助かるんですが」
「現場不在証明ねぇ。…ちょっと待って、バレンタイン前後。…それと三月の終わりね」
しばらくシステム手帳のカレンダーを見ていた黒澤君枝は、何とか記憶を辿れたようだ。
「…バレンタインの日は、子供を早めに寝かしつけて、主人と録り溜めしたノンフィクション番組を遅くまで観ていたわ。三月二十七日は、翌日が確か子供のお遊戯会だから二十時過ぎには全員で就寝してたな。これでどうかしら?この場で主人に電話して聞いてくれても良いけど」
「失礼ですがご主人は、過去の事件を知ってるんですか?」
黒澤君枝は、この言葉に突如、不快を露わにして、敵意をむき出しにする。
「過去を知ってる?この場合は、『知っておられるんですか?』じゃないの?榎田巡査、年下よね?」
(------!)
すぐに榎田は頭を下げた。
「すっ、すみません。言葉が汚くて、仰る通りです」
「……ふん。主人は、会社の元同僚。怪メールで唯一私を庇ってくれた人。裁判内容も知ってるし、私の主張を全面的に信用してくれる。…今でもね。だから、現場不在証明は私と主人両方が一緒って訳。これでどうかしら?」
鈴木は捜査メモを取り出して、再確認した。
「確か、黒澤君枝さんはコーヒーメーカーを取り扱う商社でしたよね。今もお変わりありませんか?」
「ええ、変わってないわ。人事部長になったから、静岡県から本社がある愛知県に越して来たの。あまり大声じゃ言えないけど、昔私を苛めた人は、主人に僻地へ飛ばされてるの。ざまあみろでしょ?」
「そうですか」
「あの、…刑事さん」
「何でしょう」
「今更、あの時の裁判を蒸し返そうって訳ではないんだけど、加藤昭博はまだ生きてるんですか?」
「…はい」
「死ねば良いのに」
(------!)
「お気持ちは分かりますが、あまり声を高くしては」
「逮捕するんですか?」
「いえ、言論の自由ですから。人にはそのような時もあると理解しているつもりです」
「なら、言っておいて頂戴。加藤昭博や村松弁護士にも。『あんた達なんて死んじゃえ』って。因みにどこに住んでるの?」
「お教えしたいのは山々なんですが、規則上裁判に関わる相手の情報をお伝え出来ないんですよ」
この答えに、黒澤君枝はまた不快感を露わにする。
「あんた達警察は、自分たち都合で人に現場不在証明を聞くくせに、警察に都合が悪い答えは絶対に言わないよね。そんなところだけ、行政ですからって顔してさ」
(………)
返す言葉がない。
黒澤君枝は、こちらの弱点を正論でズバズバ突いてくる。流石に、鈴木と榎田も苦笑いしか出来ない。
「まあ良いわ。とにかく、二度とあの二人には関わりあいたくないし、警察の顔も見たくない。これ以上、善良な市民の古傷をえぐるようなら、逆に名誉毀損で訴えてやるから。上層部の人にも伝えて頂戴」
「…はい、ご協力ありがとうございます。気をつけます」
これ以上話す事もないと、黒澤君枝は勝手に見切りをつけて、子供と自宅へ帰っていく。鈴木と榎田は苦々しい思いで、去りゆく姿をいつまでも見送った。




