渇望と再会 2
~ 浜松中央警察署 第二会議室 ~
捜査官たちは半分ほど出払っていたが、安波や鈴木はまだ席を外していない。村松弁護士の報を受け、佐久間が現地入りすると榎田から聞いていたため、不測の事態に備えて待機していたからである。
「佐久間警部、お疲れさまです」
安波たちは、昨夜行った捜査会議の内容を報告しようとした。だが、佐久間の様子がおかしい。
「お疲れさまです。無理を言って、また押しかけてしまいました。少々厄介なことになりそうです」
「何があったんで?」
挨拶もそこそこに、佐久間は時間を気にしながらも知り得た情報を話し始める。
「まず、連絡頂いた村松弁護士の容体ですが、とりあえず一命は取り留めました」
「それは、良かった。…でも、顔色が優れないようですね」
「ええ、順を追って説明します。まず、村松弁護士は昨夜遅くまで、友人の事務所と花見を楽しみ、徒歩で自宅へ向かった。道中に立ち寄った於呂神社で事件に巻き込まれました。医師の話では、クロロホルムを盛られたとの事です。要約すると…」
○医師の見解からも、村松弁護士は何者かに命を狙われた
○配合には専門的な知識を要し、素人には難しい
○クロロホルム自体は実際には多少吸引しても気を失うことはない
○せいぜい咳や吐き気、頭痛に襲われる程度
○麻酔性があることは事実だが、これを発現させるためには相当量の吸引が必要
○過度の吸引は腎不全を引き起こし、死に至らしめる可能性が高い
○麻酔として用いるためには吸引量と全身状態を管理された状態に置く必要あり
鈴木も何かを思い出したようだ。
「そういえば、私も過去にクロロホルムで痛い目に遭いました。その時も、クロロホルムならすぐ眠らす事が出来る認識だったので、犯人が使用したのだと判断を誤り、捜査が後手になりました。実際には別の薬物だったんです」
安波は、左手で口を覆う。深く考える時にする仕草だ。
(…普通なら、簡単に意識は失わない。だが、村松弁護士は意識を失い搬送された。相当量を盛られたから。…医師の話では配合が難しい)
「佐久間警部、盛った相手をどう見ます?」
「選択が分かれると考えます。一、薬学に精通した人物が使用した。二、村松弁護士が自ら望んで盛られた」
(------!)
(------!)
「村松弁護士自ら?どういう意味です?」
「医師の話では、麻酔としてクロロホルムを用いるためには、麻酔をかけられる側にも『麻酔される意志が必要』との事でした。確率論で言うと、90%は犯罪に巻き込まれた。残りの10%は自身でだそうです。僅かですが、村松弁護士に疑惑が生じた事になります」
内容を把握した榎田も複雑だ。
「あんなに苦労して、現場不在証明を立証したのに。何と言ったらよいか…」
「実は、まだ報告が二点あります。医師からレントゲンを見せられました。村松弁護士の頭部に電子標識器具が埋め込まれています」
(------!)
(------!)
「どういう事です?」
「何の目的かは不明です。爆発するのかしないのか。埋め込まれた場所は、脳の組織上は問題ないので、取り除かなくとも一生不便はしないようですが…」
映画では見た事があるが、この事例は流石の安波も経験した事がない。開いた口が塞がらない。
「犯人は村松弁護士に電子標識器具を埋め込むために昏睡状態にした。…そういう事ですかね」
「ええ、それが一番すっきりします。村松弁護士が共犯なら、警察組織を油断させて次の犯行を見据えた布石でしょう。潔白なら、村松弁護士にじわじわと復讐するために行った犯人の狡猾な罠です。殺そうと思えばいつでも殺せたが、敢えてそうしなかった。…したたかさを感じます」
村松弁護士は潔白なのか、それとも共犯なのか。
「報告の二点目はこの手紙です。新聞投函時にはなかったらしいですが、娘さんが発見し届けてくれました」
「手紙ですか」
「はい、これを見てください」
佐久間は再び手袋を装着し、手紙を広げて見せた。
『 村松弁護士へ
生きながらえた感想はどう?
楽に死ねると思わないでね
ささやかなプレゼントが
どうにかならないよう
心より、祈っています
まだ、お楽しみはこれからだよ 』
(………)
「何が言いたいんでしょうか?」
「ささやかなプレゼントって、電子標識器具の事かな?」
「どうにかなるって、爆発するのか?」
電子標識器具の先入観が拭えない。短い文章だけに、どう解釈するか悩んでしまう。
「ご家族には流石に見せられないので、回収してきました」
「娘さんは見てないんでしょうか?」
「開封されてなかったからね。安波警部、念のため科捜研で成分を検出してみてください。まず犯人の指紋や繊維など検出されないでしょうが」
「封筒や便箋の取扱店舗も調べておきますか?」
「今回の事件は浜松市に限定的ですが、犯人は県外かもしれません。この手紙は、全て新聞の切抜き文字で作られている。文字の特徴から新聞社と地域が分かるでしょう。警察組織がこれを調べると読んで裏をかくのか、緊張感を味わうために敢えて切抜きを使用したのか。逆に筆跡から足がつくのを恐れての事なのか。犯人の性格、知能レベルが掴めるかもしれません。骨が折れると思いますが、お願いします」
「佐久間警部。ちょうど班分けした別働隊で原告・被告両方の所在を調べているところです。新聞の切抜きと封筒の取扱店舗、両方から居住地域が特定出来るかもしれません」
一通り報告を終えた佐久間は、全員に対して言葉を改めた。
「会議室に入ってすぐに分かりました、雰囲気が変わりましたね。捜査が前向きに進展している証拠だ。想定外だらけの難事件ですが、警視庁も喜んで協力させて頂きます。また、お邪魔させてください」
「お疲れさまです!」
安波と鈴木が玄関入り口まで付き添った。
「佐久間警部、浜松赤十字病院に戻られるんですか?」
「ええ、あと一時間半ほどで村松弁護士と面会出来るはずです。於呂神社を検分しながら戻ります」
「そうですか。警部は実際、村松弁護士をどう思います?こんな質問失礼かもしれないですが」
佐久間はクスッと笑う。
「構いませんよ。私自身、医師の話を聞いて同じ確率で疑っているし、手紙も然りです。犯人が被害者と偽って捜査を攪乱する事は良くありますから、常に最悪の想定でお互い考えましょう。本音を言えば、友人に手錠を掛けたくはありません。純粋に被害に遭ったと思いたい」
「心中察します」
佐久間は二人と握手を交わし、榎田が待つパトカーへ乗り込んだ。
「安波さん。…私も早く追いつきたいです」
「…そうだな。そうなってくれたら儂も引退だ、頼んだぞ」
~ 浜松市浜北区道本、於呂神社 ~
「佐久間警部、こちらです」
(やはりこの神社だったか。…懐かしいな。神社も大木も、裏の家まで全て昔のままだ)
佐久間にとって最後に訪れたのが中学生時代であり、時が止まっている錯覚に囚われる。犯行現場を案内されるが、つい歩調がゆっくりになる。
「警部?」
「すまん、…随分と懐かしくってな。それでどこで発見されたんだ」
榎田は、大木の根っこで凸凹に盛り上がる土の上を歩きながら、賽銭箱付近で立ち止まった。
「この賽銭箱手前、五段ある階段の二段目と三段目の、この位置でうつ伏せになって倒れていたようです。明け方、通りかかった住職が発見して110番通報したとの事です」
(柴山は『同じ地区で花見をしていた』と言っていたな。此処らで花見が出来るのは、昔と地形が変わっていなければ、神社から南東の広場のはずだ。…ということは、泰成は帰宅中この神社がふと目に入った。随分と感傷的になっていたらしいから、『懐かしくなってふいに寄った』と考えられなくもない。私でも立ち寄ったかもしれない、賽銭箱の事を覚えていたのだろう)
佐久間は当時の再現をしてみることにした。一度、五十メートルほど田舎道を戻り、ゆっくりと神社を目指す。榎田も後学のため、佐久間の捜査方法を側で学ぶつもりのようだ。
「今から少し再現しようと思う。独り言になるが、付き合ってくれ」
「はい、勿論です」
「まず、村松弁護士は昨夜花見をしたと共通の友人が言っていた。知る限り、この地区で桜の名所といえば、この神社から南東の広場だ。ほら、ここからでも見える」
佐久間は南東の広場を指差すと確かに多くの桜が見受けられる。
「確かに咲いていますね」
「宴会が終わった村松弁護士は自宅が小林地区だから、この道を通って北西の方向、遠くに浜松赤十字病院が見えるだろう?あの裏手が自宅のはずだ。大人の足なら二十分もあれば着く。おそらく村松弁護士は千鳥足でここを北上し、於呂神社が目に入った」
再び、於呂神社の敷地内に入る。
「見ての通り昼でもこの暗さだ、夜ならもっと暗い。暗闇で目につくといえば…」
「神社の建物です」
「その通りだ。村松弁護士が倒れていた場所は、昔よく遊んだ場所だ。懐かしさのあまり、賽銭箱まで歩いたと仮定してみよう」
ゆっくりと歩を進め、階段を登る。
「人は不思議なもので、賽銭箱を見るとつい覗きたくなるんだ。経験ないか?」
「経験あります、よく分かります」
「私でも覗いてしまうよ。きっと村松弁護士もつい覗いてみたんだろう。そこを犯人に襲撃された」
佐久間は、榎田と立ち位置を入れ替わる。
「ちょっと、覗く仕草をしてくれ」
賽銭箱を覗く榎田の背後から、佐久間はハンカチで口を塞いでみる。
「良し、そのままうつ伏せに倒れてみてくれ。ゆっくりで頼む」
榎田は、ズルズルと力を抜かすように、うつ伏せに倒れてみせた。
「うん、やはりそうだ。榎田くん、今階段の何段目にいる?」
「えーと、二段目と三段目の間です」
「そうだね。この状況が正しければ、村松弁護士はクロロホルムを使われた時、即倒れたことになる。瞬間に倒れないとこの位置にならないからね。…ここで一つ、疑問が生じる。何を言いたいか分かるか?」
榎田は、唐突な質問に戸惑った。
(クロロホルムの量か?…それとも、襲われた角度か?)
「薬の量、襲撃方向のどちらかしか思いつきません」
「まず六十点の及第点だな。浜松中央警察署で私は何と言っていたか覚えているか?」
(………)
「電子標識器具だよ。埋め込まれたはずだが、階段には血痕がない。つまり、昏睡状態になった事と電子標識器具を埋められた事、この二点が結びつかなくなるんだ」
(そういう事か)
「佐久間警部。そうすると、この仮説はどうなりますか?」
「難しいな。この場所で電子標識器具を埋め込むる作業をしたのなら、血液が微量でも検出されるはずだ。または、眠らせた村松弁護士を一度どこかに運んで作業してから、また元の位置に戻す。でも、深夜から未明に掛けての短時間で、そんな面倒くさい事を犯人がやるとは思えない。この事から更に疑問が生じる、…分かるか?」
(………)
榎田は、何も思いつかないようだ。
(まだ早かったか?)
佐久間は茂みを注意深く観察しながら、答えを告げた。
「元々、村松弁護士の頭部に電子標識器具が埋め込まれていたんだよ」
(------!)
「村松弁護士は今年の初めに私に接触した際、半年ほど前から『過去、弁護した男が記憶や夢に出てきて困っている』と相談している。もしかすると、この電子標識器具が影響しているとも考えられるんだよ」
「それなら理屈は通ります。一気に解決ですね」
「そうかな?」
佐久間は、賽銭箱前の階段に腰掛けながら、再びじっくりと周囲を観察した。
「今まで記憶の話は何度か聞いたが、村松弁護士の口から電子標識器具の単語は出ていない。では、この電子標識器具はいつ誰の手によって埋められたのか?…頭部に入れるという事は麻酔状態でなければ出来ないと思うんだ。寝ているだけでは痛みで起きるだろう。そんな芸当を誰が出来るかと考えると、まだ推測の段階だから確証を得られず、謎は深まるんだよ」
(…何という発想力だ。これが警部の立ち位置か。…警部になれるまで、先は長いな)
「榎田くん。浜松中央警察署に戻ったら、安波警部に今の見解を伝えて、この於呂神社を徹底的に鑑識するよう依頼してくれ。佐久間から『渇望された』と言ってくれれば分かるはずだ」
「はい、科捜研に依頼してみます」
「…もうこんな時間だ、浜松赤十字病院へ向かおう」
~ 再び、浜松赤十字病院 ~
意識を取り戻した村松泰成は、集中治療室から三階の個室に移されていた。静かに目を瞑り、妻と柴山も無言で付き添っている。
「遅くなりました。無事で何よりです」
「あなた、佐久間さんがお見えよ。目を開けられる?」
(…佐久間が?)
まだ意識が朦朧としながらも、佐久間の名字を聞くと、村松泰成は目をゆっくりと開けた。
「佐…久間、すまないな。わざわざ、来てくれた…んだ」
佐久間は、静かに手を握った。
「馬鹿野郎。あれほど、気をつけろって言ったのに。…でも、良かったな」
「…ああ。何とか生きてる…よ」
「安静に寝ていろ。…一点だけ良いか?」
「…ああ」
「神社は懐かしかったか?」
「…ああ。懐かしくて…な。賽銭…箱…覗いて…意識が飛ん…だ」
(やはりな)
「…分かった。後は任せろ、敵を討ってやる」
そう言うと、佐久間はそっと村松泰成の手を離し、妻に挨拶をした。
「奥さん、今日はこの辺で帰ります。泰成を休ませてあげてください」
「ええ、ありがとうございます。何かあれば連絡いたします」
「柴山、ちょっとだけ席を外せるか?外で話がしたい」
(……?)
「ああ、構わんが?」
「じゃあな、泰成。良い子にしてるんだぞ」
「あ…あ、またな」
屋上のベンチで、柴山は村松泰成が意識を取り戻した際の様子を語り始めた。
「佐久間がいつ来るのかばかり気にしていた。余程、何かを伝えたかったんだな。俺にはさっぱり分からんが、あれだけの会話で良かったのか?」
「ああ、十分伝わったよ。浜松中央警察署に行った後、於呂神社に寄った。花見したのは、於呂神社から南東の広場だろ?」
「昔から変わらないのは、今ではあの広場だけだ。周りは全て開発が進んで、宅地になったしな」
「柴山の話を聞いていたお陰で、犯行の様子が再現出来た。ありがとう」
「…泰成が、感傷的になったってやつか」
「うん。多分、あの頃遊んだ記憶が再現視したんだろう。誰だって、心の傷を負った時は、昔歩いた道を懐かしんで歩きたくなる。道中、於呂神社が目に入って、無意識に境内を訪れたんだ」
柴山は煙草に火をつけた。
「俺も行ってみようかな。近くにいるってのに何十年も行ってない。変わっていたか?」
「いや、何も変わってなかったよ。当時のまま、我々と同じ年を取った」
「…そうか」
「…柴山。泰成はある殺人事件に関わっている。今回もおそらく、その影響で巻き沿いを食らったんだ」
「それって、年明けの裁判に関係してるのか?三谷って俳優の?」
佐久間は静かにクビを横に振る。
「それとは別だ。過去に泰成が弁護した事件で、騒動になったとか聞いた事はないか?」
それを聞いた柴山は、何かを思い出したようだ。
「……そう言えば、昔一度だけトラブルに遭っていたな。誰かの裁判後直ぐに、事務所が悪戯された。窓ガラスが全部割れて、机も荒らされ気の毒だったよ。外観の壁は特に酷くて、スプレー書きで『死ね』って書かれていたしな」
(------!)
「それはいつだ?」
「確か、俺が結婚した頃だから十五年くらい前かなあ」
(…十五年前か)
「ありがとう、恩に着る。しばらくの間、泰成と奥さんの面倒を頼むよ。でも、今言ったとおり、泰成は何かの事件に巻き込まれている。柴山は絶対に深入りするな、二次被害が出る事もある」
「分かった。もし何かあれば連絡する、佐久間の名刺をくれ」
「うん、落ち着いたら三人でまた飲もう」
佐久間は名刺を柴山に渡すと、急ぎ病院を後した。
~ 二十一時、東京 ~
「ただいま」
「おかえりなさい」
「何か急にうなぎパイが食べたくなってね」
「珍しいわね、お土産なんて。さては、昔の彼女に会ったんでしょう?」
「考えもしなかった質問だな、ご飯もう食べたかい?」
「待っていたわ。お風呂上がってから食べるでしょう、用意しておくね」
~ 二十分後 ~
「なあ、千春。泰成なんだが…」
「助かったんでしょ?顔に書いてあるもの」
「流石だね。でも、別の問題が出来たというか、捜査が長引きそうなんだ」
千春は、全く動じる事なく言い放つ。
「佐久間警部が出張れば、即解決じゃない。何か問題なの?」
「いや、困ったというか、捜査権は静岡県警察本部だ。警視庁が出張る訳にはいかないんだよ」
「ふうん、縄張りってやつ?行政って、いつも思うけれど面倒くさいわね。縦割りって古い慣習止めてしまえば良いのに」
「…公務員だからね」
「課長さん、何て言ってたの?捜査一課に寄って来たんでしょ?」
他愛ない会話のみ千春は付き合う。夫から口に出さない限り、仕事の内容を千春からは決して聞かない。守秘義務がある事は理解しているし、夫が管轄外の捜査で得た情報を、職場である捜査一課で真っ先に説明することは明らかだ。それを再び家庭で話す事は二度手間だし、自分でも面倒臭いと分かっている。そんな千春の配慮に佐久間も心から感謝しているため、ずっと円満なのだ。
「課長も困っていたな。静岡県警察本部と警視庁合同捜査に切り替えるかをね」
「あなたは、実際どう思うの?」
「今の段階は、出張るべきじゃない。でも…」
「…お友達の危険を察知したら、あなたは必ず何を差し置いても飛び出すわ。今まで通り、直感を信じれば良いんじゃない?警視総監がダメだって言っても、夫の判断を私は支持します」
「……ありがとう、仕事の話は終いだ。それよりもさ、別の友人とも会ったんだ。柴山っていってね…」
妻の一言で、疲れが癒やされていく。
(リセットするか)
明日の事は、明日悩もうと割り切る佐久間であった。




