刹那
村松弁護士の潔白が証明されてから、二週間が経過した。依然として静岡県警察本部の捜査は難航しているようだ。だが、内輪揉めが解消し、静岡県警察本部と浜松中央警察署、浜松東警察署合同捜査本部の機能が回復し、捜査体制は早々に確保されたと山ノ内から安藤に連絡が入った。
捜査一課長の山ノ内は、この状況を打開するために古参の安波を招集し、指揮を託した。安波は卓越した知識と豊富な経験で色々な所轄署からの支持も高い。捜査一課として威信を賭けての采配であった。
~ 浜松中央警察署、第二会議室 ~
「捜査一課の安波だ。みんな、お疲れさん。警視庁の置き土産を冷静に分析させて貰ったよ。短時間でよくあそこまで細かい方針を打ち出せるのかと感心した。自分は年だから、あそこまでビシッと仕切れんが、協力してやっていこう」
捜査会議の挨拶を手短に済ますと、早速、捜査状況の確認作業が始まる。浜松中央警察署の榎田が状況を報告した。
「中央署、榎田です。昨日までの捜査状況を報告します。遠州鉄道の赤電ですが、十八駅ある駅舎のうち、まだ犯行に使用されていない無人駅を絞り込みました。対象駅は、第一通り駅、助信駅、自動車学校前駅、西ヶ崎駅、美園中央公園駅、小林駅、芝本駅、岩水寺駅の八駅です。これらの駅を中心に半径三百メートル圏内で遺棄されやすい場所を考慮し、防犯カメラを新設しました」
「ご苦労さんだったな。一箇所当たり、何台設置した?」
「多いところでは十六台、少ない箇所でも十台です。死角が多い箇所ほど増設しましたので」
「迷彩処理は大丈夫だな?」
「はい、そこは念入りに。捜査二課に協力して貰いました」
「ほう?捜査二課が動いたか?」
(…山ノ内課長も本気だ、根回しが早い)
安波は、拡大版の路線図をホワイトボードに貼ると、地図と照らし合わせる。
「これを見てくれ。安易なんだが、初めは八幡駅。次に積志駅。…犯人は北上傾向だ。案外、次は美園中央公園駅か芝本駅で事件が起こるかもしれんな」
「では、西ヶ崎駅から西鹿島駅までを中心に周辺アパートを押さえますか?空き家は結構ありそうです」
「…そうだな。とりあえず、二ヶ月程借りて様子を見よう。話は変わるが、原告側の所在と現場不在証明はどうだ?少しは整理出来たか?」
今度は、浜松東警察署の寺田が報告する。
「東署の寺田です。まず、松本剛について報告します。松本の原告側は神田雄一、四十歳と妻の宏美、三十五歳です。五年前の裁判で二人は離婚し、元夫の雄一は、現在大阪市北区東天満二丁目に住んでいます。現場不在証明ですが、二月十三日深夜から十四日明け方まで、近所の『ホテル大阪城』で清掃作業をしています。清掃会社の社長や従業員からも裏は取れたので潔白と判断しました。元妻の宏美は、熊本県中央区下通二丁目にあるキャバクラに住み込みで働いていて、二月十四日一時まではキャバクラ、一時から明け方まではデリヘル嬢として働いていました。こちらも両オーナーの証言等で裏が取れたので潔白で宜しいと思います」
「それにしても、元妻はよく働くな。そんなに金が無いのかね?」
「夫である神田雄一から多額の慰謝料を請求されましたからね。妻を救うどころか、逆に妻の不貞で社会的地位を失い、引っ越しも余儀なくされた分、金額が跳ね上がったのだと思います。離婚裁判まで発展しましたから」
「村松弁護士への復讐どころではないか。…良し、この二人はここで打ち切ろう。次の報告をしてくれ」
「次は中田光治です。中田の原告側は、金原信明、四十六歳。八年前、浜松市天竜区で発生した幼女誘拐事件で、村松弁護士によって敗訴しました」
「幼女はどうなった?駄目だったのか?」
「いえ、一週間後に公園の空き地で無事保護されております。裁判では、中田光治の現場不在証明や自白、状況証拠が争点となりましたが、まず自白が強制的に言わされた事、土壇場で現場不在証明を証言する者が現れた者、物的根拠が積み上げ切れなかった事を裁判官が考慮し、証拠不十分で検察の訴えを退けました。金原夫妻は、娘が無事に保護された事でこれを良しとし控訴しなかったため、中田の無罪が確定したとあります」
「となると、金原も村松弁護士に恨みを抱いていない事になるな。因みに所在はどうだ?」
「所在は当時と変更ありません、浜松市天竜区山東に住んでいます。二月十三日深夜から二月十四日未明は家族揃って就寝中でした。この家族には、過去をあまり思い出させたくありませんでしたので、深く聞き込みする事は避けました」
「それが良い、この家族も捜査対象外としよう」
成果が殆ど出ない。安波は、壇上を下りて会議室内の通路をゆっくりと部屋の後方へ進みながら、八方塞がりの中、次の一手を模索する。佐久間の提案した事で何かやり残した事がなかったか?…ふと最後尾の端に申し訳なさそうに座る鈴木警部と目が合った。
(…あった。…まだやり残した事があるじゃないか)
安波はUターンし、再び壇上に向かって歩き出しながらボソッと言葉を発する。
「そういえば。…確か、佐久間警部は最後にこう言っていたね。『村松弁護士が原告・被告を問わず逆転勝訴した事件に特化して洗い出しをしてくれ』と。これを行っている者はいないか?」
所轄署からの報告はない。
「…私が少しだけ」
(やっぱり、お前さんがな。…佐久間にしてやられて、同じ警部として火がついたんだろう)
鈴木は、第一殺人後の捜査会議で浜松中央警察署に三行半を突きつけ、逆に第二殺人後では浜松東警察署から冷や水を浴びせられた。自分が捜査一課長へ報告を怠ったせいで捜査一課自体が窮地に陥り、責任を取る形で指揮官から外されたのだった。身から出た錆だが、『自分は偉く、将来は上に立つ人間だ』と自負していただけに、指揮官を外された時はのたうち回る程、悔しかった。だが、その後佐久間と出会い、格の違いを痛感し、自分の今まで培った経験や知識など全く役に立たず、絶望のどん底に突き落とされたのである。
たった三十分で、捜査一課長や周囲の者から絶対の信頼を得る佐久間。
何が自分と違うのかを真剣に考え、自分の限界を認めてやっと気がついた。『この世界で生きていこう』と誓った若かりし頃の自分を取り戻すため、安っぽい自尊心は溝に捨てることにしたのだ。
鈴木警部の事を良く思う所轄署捜査官はいない。常に上から目線で偉そうに指示をするだけ。村八分状態でも、どうせ反省せず、ほとぼりが冷めたらまた威張り散らすに相場は決まっている。誰もが壇上に立とうとする鈴木警部を冷ややかな目で見ている。
(…どうせ、少しだけ調べた事実を偉そうに発表して、踏ん反り返るんだろう。所轄署に更なる事実確認を依頼して来たら、即刻みんなで断ってやれば良いさ)
鈴木は、壇上に立つや否や全員の前で土下座する。これには、冷ややかな態度を取ってきた所轄署の捜査官たちも驚きを隠せない。
野次るどころか、一瞬で場が静まりかえった。
「みなさん、この通りです。もう一度、初心に帰って一兵卒からやり直します。ですから、もう一度だけ仲間に入れてください。…今までの自分は人を蹴落としてでも出世してやるっていう強い野望を抱いてました。でも、佐久間警部を見て理屈じゃなく惹きつけられた。…そして悔しかった。課長やみなさんが佐久間警部を絶対の目で見るように、『自分もああなりたい』と強く思ったんです。…自尊心はもう溝に捨てました。みなさんに殴られてもいい。…ですが、もう一度だけこの捜査を最後までしたいんです。本当にこの通りです、勘弁してください」
(あの鈴木が、涙を流して許しを請うなんて)
(あり得ないだろう?…何故、本部の警部職にそんな真似が出来る)
(自分なら死んでもしたくないし、恥ずかしくて出来ない)
(…腐っても根っからの警察官ということか)
(ムカつく奴だったが、…何だが可哀想になったな)
所轄署全員が、どう反応して良いのか分からない。『許してやる、頑張れよ』と自分だけが先に口火を切って良いもんだろうか?下らない話だが、見えない駆け引きの壁が生まれている。
そんな空気を一早く察した榎田が立ち上がる。
「鈴木警部!強くない警部を見たくありません。立ち上がって、またしごいてください。僕は三行半を食らいましたが、佐久間警部のおかげで救われました。見栄を捨てたからこそ、またやる気が出て来たんです。みんなが何と言おうと、僕が警部を支持しますよ」
この発言に引っ張られるように、「パチッ。…パチッ。…パチパチ。…パチパチパチパチ」と次第に大きな拍手が起こった。
鈴木はその場に泣き崩れ、所轄署全員に改めて許されたのである。
黙って成り行きを見守った安波も、安堵のため息をつく。
(…これで鈴木警部も、やっと一人前だ。もう道を違えることもあるまい)
「みんな、ありがとう。ちと少しばかり遠回りしたが、本来の鈴木警部がやっと帰ってきた。改めて仲良くしてくれ。十分休憩した後、捜査会議を再開する」
鈴木のために、敢えて小休憩を取る安波であった。
~ 再び、浜松中央警察署第二会議室 ~
「鈴木警部、もう大丈夫だな?」
「はっ、みっともなくて申し訳ありませんでした。もう大丈夫です」
「では、捜査会議を再開する。鈴木警部、改めて進捗を報告してくれ」
「はい」
鈴木は、改まって全員に深く一礼してから、ホワイトボードにA1紙を張り出す。
「過去の記録を取り寄せ、精査してみました。村松弁護士がこれまで裁判で弁護した回数は全部で二十八回。このうち、逆転無罪を勝ち取ったのは、この年『平成十三年七月』からです。統計として興味深いのが、殺人事件などの凶悪犯罪ではなく、婦女暴行や誘拐といった準凶悪犯罪です。どうやら短期決戦で勝負を付けるタイプの弁護士のようです」
○平成十三年七月 浜松市浜北区幼児誘拐事件
(原告:河合達彦、当時四十三歳。被告:野中英二、当時三十九歳)
○平成十五年五月 浜松市天竜区衣類強奪事件
(原告:黒澤君枝、当時三十歳。被告:加藤昭博、当時二十二歳)
○平成十七年六月 浜松市北区無差別通り魔事件
(原告:富永宏、当時二十八歳。被告:川上敬吾、当時三十歳)
○平成十九年五月 浜松市北区婦女暴行事件
(原告:桜庭光恵、当時三十八歳。被告:渥美直樹、当時三十二歳)
○平成二十一年三月 浜松市中区婦女暴行事件
(原告:時任次郎、当時四十三歳。被告:金子秀樹、当時二十七歳)
○平成二十二年九月 浜松市天竜区幼女誘拐事件
(原告:金原信明、当時三十八歳。被告:中田光治、当時三十一歳)
○平成二十五年七月 浜松市北区婦女暴行事件
(原告:神田雄一、当時三十五歳。被告:松本剛、当時二十七歳)
○平成三十年一月 浜松市浜北区婦女傷害事件
(原告:加護博美、当時二十八歳。被告:三谷敏明、当時二十七歳)
「…ふむぅ。確かに見た目は派手だが、超短期勝負といったところかな。因みに、これ以外の裁判はどうだ?殺人事件などの弁護はしていないのかな?」
「村松弁護士は、平成十一年から裁判を手掛けていますが、殺人事件を担当したのは、平成十四年と平成十八年、それに平成二十四年です。平成十四年と平成十八年は被告人を弁護しましたが敗訴し、被告人は両名死刑が執行されております。平成二十四年はやはり被告人を弁護しましたが、完全勝訴とはいかず、僅かな減刑に留まりました」
「…まあ、凶悪犯罪を逆転させるなど至難の業だ。減刑でも立派といったところかな。鈴木警部、それにしても鈴木警部は腐っていても鯛だ。よく短期間でここまで調べてくれた」
「…いえ、これくらいしか出来ませんから」
「これをどう捜査するかだ」
鈴木は、浜松中央警察署の榎田を指名した。
「出来れば、榎田巡査と継続捜査したいと思います。この中に第三の殺人に結びつく事件関係者がいるかもしれません。根拠はありませんが、佐久間警部の読みを信じて、残り六件の原告、被告両名の所在を明らかにしたいと思います」
(………)
「良いだろう。骨は拾ってやるから、好きにやってみなさい。但し…」
「所在は掴んでも、先急いで接触はするな。…ですね?」
(戻ってきたな)
鈴木の目は活き活きとしており、完全に自信と勘を取り戻したようである。少しだけ捜査展開に光が見える。攻めどころに定評のある安波は、ここ一番の檄を全員に飛ばした。
「捜査一課、浜松中央警察署、浜松東警察署で三班を別部隊とする。A班は、鈴木、榎田、木下で平成十三年から平成十七年の三件を徹底して洗え。B班は樋口、遠藤、国元で平成十九年から平成二十一年を確認。C班は橘、青木の二名で平成三十年分を精査だ。なお、最後の事件はまだ裁判が終わったばかりだ。村松弁護士は、この事件だけは非協力的にならざるを得ない。くどいが精査だけに留めるように」
「承知しました」
「了解です」
「いっちょ、頑張ります」
こうして長い捜査会議が終了し、時計の針は二十三時を回っていた。
~ 一方、その頃。浜松市浜北区道本 ~
村松泰成は、浜北区道本で夜桜を肴に同級生の柴山和俊と事務所同士で遅くまで宴会をしている。今年は寒い日が続いたため、桜の開花が遅れたのだ。例年であれば多忙で互いに会えないのだが、天が味方してくれたようである。
「柴山。俺さ、最近佐久間と会ったぞ」
「何だって?佐久間、元気にしてたか?」
「バリバリに刑事をしていたよ。昔と全然変わらんよ、芝山にも会わせてやりたかった」
「何だよ、連絡くれれば昼食一緒に食べられたのに。…全く、冷たい奴だなあ」
むくれる柴山を、笑いながらたしなめる。
「詳しくは言えんが、業務上の都合で会っただけだ。今度三人でゆっくり飲もう」
「業務上…か。佐久間、偉くなってるんだろうな」
杯に夜桜の花びらが溶け込む。人差し指と親指で摘まみ、黙ってクイッと飲み干した。春風に揺られながら、最後の美しさを柔らかく魅せてくれるようだ。
久しぶりに、ゆっくりと花見をしたのは何十年ぶりだろうか?
弁護士になってから、心のゆとりなど持てたことはなかったかもしれない。人の人生を背負い込み、勝てば官軍とは良く言ったものだ。敗訴した時の家族が絶望に苛まれる表情を今でも覚えている。時には弁護士だけでなく、人生を終わらせようと悩んだこともあった。そんな時に限って、ここにいる柴山や佐久間が不意に連絡をよこし、『はっ』と我にかえり、思い留まったのだ。
「…柴山、ありがとよ」
(……?)
「どうしたんだ、泰成?…涙ぐんで」
「いや、何か不意に感傷深くなってな。…俺ももう年だ」
柴山は、感傷深くなっている村松泰成の背中を思い切り叩いて、檄を飛ばした。
「湿っぽいこと言うんじゃない。まだ人生は折り返し地点だ、俺は三百歳まで生きてみせるぞ」
夜桜の余韻など、どこかに飛んでいってしまう。
「村松弁護士。そろそろ、お開きにしませんか?丁度、料理も無くなったし」
事務所の女性たちが、時計を気にしながら片付けを始めた。
「まだ良いじゃないか?明日は休みなんだ、二次会行こうよ。経費で全部落とすからさ。ここに税理士様もおられるし。なっ、柴山和俊税理士様。良いだら?(浜松市の方言)」
柴山も呆れ果てる。
「また泰成は、そんなことを大声で。もう助けてやんねえぞ」
村松泰成は、酔いがすっかり回ってしまっている。
「村松弁護士、片付け完了です。みんな、終電無くなる前に帰りますからね」
それぞれが帰り支度をし、ゾロゾロと美園中央公園駅へと消えていく。その歩調に釣られる形で、村松泰成も帰途につく事にした。
「柴山、じゃあな」
「おいおい、赤電で帰らんのか?」
「馬鹿言ってんじゃねえっつうの。ここは道本だよ?このまま、裏道歩けば二十分で小林だ。ほれ、浜松赤十字病院が見えるじゃないか。あの裏だよ?…目を瞑っても、このまま帰れるぜ」
千鳥足だが、田舎道だし直ぐに着く。問題ないと思った柴山は、いつも通り手を振って皆を追いかけ姿を消した。村松泰成は、この上なく充実した平和を満喫しながら、田舎道を真っ直ぐ進んでいく。
「…おっ、あそこは?」
懐かしい於呂神社だ。
幼少の頃から縁日には自転車に乗ってよく訪れた。佐久間や柴山とも、金魚すくいや水飴を買い、プラモデルのクジを引き、小遣いがスッカラカンになって両親に怒られた。
(そういえば、『賽銭盗もう』って覗き込んだら、佐久間本気で怒ったっけ。…佐久間だけは昔から変わってないな)
昔を懐かしみ、賽銭箱を覗き込む。
(------!)
「………うっ」
賽銭箱がうっすらと視界から消えていく。
(何…だ?…これが…死…なのか?)
全てが無になっていく。




