敏腕と呼ばれる男
この物語は、ほぼフィクションです。
実際の登場人物、関係施設、捜査機関とは一切関係ありません。
関係ありませんが、個人的にノンフィクション部分はあります。
イメージが鮮明なうちに書き上げますので、乱筆はご容赦ください。なお、平行して文書表現等は適宜修正していきます。
『勝訴!』
『逆転無罪!』の掲示旗が力強く、高等裁判所入口で関係者の手により掲げられる。
「無罪だって!有罪じゃないのか?」
「一審が覆されたぞ」
「急げ、出てくるぞ!」
「良い位置を取られるな」
待ち受ける報道陣たちの目映いカメラ光線が二人の男を映し出すと、テレビ画面にはタイミングを合わせて『フラッシュにお気をつけください』のテロップが流れる。「パシャ、パシャ」とカメラのシャッター音が止むことの無く響くなか、各報道局のマイクが二人の第一声を拾おうと必死だ。
「村松弁護士。今回の裁判、見事な大逆転でしたね?」
「弁護団の弁論が正当に評価された。…それだけのことです。検察側もそれなりに証拠を積み上げたようですが、手法を誤った。…それが弁護団の勝利と彼の無罪に繋がったのではないでしょうか」
「検察は、即日控訴すると思われますが。その辺りは如何ですか?」
「…回答は控えたいと思います。ただ、一言だけ申し上げますと、今回の裁判で弁護団の証言が有効と判断された事から、検察は同じ討論は出来ない。つまり、新証拠がない限り裁判にならない。それだけです」
「三谷さん。ファンの人たちに何かコメントを」
「…本当のことを話すと、一審判決の時点でもう人生終わったと諦めていました。でも、村松弁護士に励まされ、ファンの皆さんが待っていると仰ってくれて。…信じて良かったです。これでまたお芝居が出来ます。…ありがとう。…本当にありがとうございます」
村松と呼ばれる弁護士の男と俳優の三谷敏明は警備員に守られながら、会場を後にする。記者たちが取り囲みながら追いかけ取材する様子を、夕方のニュースではテレビ帝国を除き、生放送中だ。
「…以上、見事勝訴を勝ち取った村松弁護士のコメントを現場からお伝えしました」
キャスター席の前ではディレクターがカメラの下にしゃがみ込み、『あと三分は引き延ばせ』とスケッチブックで指示している。生中継枠で組み込んでいる分、尺を巻きたくないのだ。
「遠山さん、聞こえますか?話を手短に整理しますが、検察側は状況証拠と物的証拠の両方整ったとして、論戦を繰り広げたんですよね?今回の判決で弁護側の主張が全面的に通り、完全勝訴で間違いないんでしょうか?」
遠山は、報道陣に押し倒されそうになりながらも、懸命に立ち位置を確保しながらレポートを続ける。一瞬耳から外れた白いイヤホンを何とか装着し、アナウンサーの質問から数秒遅れたが、真剣な眼差しでコメントを続行する。
「…その通りです。誰もが検察側の主張は揺るがないと予想していました。しかし、状況証拠・物的証拠がある中、村松弁護士が理路整然とした論法で論破し、これを覆しました」
「何故、村松弁護士は逆転無罪を勝ち取ることが出来たのでしょうか?」
(…今、答えたじゃん。またそれを聞く?あと何秒尺を伸ばせば良いんだ?)
現場からでは、スタジオの様子が見えない。雑音が混じるイヤホンだけが頼りである。遠山は『アナウンサーの質問の意図をちゃんと理解出来ているよ』と伝えるように無言で二回頷くと、左脇に抱えたタブレットを広げ、公判の要旨を説明し始めた。
「ポイントは二つあります。まず、状況証拠です。検察は防犯カメラ画像から、被告、…もう無罪が確定しましたので三谷敏明さんを特定したとし、目撃者証言と合わせて臨みました。しかし、防犯カメラ画像の画質と角度が信憑性に欠け、また、防犯カメラ本体の有効校正年月日が切れていたことで証拠として信頼度が低くなった点や隣接する防犯カメラ画像には三谷さんの姿は記録されておらず、容疑者の特定には繋がらなかったことから、無効と判断されました。また、目撃者情報にも検察側関係者が誘導して発言を引き出した事実が浮上したため、棄却となった模様です。そしてここが刮目すべき点なのですが、一番肝心の現場不在証明について弁護側は徹底的に証拠を用意して裏も固めたのが大きかったと考えます。誘導された発言も弁護士側が全て『記録』として提出し、裁判官の評価を得たのが決定的でした」
「万全の体制で臨んだ弁護側とは対照的に、検察側は準備不足が指摘されそうですね。二つ目は何ですか?」
「二つ目は、物的証拠です。犯行に使用されたと思われる凶器ですが、三谷さんのDNAが検出されなかったこと、自白したはずの入手ルートに矛盾が生じたこと。そして取り調べ音声データより、誘導尋問によって引き出された内容であったこと。犯行場所に三谷さんの毛髪、指紋、下足痕など一切なかったこと。これら全てを裁判所は勘案し、検察側の主張を退けて弁護側主張を採用したものと考えます」
「なるほど。それでは、今後はどのような展開となりそうですか?」
「原告側は新証拠が出ない以上、三谷さんを訴追出来ません。逆に被告側が名誉毀損で訴訟を起こすことも十分に考えられます。検察と敏腕弁護士の戦いはどうなっていくのか、固唾を呑んで見守るだけです」
再びディレクターがスケッチブックに『尺を閉じてOK』の文字を走り書きする。それを見たアナウンサーは次に考えていた質問を止めた。
「遠山さん、分かりやすい解説ありがとうございました。…以上、静岡高等裁判所前から遠山春樹記者でした」
~ 東京都千代田区の某ラーメン屋 ~
張り込みを部下と変わり、休憩がてら食事をする佐久間たちは興味深くニュースを見ている。人気俳優の三谷敏明がスピード逮捕された事件は、社会的にも大いに話題となり、芸能活動の危機に陥った三谷を誰が弁護するのかも含め、注目を浴びていたからだ。二人とも、箸を休めて成り行きを見守る。
「静岡県警察本部は今頃ごたついてるんでしょうな。でも、この村松っていう弁護士、最近よく耳にします。注目される裁判では必ずといって良いほど名前が出るし。警部、知ってますか?村松弁護士は裁判で負けなしって専ら有名な奴です。行列の出来る何とか相談所に出演でもしたら、もっと調子に乗るんでしょうな」
山川は、この手の男が好きではない。頭の良さを鼻に掛けて話す仕草や表情、全てが気に入らないようだ。佐久間は山川の性格を熟知しているのか、あえて人物評価を避け、話題を変える。
「なあ、山さん。あの記者が言う通りならこれからが大変だぞ」
「誤認逮捕か名誉毀損で逆に訴えられるからですか?…まあ、あの弁護士ならやりかねませんな」
山川は炒飯を美味そうに頬張りながら、麦茶で勢いよく喉に流し込む。そんな様子に佐久間は苦笑いしながらクビを横に振った。
「…いや、そうではないよ。もし、三谷が犯人でないなら誰の仕業かだよ。誤認逮捕なら、誠意をもって三谷と今後向き合っていけば良い。それに、まずは被害者を優先に考えるべきだ。静岡県民だって安心して眠ることが出来まい。裁判なんかで争う前に、静岡県警察本部は別の行動を取るべきだと思うがね」
「…確かに。いやあ、面目ない。目先のニュースに肝心な部分を見落としました」
(勝ち負けに拘る検察が何故こんな中途半端に裁判を急いだ?…何かこの俳優を起訴すべき理由でもあったのか?…それとも三谷が犯人だったが、弁護士の力量で覆ったのというのか?)
バツが悪そうにラーメンを啜る山川。この空気を払拭するかの様に、胸元の携帯が振動する。佐久間は、携帯を握り締めると店外に出るため席を外した。
(知らない番号だな)
「もしもし、佐久間です」
「…よお、テレビは見ていたか?」
(------!)
「ひょっとして泰成か?」
「そうだよ、しばらく。今さっき、捜査一課に電話して、番号を聞いた。驚いたか?」
「そりゃ、驚くよ。リアルタイムでテレビに映っている男から掛かってきたんだ。ちょうど、会見の様子を見ていたよ。裁判所から、もう引き上げたのか?」
「しつこい記者たちをやっとこさ、巻いたところだ。…実は、明日東京に行く予定なんだが、会えないか?色々と積もる話をしたい」
(…明日か)
「そうだな。今回の事件以外なら話は聞ける。弁護士と刑事、互いに踏み込みたくない領域だ」
電話越しに村松泰成の笑い声がする。
「相変わらずで助かるよ。昔から、お前だけが俺の理解者だった。16時台の新幹線で東京に向かう。18時過ぎには着くはずだ。どこに行けば良い?」
「そうだな、近くで捜査しているはずだから品川駅で降りてくれ。ホームに迎えに行くようにするよ。店もこちらで予約しておく。お前は有名人だ、人目がつかない配慮はするよ」
「…何から何まで甘える。じゃあ、明日。十号車だ」
「わかった。乗るときにワン切りしてくれ」
「了解」
店に戻ると、山川が食べ終えようとしている。佐久間も何食わぬ顔で続きを食べる仕草を見せた。
「安藤課長からですか?」
「大した用件じゃなかったよ。それより、明日早く上がるよ。何かあったら任せるよ」
「勿論です。お任せください」
(…突然会おうか。村松泰成にしては珍しいな。…まあ、会えば分かるか)
久方ぶりの再会を前に妙な違和感が錯綜する。