表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

解決

 授業が終わっても太陽が落ちることはなかった。


 暑さの残る帰り道を歩きながら俺は頭の中で整理していた。


 先輩から頼まれた暗号解読はできた。


 その根拠も分かった。


 それを考慮したうえで伝えなければならない。


 待ち合わせ場所にあるベンチに座り、何年も変わらない街並みに目を向ける。


 早めに勉強を切り上げたので部活が終わるまでたっぷりと時間がある。決して勉強に疲れたとか、間違っても緊張で何も手につかなかったとかではない。ゆっくりと時間をかけて、話を組み立てるためだ。


 伝えるべきことは、問題の答えとそれに至った過程。答えを伝えることは簡単だ。その意味も先輩なら用意に組むことができるだろう。


 難しいのは過程の方だ。


 今回すぐに答えが分かったのは偶然にすぎない。運が良かったとしか言えないような天文学的確率で、たまたま答えが分かった。


 そんなものをどう説明すればいいのだろうか。それに、おじいさんの意図を考慮するには多少誇張も必要になってくる。


 結論から過程を導くようになってしまうところが出てくるが、それも致し方ないことだ。逆説的で、後出しで、どこか卑怯な気がしてしまうけれど。




 頼み事を気軽に受けるのも考えものだ。


 連絡が来たときはその場のテンションに任せて即決してしまった。先輩の相談がどのようなものなのかも聞かず、自分に手伝えるものなのかも分からず、なんの覚悟もせずにふたつ返事をしてしまった。今のこの状況はそのしっぺ返しといったところか。


 眩しかった太陽も山にかかり、眩しさも暑さも半減している。それだけの時間があったのにも関わらず、相変わらず考えはまとまっていない。むしろ、考えれば考えるほど余計頭の中がごちゃごちゃしてしまった。


 タイムリミットはあと三分くらい。さっき部活が終わったと連絡が入り、もう五分がたっていた。今頃、前と同じようにコンビニで飲み物を買い終わったくらいだろう。ここまで三分。いや、もう二分だろうか。


 こうなったら出たとこ勝負だ。十分に検討は重ねた。それに、俺は本番に強いタイプ、のはずだ。受験だって模試より高得点だったし、定期試験は大して勉強しなくても中の中をキープしている。それは授業を真面目に受けているからか。共通しているのは普段通りにやればそこそこの結果がついてくるということだ。


 いつも通り。平常心。通常運転。


 心の中で三回繰り返し、一呼吸――。


 息を吸い、肺の隅々まで空気を行き渡らせる。循環する血液が脳に酸素を送り、自律神経を整えていく。無駄な思慮がそぎ落とされ、ごちゃごちゃしていた頭の中がクリアになっていった。今なら本当に重要なことだけが分かる。蛇足を切り落とし、本質だけが見えてきた。


 そんな気がした。が、気のせいだった。いや、気のせいになってしまった。


 酸素を吸収し、二酸化炭素濃度の高くなった空気をゆっくり吐き出そうとしたところで不意に後ろから声をかけられた。ハキハキとしながらも柔らかな口調。聞き間違いようもない声色だった。


「お待たせ。遅くなってごめんね」


 先輩はいつものカバンを肩から下げ、コンビニの袋を持ってきていた。俺は立ち上がり、お疲れさまですと一礼した。すこし堅苦しかったか。


「うん、お疲れ。今回は真面目な話をするから大人っぽいものにしてみたよ」


 そう言って取り出したのはチルドカップのコーヒーだった。もちろんミルクも砂糖も入っている。


「いつももらってしまってすいません」


「気にしないでいいよ。頼み事聞いてもらってるんだし」


 さて、と先輩が腰を下ろしたので俺も座る。ここからが本番だ。


「さっそく本題に入るんだけど、答えは分かった?」


 俺が頭を縦に振ると、小さく感嘆の声が聞こえた。


「先輩、もし先輩が暗号を作るとしたらどうやってつくりますか?」

「……どうやってって?」

「暗号はある法則に従って元の文字を変換するものですが、一から法則を作るのは難しいと思います」

「言われてみれば、そうだね」


 ポン、と先輩は手を叩いた。分かったということをこの上なく分かりやすく表現している。


「それで、おじいさんがどうやって暗号を作ったのかをずっと考えていました」

「おじいちゃんのことだから……読んでいた本とか?」

「病室にそれらしい本はありませんでした。ちなみに、ルールブックは枕元に隠してあります」


 そんなところに隠してたんだ、と先輩はクスッと笑った。買ってきているがその後どうしているかまでは把握していないらしい。おじいさんのことだから先輩の前では何事もなかったようにふるまっているのだろう。


 少し話が反れてしまった。


「本もなく、車いすでの移動を嫌がるおじいさんが情報を集める方法で最も可能性が高いのは人づてです。つまり、協力者です」

「おじいちゃんに暗号を教えた人がいるっていうこと?」

「はい……いや、たぶん、どんな法則のものがあるか例を挙げたんだと思います。おじいさんはその中から選び、先輩へのメッセージを変換して手紙に託したわけです」


 なるほど、といって先輩は思案顔になった。普段見せないような真剣な表情で、思い当たる人がいないか記憶を辿っているようだ。このまま何か思いつくまで黙っている方がいいのか、それとも話を進めるべきなのか。俺も思案してしまう。


 しばしの沈黙。


 破ったのは先輩の溜息だった。


「んー、全然わかんない」


 とりあえず片岡さんじゃないことは分かるけど、とおまけのように語尾に付け足した。二人の関係を見ていればそれは分かるだろう。もう少し論理的に、とまではいかないまでも可能性の高い人を思いつきそうなものだが。


「もしかして、同じ病室の人?」

「違います」


 人の口に戸は立てられぬ、という言葉が示す通り、回りに回って、いや、周りに回って片岡さんの耳に入るリスクが高すぎる。


「もしかして、お母さん?」

「違います」


 おじいさんの性格からして、孫へ暗号を送りたいなんてことを身内に相談するようなことはないはずだ。


「もしかして、松本さん?」

「はい」


 松本さんです、と俺は言葉を重ねた。先輩は納得していない様子だったので、そのまま説明を続ける。


「松本さんならおじいさんに信頼されていますし、同じ病室の人にバレる心配もないですから」

「うーん、まあ、松本さんが口を滑らすことはないだろうけど……」


 まだ納得していないようだ。しかし、それは想定内。確実な根拠をまだ伝えていないのだから。


 あの挑戦状、もとい――


「あの手紙持ってきてますか」

「うん、あるよ」


 そういって先輩はカバンから取り出した。花柄があしらわれた可愛らしいデザインの封筒と便箋、達筆な文字。


『コアヌアヘビテ』


 暗号ではなく、それっぽい漢字を書いていればそれなりに説得力のあるものだったのではないのかと思う。


「この封筒と便箋、どこで手に入れたと思いますか?」


 先輩の目がパッと輝いた。謎が解けたのかもしれない。


「ああー、なるほど! そういうことか!」

「ちなみに、病院の売店にこの封筒と便箋は売ってませんでした」

「え、売店じゃないの?」


 先ほどのなるほどは何だったのだろう。


「手紙は松本さんが用意したものです」

「それも松本さんなんだ」

「はい、血圧を測りに来たときに使ってたペンやメモ帳が同じような花柄だったので間違いないと思います」


 暗号も手紙も松本さんだった。おじいさんにしては珍しく他力本願なところが気になるが、それには触れないでおこう。話が進まなくなるので。


「で、ここからが本題なんですが」

「暗号の解読だね」


 はい、と頷く。ここにくるまで思ったより時間がかかったのは、俺の説明が要領を得なかったせいなのか、それとも先輩の想像力が――、いや、俺のプレゼン能力の低さが最大の問題だったのだろう。そうに違いない。


「それで、先ほど言ったように暗号を考えたのは松本さんだったので、今度は松本さんがどうやって暗号を調べたのかのを考えました」

「松本さんのプライベートは分からないよ?」

「それで、最初の質問に戻るわけですが、先輩だったら暗号をどうやって調べますか?」

「私だったら……」


 俺に向けていた視線が手元へと移った。


「これで検索する」


 スマホを翳した。水戸黄門が印籠を見せびらかすように――正しくは手下のどちらかだったか――俺に向けてきた。


「松本さんもそうしたと思います」


 映画も見なければミステリー小説も読まないと彼女は言っていたし、何か調べたいことがあればまず最初に手に取るだろう。


 便利な時代だね、と微笑む先輩は俺と一つしか年齢が変わらない。


「検索すると有名なのはすぐにわかりますからね。ヴィジュネルとかスキュタレーとか」

「……そうだね」


 実際に検索しないと分からない単語だったか。


「で、今回の暗号はシーザー暗号でした」

「シーザー暗号?」

「もともとの文字をずらすだけのシンプルな暗号です」


 シーザー暗号とは平文を辞書順にシフトして作る暗号である。その歴史は古く、暗号としてはとても単純なものだ。もともとはアルファベットを変換するものだが、この場合は五十音である。


「この法則に従って、『コアヌアヘビテ』を変換すると答えが分かります」

「なるほど……」


 先輩は改めて挑戦状とにらめっこを始めた。


 頭の中で変換を始めているのだろう。先輩のことだからおそらく一文字ずらして、次に二文字ずらして、と順番にやっていそうだ。


 今回の場合、その方法だと日が暮れてしまう。比喩的な意味ではなく、実際の時間経過として日が暮れてしまう。それどころか、日付が変わってしまうかもしれない。


「先輩、あの――」

「ちょっと待って」


 先輩は視線を動かすこともなく、独白するようにつぶやいた。集中し、一心に取り組んでいる先輩は隣に座っているのに誰よりも遠くに感じる。普段はとても優しくて親しみを感じるのだが、今は近づいてはいけないような気がしてくるのだから不思議なものだ。


 こうして放課後に待ち合わせをして相談を受けたり、病院にお見舞いに行ったり、以前に比べて親しくなってきたことは間違いないことだけれど、それでも距離が縮まらないと感じるのは気のせいなのだろうか。


 それとも、先輩を超人のように尊んでいるから、まるで聖人君子のように思っているから近づくことができないと、近づいてはいけないと自分で自分を抑えているのかもしれない。凡愚な自分に対する劣等感というやつか。


 そういえば、壮介も言っていた。先輩は成績優秀、眉目秀麗、才色兼備の学校のマドンナだ。マドンナというのはピンとこないが、人から好かれているという点では時代錯誤なだけで適切な表現なのかもしれない。


 と、先輩が暗号に没頭している間に俺も勝手に葛藤してしまっていた。


「先輩、謎解きはまだ途中です」


 パッと先輩の顔があがった。一体何文字ずらしたのかわからないが、さすがの不毛さにいい加減効率を上げたいと思っていたところだろう。


「先輩は一文字ずつずらして考えてましたよね? 『コ』を『サ』に、その次は『コ』を『シ』に」


 先輩は大きな目を見開いて、驚いていた。


「よくわかったね」


 頭はいいが単純、いや、素直で実直な人だ。その思考回路はおじいさんも分かっていた。それを見越した暗号にした。


 だから、謎解きには俺のようなひねくれ者が助っ人として必要だったのだろう。それをオブラートに伝えるのが俺の任務だ。


「暗号はもともと秘密を守るためのものなので、解読にはもう一手必要なんですよ」

「もう一手、か」


 話を一度整理しますが、と前置きをしてから説明する。


「暗号の種類を調べたのは松本さんですが、実際に考えたのはおじいさんです」


 うん、とどこか楽しそうな相槌を受け、さらに続ける。


「先輩の考え方を考慮して、一筋縄ではいかないようにしてあります」

「私の考え方?」

「順番に一文字ずつずらしていく方法です。先輩ならそうするだろう、とおじいさんは読んでたわけです」


 むー、と口を尖らせた。子供っぽい。読まれたことがそんなに悔しかったのか。


「読まれてたのかー。なんか、それだけで負けた気分だよ」

「そんなことないですよ。逆に言えば、先輩の裏をかけば答えが分かるということです」

「裏? あ、なるほどね! そういうことか」


 先輩はパンと手を合わせた。今度こそ、本当に気付いたはずだ。


 先輩の思考の裏、つまり、ずらす順序を逆にすればいい。


「反対にずらせばいいのね?」


 その通り。はしゃぐ先輩はおじいさんと話している時より無邪気で、子供っぽい。


「『コ』は『ケ』、『ア』は……『ン』か!」


 そうして暗号を変換していくと、おじいさんからのメッセージが表れる。


「……ケンニンフバツ」


 そう、おじいさんからのメッセージは『堅忍不抜』だった。辛く苦しいことがあっても我慢し、揺るがない強い意志を貫くこと。


 壮介が俺に送った激励と同じ言葉だ。


「堅忍不抜」

「おじいちゃんらしい言葉だね」


 先輩はその意味をじっくりと読み解いているようだった。ここから先を推測することはできない。文字の意味を理解することは出来ても、おじいさんがその言葉を選んだ理由と意図を理解することができるのは先輩だけだ。


 壮介が俺に向けた激励と、おじいさんが先輩に送った堅忍不抜の意味は同じだ。しかし、前者と後者には決定的に異なるものがある。一方しか知らない俺にはそれが何かは分からないが、それでも最低限同じものでないということは分かる。無知の知、といったところだ。


「悠真くん、ありがとう」


 先輩は微笑んだ。が、いつもと違う笑顔だった。表情が硬く、目が笑っていない。


 戸惑っているように見える。


「先輩――」

「あ、もうこんな時間だね」


 俺の言葉を遮るようにして先輩は立ち上がった。眩しかった夕日も山に隠され、町全体が薄ぼんやりと暗くなっていた。


 カバンを肩にかけて振り返る。


「そろそろ帰ろっか」


 そう言った先輩は笑顔だった。日の落ちた暗さの中でも、街灯の明かりが無くとも、その笑顔がいつもの柔らかなものであることは分かった。放つ雰囲気で理解できた。


「……そうですね。途中まで送っていきますよ」


「うん、ありがと」


 それから前と同じように、大通りの交差点まで共に帰り、そこで別れた。


 会話はいつもより多かったが、おじいさんからの挑戦状については結局一度も触れることはなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ