検討③
先輩のおじいさんが入院している病院までは電車で一時間かかる。
駅ビルに直結するような形で通路が設けられているため、駅からは徒歩二分といった便の良さだ。この辺では唯一の総合病院なので平日でも人が多い。
先輩とは駅で待ち合わせをした。一度家に帰って着替えなどの荷物を持ってくるそうだ。俺も揚げ饅頭を買いたかったのでちょうどよかった。それより何より、校門で待ち合わせとかでなくてよかった。
傍から見れば二人きりで下校するのはそういう関係だと思われる。そういったことに敏感なお年頃の集まる学び舎で誤解を招く行動は避けるべきだ。それに、高校から駅まで徒歩で二十分、そこから病院まで一時間。細かい移動時間を含めれば合計一時間半。
饒舌と対極の俺には話題が途切れない自信がない。沈黙は金なんてことわざもあるが、この場合は雄弁こそ金だ。
俺は電車に乗る前に買った揚げ饅頭を片手に、改札を出たところでそんなことを考えながら立っていた。もうすぐ着くと連絡があったので電車が来るたびに視線を巡らせる。高校生は少なくないが、制服が違うのですぐに分かるはずだ。
が、なかなか現れない。
ふと視線を感じて目を向けると、一人の女性が真直ぐこちらに歩いてきていた。髪を編み込み後ろで束ね、白いブラウスに丈の長いスカートをはいた女性。
「ゴメン、また待たせちゃったね」
先輩だった。
学校の時とは別人のような雰囲気に驚きを隠せない。制服のときは活発な印象が強かったが、今は温室育ちの御令嬢といったところだ。
俺がまじまじと見入ってしまったので先輩は小首を傾げる。
「どうしたの?」
「いえ、どうもしてないです。荷物、持ちますよ」
先輩は肩にトートバックをかけ、その手に着替えの入った大きな紙袋を持っていた。
「ありがと、ちょっと重いよ」
確かに着替えの割には重い。ズシッとした重量感がある。厚手の服でも入っているのだろうか。
それじゃ行こうか、と案内するように先輩は歩き出した。病院までの通路はアーケードのように両脇に店が並んでいる。
コンビニや薬局、ファミレス、服屋などよく言えば多様な、悪く言えば統一感のない並びだ。
「待たせちゃってごめんね。本当はもう少し早く来るはずだったんだよ」
「電車遅れてました?」
先輩は首を横に振る。
「お母さんが着替えて行きなさいってしつこくてさ。いつも制服なのに」
もしかして今回は俺がいるからか、などと冗談でもそう思ってしまった自分に心の中でため息をつき、相槌を打った。
「もしかしたら悠真くんと行くって言ったからかな」
「えっ!?」
そう言われると病院まで歩いているだけでも買い物デートをしているようではないか。お見舞いに行くというのにそんな不謹慎なことを考えてしまう。
「着替えも普段の倍はあるし」
荷物持ちだったか。それでも着替えてきてもらってよかった。
「ちょうどよかったですよ。もしそのまま来てたら先輩のこと待たせてしまったので」
もちろん建前だ。本当は学校とは違うプライベートな先輩と会えてよかった。心の中では心の底から先輩のお母さんに感謝している。
先輩はフフッと笑った。
「意外と律儀だね」
「はい、真面目ですから」
「それは知ってる」
視線が交差した。冗談だと分かっているらしく微笑を浮かべたままだ。
通路を抜けると小さな看板の掲げられた病院の出入り口に着いた。正面玄関ではないため幅は狭く、受付まで距離がある。先輩は慣れた様子で受付を通り過ぎ、エレベーターまで歩いた。
その横には小さいながらも売店があった。週刊誌や飲み物、パンなどが並んでいる。レジの横には文房具が掛けられていた。普通のボールペンから筆ペン、ルーズリーフまである。
「売店寄ってく?」
俺の視線に気付いた先輩が顔を覗いてきた。別に買うものはなかったので遠慮してエレベーターに乗った。三階で扉が開き、廊下の端にある四人部屋までいく。
「ここだよ」
三〇七号室。その下には先輩のおじいさんである東雲由紀夫、そのライバルの片岡文雄、あとふたりの名前があった。
なんとなく緊張する。
「おじいちゃん、起きてる?」
先輩は入ってすぐ右のベッドのカーテンを開けた。
「おう、碧か。悠真くんも久しぶりだな」
「お久しぶりです。お加減はいかがですか?」
「おかげさまでぴんぴんしてるよ」
そんなに畏まらなくていい、とおじいさんは豪快に笑ってからイスを薦めた。
本人の言うとおり以前会ったときとほとんど変わらない様子だった。衰えを感じさせない筋肉は健在で、顔色も良い。違うとすれば右足にギブスをしているくらいだ。
イスに座る前に揚げ饅頭を渡すと笑顔が更に大きくなった。
「こりゃありがたい。病院のメシは味気なくていかん」
おもちゃを買ってもらった子供のように包装をビリビリと破いていく。着替えを片付けていた先輩はその様子を横目で見ていた。
「昨日は体にいい食事だって言ってたくせに」
「体にはいいが、あれでは活力が沸かんわ」
パクリと一口に頬張る。言うまでもないことだが、揚げ饅頭にエナジードリンク的な効能はない。あるとすればプラセボ効果だ。
「うむ、糖分が体に染み渡る。悠真くんも食べろ」
遠慮なく頂いた。揚げ饅頭はカリッとした皮に柔らかな餡子が包まれ、しつこくない甘みがとても食べやすい。
着替えを半分ほど片付けた先輩が横から手を伸ばす。
「私にも一個ちょーだい」
言うよりも早く口に収めた。
「んー、甘くておいしい」
幸せいっぱいの笑みにこちらの口元が緩む。これも最近気づいたことだが、先輩はおじいさんの前だと少しだけ言動が幼くなる。
「緑茶が欲しくなるね」
そうだな、とおじいさんが強く頷いた。
「碧、下の自販機で買ってきてくれ」
「はーい。悠真くんもお茶でいい?」
「すいません、ありがとうございます」
先輩が部屋を出たのを確認してからおじいさんは紙袋を手に取った。着替えはほとんど片づけたように見えたがまだ重そうだ。
カーテン越しに隣のベッドの気配を伺いながら紙袋に手を入れる。もう一方の手は口の前で人差し指を立てていた。つまり喋るなということだ。首を縦に振って肯定する。
実際は中身の見当がついているのでそこまでお膳立てしなくても問題ない。先日の先輩の話。着替えというには重い荷物。極めつけは隣のベッドに対する警戒。
予想通り、取り出したのはチェスのルールブックだった。先輩が買ってきたので本人のいないタイミングで出す必要もないのでは、と思ったが喋るなということなので黙っていた。
おじいさんが小声で言う。
「碧はすぐに口に出すからな」
俺は深く頷いてしまった。あまりに簡単にイメージできたのでつい本音が行動に表れてしまった。
本棚もない病室でルールブックをどこにしまうのかと見ていたら、おじいさんはしれっと枕元に隠した。これまでの本もそこに隠していた。
「ところで悠真くん、今日来たのは暗号のことだろう?」
不意に核心を突かれ、言葉が詰まった。
そうだ。その話をしに来たんだ。




