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神聖独劇  作者: さとう
第四章――暗黒深淵
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盲目の僕

 現在、世界に広まるかの宗教があります。

 秩序だった大きな幹となる組織体系を中心に、主の言葉や教えの解釈の違いによって数多の派閥を内包する一大宗教です。

 差異はあれど、一律に信じるのは未来への道と幸福な再生、自由の謳歌と言われています。それを信じて救世主に再生を祈り、教えを守って正しい道を歩む、そして、彼らの倫理が生まれている。

 それゆえ、この世界で正しい行いとは多くの人が信じるかの宗教の教えだとされるのです。


 私は考えます。正しき道は神の道なのでしょう、信じる者にとっては。

 神の道を歩むために命が必要ならば進んで献上するはず、それが神に対する人の道なのですから。

 しかし信じない人――私も信じていません――の行為は誰が定め、決め、善悪を判断するのです? 正邪も幸せも痛みも、あらゆるものの本質は神の定めるところにるのは信者だけでしかないと思うのです。ですが、世界にかの宗教を信仰するものが何億人といるのです。

 彼らの主観により私は悪となるのです。ただ信仰の対象としないだけで。彼らの目から見れば悪、自分自身は善。私から見れば彼らは普通の人、私自身も普通の人でしかない。数の暴力で私は悪になってしまう。


 同じ理由で、私は信仰をしないので異端の者になります。今の時代でなければ間違い無く残酷な死が待っていたでしょう。けれど、野蛮な時代を越え、現在においてはどうにか殺されることは無くなりました。

 また、主が残したある言葉が大きく取り上げられたことによって、信仰しない者も信者の目からある程度寛容をもって見られるようになったのです。

 その言葉とは『選択することを許される自由の未来』という一文です。多くの選択できる自由、それに連なる未来。選択を行使できる、すなわち信仰しない選択も主が望んだことだったと考えられるようになり、私のような人も主の未来にはあるべき姿なのだとなったのです。

 

 信じるものと信じない者、主が描いた未来は教えを厳格に守る人だけに訪れることを願っていたとは思えません。救世主なのだからすべての人類を憂いていたはずなのです。

 選ばれし者を選んだのは後世の欲深き人々だと思うのです。

 私は宗教を信じませんが、救世主の描いた希望の未来は信じます。そこにはきっと、光り輝く未来があるでしょう。

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