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五十六歳の研究者、中学生から人生をやり直す  作者: 正宗


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第八十七話: 完成の瞬間

1984年7月。


夏の陽射しがアスファルトを焦がす外気とは対照的に、冷房の効いた東芝の開発室には、重く淀んだ疲労と沈黙が降り積もっていた。


「……終わった」

関根が、マスターセルの最後の一枚を製図台に置いた。


その掠れた一言が、開発室の張り詰めた空気をわずかに弛ませた。


高村が静かに立ち上がり、積み上がったマスターセルの束を手に取った。


充血した目で、一枚一枚、その精緻な図面を鋭く確認していく。


「……抜けはないな」

高村がそれをテーブルにそっと戻した。


大門が深く腕を組んで、溜め込んでいた息を長く吐き出す。


西村が眼鏡を外し、疲労でくぼんだ目頭を強く押さえた。


小林は無精髭をざらりと撫でながら、手書きの数字がびっしりと埋まった自分の座標リストの最終ページをパタンと閉じた。


「ロード・ストア、全ブロック入力完了だ」


「レジスタファイルも終わってる」


西村が静かに添えた。


高村が全員を見渡した。


「佐伯くん、制御系は」


「今朝、終わりました」


端末から顔を上げた忠夫が答える。


高村は短く頷き、腕を組み直した。


「マスターセル完成。座標リスト、全ブロック入力完了だ」


四月に論理設計が完了して以来、およそ三ヶ月。五万のトランジスタを物理的な面積に落とし込むための座標リストとマスターセルの作成作業は、まさに地獄だった。


「次はマイラー紙への全体図の出力と、地獄の配線作業だ」

高村が低い声で続けた。


「この座標リストのおかげで、数千個のセルの配置図面はプロッターが吐き出してくれる。大まかな配線ガイドもな。だが、そこから先の何万本という配線を詰めるのは、結局俺たちの手作業になる。しかし、これでフォトマスクの工程を当初の予定より前倒しできるかもしれない」


大門が低く唸った。

「……やっと、ここまで来たか」


西村が小さく息を吐いた。小林が天井を仰いで、ふっと笑った。


関根だけは無言のまま、次の工程に向けた新しいマイラー紙に手を伸ばしかけていた。


バンッ!!

開発室の重い鉄扉が、乱暴に開け放たれた。

飛び込んできたのは、今川だった。


激しく息を切らし、ネクタイをだらしなく緩めている。


脇には、青と白のストライプが入った連続帳票(ラインプリンタの出力用紙)が、分厚い束となって力強く握られていた。


今川は部屋全体を一瞬だけ見渡し、積み上がったマスターセルと座標リストの束、そして安堵の空気を纏う技術者たちを視界に収めた。


そして、高村を真っ直ぐに、射抜くような眼差しで見据えた。


「すまない。高村さん。悪いんだが、論理設計に追加してほしいものがある」


空気が、その一言で一瞬にして凍りついた。

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