第六話:聖地での共鳴
日曜日の朝。
忠夫は総武線の座席で、封筒を何度も確かめていた。
三万円。小遣い、入学祝い金。中学生にとっては人生最大の資本。
(ここから……始めるんだ。)
電車が止まる。秋葉原。
駅前の喧騒を抜けると、空気が変わった。油と埃と、そして熱を帯びた「半田」の匂い。忠夫は迷わず、ラジオセンターへと足を踏み入れた。
店内は狭く、通路には段ボール箱が積み上がっている。抵抗、コンデンサ、トランジスタ。忠夫がICの箱を覗き込んでいると、背後から声がした。
「お、坊主。マイコンか?」
振り向くと、店員が笑っていた。三十代後半、眼鏡の奥の目は鋭い。
「……自作します。バスラインのタイミング設計からやりたいので」
店員の眉がピクリと跳ねた。
「ほう! いいねえ。今は完成品を買ってカセットのゲームをロードするだけの奴ばかりだ」
店員は箱をひっくり返し、黒いICを指先で弾いた。
「これがZ80A。1,200円。軍放出の選別落ちだが、ホビー用なら十分回るぞ。で、一番の金食い虫がこいつだ。HM6116。2キロバイトのSRAM。1個1,300円。高いだろ?」
忠夫は迷わず言った。
「Z80Aを一個、HM6116を四個。それと、アドレスデコーダに74LS138を。バスのファンアウトと波形整形用に74LS244も二個。あと、三端子レギュレータ用の大きな放熱板と、映像信号カップリング用の電解コンデンサ、RCAジャックも一つください」
店員の顔から笑みが消えた。
「……八キロバイト積む気か。LS244まで指名するとは。坊主、バスの負荷と反射を考えてるな? それにRCAジャックだと……? まさかテレビから直接ビデオ信号を抜く気か」
「配線が長くなるなら、波形がなまってタイミングマージンが死にますから。テレビは検波後の回路に直接叩き込めば、市販のモニターを凌ぐ画質が得られます。あとデカップリング用のパスコンも一式。それと、あそこの中古の三和テスターとハンダごても買い足します」
店員は、一人のエンジニアとして忠夫に向き直った。
「変態だな。本だけでそこまで理解してるなら、独学の化け物だ。……よし、このVDP(TMS9918)と水晶発振器はおまけだ。RC発振でボーレートを狂わせるなよ」
店員は、忠夫が選んだジャンクの山を見て、棚から一本のプラスチックケースを手に取った。
「おい、パーツにこれだけこだわるなら、記録用のテープもこれにしとけ。音楽用の安物はドロップアウトが酷い。一ビットの化けで全部パーだぞ」
「いえ、不要です。物理層の信頼性をメディアに依存するのは設計としては下策ですから。エラーが出るなら、ソフト側で強力なエラー訂正(ECC)をかければ済む話です。その分、予算を回してあそこの棚にある中古のデータレコーダーを買い足します」
忠夫が指差したのは、筐体が日焼けした型落ちのデータレコーダーだった。
「あんなボロか? モーターの回転も怪しいぞ。……まあいい、三千円で持ってけ。」
「ええ。メディアのノイズより、熱暴走でデータを飛ばす方がよほど致命的ですから。こいつ(レコーダー)を直して、余った金で三端子レギュレータの放熱板を限界までデカくしますよ」
店員は呆れたように、しかし最高に愉快そうに笑った。
「……参ったな。お前、本当に可愛げのないガキだ。理論で武装しやがって。だが、その意地は嫌いじゃない」
「それとキーボードは……中古のこれでいいです。接触不良はデバウンス回路で弾きますから。残金で放熱板をもう一枚買いたい」
「……お前、ほんとに中学生か? よし、3000円で持ってけ。」
店員は電卓を叩き、無造作に画面をこちらへ向けた。
「全部で26800円だ。おまけしてやった分の金で美味いもんでも食って、徹夜のハンダ付けに備えな」
さらに忠夫は路地裏のジャンク屋を回り、千五百円で「砂嵐しか映らない」白黒のポータブルテレビを買い叩いた。映像入力端子はないが、内部回路に信号を直接割り込ませれば、父に内緒の「自分専用モニター」になる。
十六万八千円のPC-8001に手が届かなかった少年は、その約六分の一の予算で、「特化型モンスター」の材料を紙袋に詰め込んだ。
残金、3200円。
店を出ると、秋葉原の空は少しだけ明るく見えた。重い紙袋の感触が、忠夫に確信を与えていた。




