第四十四話:火種の残響
忠夫と山下が会議室を後にし、扉が静かに閉まった。
その瞬間まで張り詰めていた空気が途切れ、重苦しい沈黙が広がる。
誰も最初の一言を放てずにいた。
斎藤常務が深く息を吐いた。
「……どう思う?」
その問いに、ベテラン設計者・岸本が椅子へ沈み込むようにして答えた。
「あり得ん。中学生が、あの発想、あの詰め方……常識外れだ」
ぼそりと、別の技術者が呟いた。
「天才だよ、本物の」
笑いではなく、本気の声だった。
技術者の一人が震える手で資料をめくる。
「この擬似SRAM……本当に量産できれば、DRAMもSRAMも、全部ひっくり返す代物になりますよ。速度はSRAM級で、密度はDRAM並みか……」
言いながら、彼の声は震えていた。
岸本が、ホワイトボードの隅に残された忠夫の“RISC概念図”を見つめる。
「……それに、あのRISCという発想。複雑な命令を削って、一サイクルで実行させるなんて……単純化すれば、回路が空く。空いた分レジスタを増やせる……か。確かに筋は通っている」
そこで斎藤が、静かに口を開いた。
「……RISCなんて概念、私は聞いたことがない。だが、もしこれが本当に実現可能で、すでにアメリカで研究が進んでいるのだとしたら……」
「……無視すれば、十年後に我々が置いていかれるかもしれない」
しかし、すぐに反発も起きた。
技術二課の主任・高村が眉をひそめた。
「しかし常務、本当にやるんですか?
我々はメモリの会社です。CPUは畑違いも甚だしい」
別の技術者も声を上げる。
「そうですよ、今でさえDRAMの開発ラインはパンパンです。CPUなんて始めたら、設計部が破裂しますよ」
「第一……アメリカのバークレー大学、でしたか?そんな研究を我々が追えるんですか」
技術ではなく、組織の現実が重く圧し掛かる。
斎藤は、しばらく黙ってから言った。
「……だからこそだ」
「え?」
「今、世界は大きな転換点にある。CPUのアーキテクチャは年々複雑さを増し、設計の負担が重くなっている。メモリも多様化が進み、性能競争の先には壁が見え始めている」
斎藤はゆっくり立ち上がり、ホワイトボードに書かれた“擬似SRAM”の回路図を見つめた。
「この二つを組み合わせれば……
東芝は、世界の中心へ出られる」
「……ただし」
と、斎藤は言葉を切る。
「CPUの本格開発は、今の社内では通らない。まだ早すぎるし、保守派の突き上げも食らうだろう。しかし“可能性の調査”なら、誰にも文句は言えん」
高村が息を呑む。
「調査、というと……?」
「まずは少人数で秘密チームを作る。RISCについて情報を集めよう。論文の取り寄せはもちろん‥‥出来ればバークレーから研究者を呼び寄せたいくらいだがな」
室内がざわめいた。
斎藤は続ける。
「佐伯君の擬似SRAMは、すでに価値が証明された。だが本当の価値はCPUと組み合わさって初めて爆発するはずだ。……ならば我々は、準備だけはしておくべきだ」
沈黙。
その沈黙を破ったのは、若手技術者の一人だった。
「……やりましょう。未来を掴めるなら、寝る時間くらい惜しくありません」
高村は大きなため息をつき、頭をかいた。
「……全く。常務にそう言われて、若いのがその気になっちゃ、止められませんよ」
斎藤は小さく、だが確かに微笑んだ。
「――そうだな。これから、本当に忙しくなるぞ」
こうして、小さな“調査チーム”が産声を上げた。
火種は、まだ小さい。
だが確かに、東芝の未来を変える熱を、そこに宿していた。




