第四十二話:発明者の証明
二週間後東芝との正式な契約を終えた山下は忠夫を神田の事務所へと報告のため呼び出していた。
「……遅くなりました、山下さん」
忠夫は事務所の奥へと足を踏み入れた。
デスクの前で待ち構えていた山下は、無言で一本の封筒と、重厚な革綴じのファイルを差し出した。
「……佐伯君、すべて決まりましたよ。東芝との正式契約、および国際特許の共同出願。完了です」
忠夫がファイルを開くと、そこには東芝の重厚な社印と、佐伯技術研究所の法人印が並ぶ、「ライセンス契約書」などが収められていた。
「これで、君の書いた『擬似SRAM』の論理は、東芝という巨大な鎧を纏いました」
山下はネクタイを緩め、安物のパイプ椅子に腰掛けた。
「一方で……私の古巣の方は、やはり駄目でした。話になりません」
忠夫の手が、契約書をめくる途中で止まった。
「……大企業病、ですか。現場を知らない管理職の硬直」
「ええ、その通りです。彼らは自分たちが『業界の基準』だと信じて疑わない。擬似SRAMをコスト優先の紛い物だと鼻で笑って、検討すらしない。かつての上司が、あそこまで盲目になっているとは思いませんでしたよ」
忠夫は、冷徹な光を宿した瞳で窓の外を眺めた。
「……いいですよ。外堀から埋めていきましょう。周囲がすべて我々の『擬似SRAM』という共通言語で話し始めた時、彼らは初めて、自分たちが言葉の通じない孤島に取り残されたことに気づくはずです」
山下は、忠夫の残酷なまでの合理性に、ゾッとするような期待感を抱いた。
「……それと、なんですが、佐伯君。東芝側から、一つ強い“要望”が来ています。……設計部門のトップたちが、どうしても発明者に会いたいと」
忠夫の手が、契約書をめくる途中で止まった。
「……試したい、ということですか?」
「いえ、試したいというよりは、ただ純粋に会って詳しく話をしたいだけでしょうね、あれは‥」
山下は、交渉時の技術者たちの熱量を思い出すように苦笑した。
忠夫は薄く笑みを浮かべた。
「……なるほど、僕も一度会うべきだとは思っていましたから、ちょうどよかったです」
「では、明後日の土曜日でいいでしょうか」
山下が確認すると、忠夫は短く応じた。
「ええ、大丈夫です」
山下は不敵に笑い、今後の戦略を語る。
「……加えて、他社との交渉も順次開始いたします。
東芝が先行して契約に応じた以上、各社も静観はできないはずです」
その頃。
石川常務は、手元の報告書を一瞥してゴミ箱に放り投げた。
「東芝がガラクタ特許と契約しただと? 笑わせるな。あそこも焼きが回ったか」
彼は、窓の外に広がる冬の街並みを眺め、傲慢な笑みを浮かべた。
「我々は王道を行く。DRAMの微細化こそが唯一の正義だ。名もなきガキの空論など、この石川が歴史の塵にしてくれるわ」
彼が、自分の足元で静かに、だが確実に「規格」という名の地盤沈下が始まっていることに気づくのは、もう少し先のことである。




