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五十六歳の研究者、中学生から人生をやり直す  作者: 正宗


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第三十四話:剥き出しの心臓

晩秋の古都の景色を眺める余裕もなく、忠夫が到着した任天堂本社の開発実験室は、心地よい疲労と、それを上回る興奮に包まれていた。


「お久しぶりです、植松さん、佐藤さん」


「……来たか、佐伯くん」

責任者の植松邦夫が、充血した目で待ち構えていた。その傍らには、佐藤も立っている。

作業台の上には、ジャンパ線がのたうち回る剥き出しの基板が鎮座している。試作チップを載せた、ファミコンの「心臓部」だ。


「プロトタイプが出来てからこいつを回し続けてるよ。……佐伯くん。あのカーネル、本当に『弾ける』ように動く」

植松が、誇らしげに基板を指差した。


「植松さん、佐藤さん。そのカーネルですが……今川先生が正式な名称を決めたんです」


「ほう、名前か。なんて呼ぶんだ?」


「『TRON』。……『Time Real Operating system Next』の略です」


「トロン‥‥」

「トロン、か。いい響きだ」

植松と佐藤が、その名前を噛み締めるように呟いた。


「‥‥よし、まずはここに座ってくれ。そしてこいつの真価を見てくれ」

植松に促され、忠夫は検証用のジョイスティックを握った。


カチ、カチ、とレバーを叩く。

ジャンプのタイミング、樽の転がり、挙動。そのすべてがアーケード版と遜色ない。


「……凄い。アーケード版を再現できている」

感嘆の声を漏らすと、植松は満足げに頷いた。


忠夫はバッグから一本のカセットテープを取り出した。


「実は、僕の方でも移植が完了したんです。植松さんにも以前プレイしてもらった『テトリス』……さらにそれに新機能も実装してきました」

「新機能?」

植松が身を乗り出す。忠夫はデータレコーダを接続し、テープのロードを開始した。

 

ピー、ギャー……。

実験室に響く独特のデジタル音。ロードが完了し、忠夫がリセットボタンを叩くと、ブラウン管のモニターが鮮やかに発光した。

画面中央には、見慣れたタイトルロゴ。だが、その下には選択肢が並んでいた。


1 PLAYER

2 PLAYER (VERSUS)


「……『VERSUS』? 対戦だと?」

植松が目を剥く。

「植松さん。予備の入力端子に、もう一本スティックを繋げますか?」

「……二本同時に動かすというのか。だが、この処理速度で入力を二系統捌くのは……」

「大丈夫です。やらせてください」


植松が半信半疑で、実験用のサブコントローラーを基板のコネクタに差し込んだ。忠夫が手元のレバーで『2 PLAYER』を選択し、スタートボタンを押す。


直後、画面が中央で真っ二つに割れた。


「……ッ!」

植松が息を呑む。

左右それぞれのフィールドで、ブロックが独立して動き出す。忠夫が左のレバーを、植松が右のレバーを握った。


「……なんだ、この反応は。二人同時に動かしているのに、微塵も重くならない!」

植松が驚愕の声を上げた。入力した瞬間に、画面上のブロックが吸い付くように回転する。TRONカーネルが二つの入力を完全に並列で、一クロックの無駄もなく処理している。


そして、忠夫が四段消し(テトリス)を決めた瞬間。植松側の画面の下から、嫌がらせのようなブロックがせり上がった。

「なっ……僕の画面に干渉したのか!?」

「これが新機能、『対戦モード』です。」

忠夫が不敵に笑う。


「これは凄い、あとは……佐伯くん、一つ試させてくれ」

植松が真剣な面持ちで、作業台の電源を切った。

彼は手慣れた手つきで、プロトタイプ基板の心臓部に深く差し込まれていた、太いケーブルを引き抜いた。デバッグ用の補助装置(ICE)を外す作業だ。


代わりに、忠夫のプログラムを書き込んだばかりのEPROMを、カチリとソケットに差し込む。


「装置を通せば動くのは当たり前だ。だが、この『剥き出しの石』だけで、君のプログラムが動作するかどうか……」


実験室に緊張が走る。植松が再びスイッチを入れた。

一瞬の静寂の後、ブラウン管にタイトル画面が表示された。装置という「補助輪」なしで、基板上のチップたちが自らの足で走り始めたのだ。 


「……一発か」

佐藤が感嘆の声を漏らした。

タイミングのズレも、画面の乱れもない。 


「……よし。次は『熱』だ」

植松がストップウォッチを叩いた。

画面分割、高速なブロック移動、二人分の入力。この『対戦テトリス』は、アーケードゲームの数倍はハードを酷使する、過酷な耐久テストそのものだ。


対戦開始から気づいたら二時間。佐藤が思い出したように基板中央のチップに指を触れた。

「……少し熱い。ですが、これなら許容範囲です。暴走の気配はありません。この負荷で二時間やって一ドットも揺らがないのは異常ですよ」

 

本来なら、これほどの負荷をかければチップは悲鳴を上げ、画面は砂嵐に変わるかフリーズするはずだ。だが、忠夫のプログラムは、無駄な計算を一切排除し、機械の熱さえコントロールするかのような効率で処理を捌ききっていた。


「……参ったな、佐伯くん」

植松が、どこか嬉しそうに椅子に背を預けた。


「この『対戦モード』で二時間耐えたなら、他のどんなゲームもこの機械で余裕で動く。……佐藤、今夜はこのまま一晩中回しっぱなしにしておけ。明日の朝、こいつがまだ元気にブロックを落としていたら決まりだ。この仕様で問題ないだろう」


植松の言葉が、静かな実験室に重く響いた。

剥き出しの基板の上で、未来が現実にぴったりと重なり、新しい時代の鼓動を刻み始めていた。


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