第二十四話:タイムリミット
「説得してみせる」と佐藤が部屋を飛び出していってから、数時間が経過していた。
時刻は夕方の18時を回ったところだった。窓の外では、夏の終わり特有の濃い西日が校舎の影を長く伸ばし、遠くで鳴る雷鳴が湿った空気を不気味に震わせている。
研究室に残った坂村と忠夫は、佐藤からの連絡を待つ間も、ホワイトボードの前に立ち続けていた。
「……佐伯くん、やはりこの描画割り込みの優先順位は、カーネルの最深部で処理すべきだ」
「ええ。ハードが座標計算を終えた瞬間、一ナノ秒の遅延もなくOSが次の命令を叩き込む。それができれば、チップの回路をあと二割は削れます」
静寂を破ったのは、一台の電話機が上げるけたたましいベルの音だった。
二人の視線が、同時に電話機に突き刺さる。坂村が受話器を取った。京都に戻った佐藤の、ひどく掠れた、だが確信に満ちた声だった。
「先生。説得成功しました、山内社長が先程の条件を、私たちの構想を認めると言っています」
坂村の背筋に、微かな電流が走った。
佐藤は息を弾ませながら、京都での一部始終を報告した。
だが、報告の最後に添えられた言葉が、勝利の余韻を瞬時に凍り付かせた。
「……ただ、条件がありまして‥‥猶予は9月末です」
1982年、9月末。それが物理的な限界点だ。リコーの工場でチップを焼くための「マスク」作成工程に入るまで、あと約40日。その日を過ぎれば、仕様の変更は数億円の損失と発売延期を意味する。
「それまでに仕様を完全に固め、リコーがチップを焼ける段階まで設計図を書き換えろ……それが山内社長の出した条件です」
9月末までに仕様を完全に固め、リコーがチップを焼ける段階まで設計を落とし込むこと。それが叶わなければ、この話は白紙に戻す――。
受話器を置いた坂村は、暗い窓の外を見つめた。
世界標準を目指すOSの根幹を、わずか1ヶ月で一企業のハードウェアに最適化させる。それは学者の常識を遥かに超えた、商売人の無慈悲なスピード感だった。
「……どうでした?」
横で待機していた忠夫が、低く落ち着いた声で尋ねた。
「タイムリミットは9月末みたいだ。……無茶を言う」
坂村の呟きに対し、忠夫は一瞬驚きに目を剥いたが、すぐに覚悟を決め、ホワイトボードに描かれた「ハードを削り落とした設計図」を、射抜くような目で見つめ返した。
「一ヶ月、ぐらいですか。……やりましょう」
中学生の不敵な笑みに、坂村は毒気を抜かれた。
彼らの頭の中では、すでに計算が始まっていた。一ヶ月でフルOSを移植するのは確かに無理だ。
だが、先ほどまで議論していた「ハードの空白をソフトの精度で埋める」ゲーム機専用リアルタイムカーネルなら。
カウントダウンが始まった。




