第二十二話:オープンアーキテクチャ
千葉の佐伯家に響いた黒電話のベル。受話器を取った忠夫の耳に届いたのは、任天堂からの連絡だった。
『坂村先生とのアポがとれました。三日後、東京大学の研究室へ。当日は車で迎えに行くので、準備しておいてください』
忠夫は受話器を置き、深く息を吐いた。坂村健。現代では「TRON」の父として知られるその人は、今まさにこの時代で、既存のコンピュータの枠組みを根底から変えようとしているはずだ。
約束の日。忠夫の自宅前に一台の黒い乗用車が止まった。車内には、開発責任者・上村雅之の部下である技術者、佐藤悠太が座っていた。
「初めまして。任天堂、開発第二部の佐藤悠太といいます。……本日はよろしくお願いします」
佐藤は二十代後半の、いかにも実直そうな技術者だった。彼は名刺を取り出し、両手で差し出した。
「あ……初めまして、佐伯忠夫です」
差し出された名刺を受け取った。
「すみません、僕は……名刺を持っていなくて」
「ああ、失礼しました。上村から話は聞いてます本日はよろしくお願いします」
車はうだるような暑さの都心を抜け、歴史の重みを感じさせる赤門をくぐり、東京大学へと足を踏み入れた。
「……お待たせしました。坂村健です。君が佐伯くんと佐藤さんですね」
応接室のドアを開けた坂村は、三十代前半の、鋭い知性と静かな熱量を湛えた瞳で一行を迎え入れた。忠夫達は深く頭を下げた。
「初めまして、佐伯忠夫です。本日は貴重なお時間をとっていただき、本当にありがとうございます。坂村先生……先生の書かれた『可変構造計算機』の論文を拝読しました。論理回路そのものを動的に定義し直すという発想に、衝撃を受けました」
少年の言葉に、坂村は意外そうな顔をした。忠夫の目に。自分と同じ地平を見ようとしている者だけが持つ、独特の熱を感じ取ったのだ。
忠夫は、自ら書き上げた再設計図を机に広げた。
「先生……僕がやりたいのは、先生が今まさに構想されている『リアルタイムOS』の実装です」
坂村の目が、机上の図面に吸い寄せられた。だが、数分後、坂村の眉間に深い皺が刻まれた。
「……佐伯くん。この設計、理論的には非常に面白いんだが、あまりにハードウェアを削りすぎている。これでは描画の優先順位判断だけでプロセッサが飽和し、一マイクロ秒の遅延が即座に画面の崩壊を招くぞ。君はなぜここまでハードを貧弱にした?」
「一万円という価格の壁を超えるためです。その為にチップの設計を最適化させた所からさらに削りました。このチップは構造が単純な分、命令の実行時間は正確に予測できます」
忠夫はホワイトボードに向かい、マーカーを走らせた。
「ハードに高度な機能を載せる面積がないなら、その『空白』を先生の作るリアルタイムOSの精密な割り込み制御で補完したいんです。不自由なシリコンの鼓動を、一クロック単位で支配する……。汎用機ではなく、ゲーム機のためだけの、シリコンと呼吸を合わせるような専用のカーネルを、僕たちと一緒に作ってください」
当時、コンピュータといえば「ハードの性能を競うもの」だった。だが、目の前の少年は「ハードの不完全さを、ソフトの精度で救う」という逆転の発想を突きつけてきた。
坂村はわずかに微笑み、眼鏡をかけ直した。それは、対等な「技術者を見る目」だった。
「わかった。私の理論と、私のコードを貸し出そうじゃないか。……ただし、条件がある。私はこのOSを、誰にでも使えるオープンなものにしたいんだ」
坂村は一度言葉を切り、鋭い眼光を忠夫に向けた。
「私が目指しているのは、特定のメーカーを勝たせるための道具を作ることじゃない。仕様を無償で公開することによってこれを誰でも自由に使って社会を発展させてほしいという願いがあるんだ」




