第十九話:技術の対価
数分後、部屋にやってきた上村雅之は、室内の異常な熱気に身をこわばらせた。山内は、机に広げた数枚のレポート用紙を上村の鼻先に突きつけた。
「上村、この佐伯君が……設計の最適化で原価を二割削れると言うとる。ダイサイズの縮小や。……できるんか、これ」
上村は眼鏡を押し上げ、その資料を覗き込んだ。
そこには、定規とペンで精緻に描かれたロジック回路のブロック図と、手計算の跡が残る膨大な数表が並んでいた。最初は疑いの目だったが、数分後、上村の顔から血の気が引いていく。
「……バカな。PPU(画像処理チップ)のアドレスデコードを、このゲート構成で処理させるというのか? 冗長性を削りすぎだ。佐伯君、理屈はわかる。面積を削ればコストは劇的に下がるだろう。……だが!」
上村は声を荒らげ、手描きの図の一点を指で叩いた。
「しかし、この配線で本当に動作はするのか!? これだけ信号線を密着させれば、寄生容量で信号がなまって使い物にならん。それに、このタイミング設計では同期がズレて、スプライトが化けるはずだ。……机上の空論だ、これは!」
山内は黙って二人のやり取りを凝視している。技術の中身はわからんが、上村がこれほど必死に食ってかかる相手は、社内にもそうはいない。
忠夫は、上村の焦りを透かして見るように、手描きの資料の二枚目をめくった。
「上村さん。リコーの3μmプロセスは、配線の層を重ねる時にわずかな『遊び』が出ます。あえて配線を直交させず、平行に走らせる距離をこの数ミクロン以内に抑えれば、ノイズは相互に打ち消し合います。……それに、垂直帰線期間(Vブランク)のわずかな隙間にこのデコード処理をねじ込めば、画面への影響はゼロです」
「……なっ!?」
上村は絶句した。
忠夫が口にしたのは、任天堂がアーケード版『ドンキーコング』の基板で、部品点数を極限まで減らすために編み出した描画回路の隙間時間に演算処理を滑り込ませるという、泥臭くも芸術的なハックを ICチップの内部設計にまで応用しようという、あまりに大胆な逆転の発想だった。
「……あれは、うちの技術者が死ぬ思いで調整した、泥臭いハックの結晶だぞ……。それをチップの設計段階から組み込むというのか」
「理屈は合っています。……あとは、これを反映させるだけです」
上村は額の汗を拭い、もう一度その手描きの資料を食い入るように見つめた。
「……もし、このタイミングが計算通りの精度で出せるなら……動きます。それどころか、我々が頭を抱えていた描画の限界を超えられるかもしれない。……社長、これは、ただのコストダウン案じゃありません。設計思想そのものが、我々の一歩先を行っています」
山内はその言葉を聞いて、不敵な笑みを浮かべた。
信頼する右腕が、中学生に「一歩先」を行かれたことを認めた。それが、彼にとっての「買い」の合図だった。
「……決まりや」
山内は短く言うと、手元にある忠夫の手描き資料を、無造作に上村へ放り投げた。
「上村、その資料を持ってけ。リコーにもう一遍、どうにかして設計をやり直してもらうんや。……原価が2割削れんなら、ワシの勝ちや」
上村は、震える手でそのレポート用紙を抱えるように受け取った。まだ信じられないという顔で、資料と忠夫を交互に見ている。山内は、今度は忠夫を正面から据えた。
「佐伯くん。……君のその知恵、タダで借りるつもりはない。二千万や。」
山内は、淡々とその額を口にした。
「『技術協力金』として、お前のとこの会社に振り込ませる。……これは君のゲームへの対価やない。君の知識に対する対価や。……他所にフラフラ行くんやないぞ。」
山内は、目の前の少年を「ただの子供」としてではなく、任天堂の社運を左右しかねない「怪物」として、囲い込む決断を瞬時に下したのだ。




