第十七話:京都の巨人
忠夫と佳子は、新幹線を降り、京都駅の喧騒を抜けた。向かったのは東山区福稲上高松町。そこには任天堂本社社屋があった。
「……ここが、任天堂の本社」
佳子が、慣れないスーツの裾を整えながら、圧倒されたように見上げる。ここでの決断が、世界の娯楽の歴史を左右することになるとは、まだ誰も知らない。
二人が案内されたのは、一階にある簡素な応接室だった。だが木製のテーブルが置かれたその部屋には不釣り合いな一台の機材が置いてあった。
「……佐伯さん、ですね。上村です」
後のファミコンの父、上村雅之がそこにいた。鋭い眼光の奥に、新しい技術への飽くなき好奇心を隠した男。彼の後ろには、後の任天堂を支えることになる若き技術者たちが数人、腕を組んで立っていた。
「東京の黒井からは、中学生が面白い提案とゲームを持ってきたと聞いています。……だが、うちは今、戦場のような忙しさだ。無駄な時間なら、即座に切り上げさせてもらう。……いいね?」
「ええ。お願いします」
忠夫は動じることなく、持参したマスターテープを機材のレコーダに差し込んだ。モニターに映し出されたのは、二〇二六年の最適化ロジックを一九八二年のスペックに叩き込んだ、「テトリス」。
「……ほう、パズルか。」
上村はそう言うと、キーボードに指を置いた。
だが。一分が過ぎ、二分が過ぎても、上村は椅子から立ち上がらなかった。
カタ、カタ、カタ……。
最初は「操作性」を確認するために動かしていた上村の指が、次第に熱を帯びていく。画面端に積み上がったブロック。それが一列揃ってパッと消える瞬間の、脳を直接揺さぶるような快感。次に何が来るかという期待。それをどう捌くかという焦燥。
上村の額にはじわりと汗が滲み、その目はモニターから一秒たりとも離れなくなった。
異変は背後の部下たちにも伝播していた。
「……そこ、右じゃないですか?」
「いや、今の回転で正解ですよ。……あ、また四段消した!」
最初は腕を組んで冷ややかに見ていた技術者たちが、いつの間にか上村の肩越しに身を乗り出し、画面を食い入るように見つめている。誰かがプレイを代わってほしそうに指を動かし、誰かが「テトリス棒」が滑り込むたびに「おぉ……」と声を漏らす。
応接室は、査定の場から、熱狂的な「ゲームセンター」へと変貌していた。多忙を極めるはずのプロたちが、一人の少年が持ち込んだ「テトリス」に、完全に魂を奪われていた。
その時、背後の扉が静かに開いた。
「……おもろいんか。その、ゲームは」
一瞬で部屋の空気が凝固した。
現れたのは、鋭い眼光を眼鏡の奥に光らせた男。
任天堂社長、山内溥だった。
技術者たちが弾かれたように直立不動になる中、上村だけが、一瞬、キーボードから手を離すのが遅れた。
「……あ、社長。いえ、これは……」
「上村。即座に追い返す言うとったらしいくせに、えらい熱心やないか。それに後ろの連中まで‥‥そんなにおもろいんか?」
山内は、忠夫や佳子には目もくれず、ただ上村の顔と、モニターの中で積み上がったブロックの山を交互に見つめた。
「あの上村雅之が、そして血気盛んな若手たちが、揃って我を忘れて没頭している」という事実が、何よりも確かな品質保証であることを、誰よりも知っていた。
「……理屈やないな。上村、お前らをそこまで骨抜きにするとは、これはただの玩具やない。人間を夢中にさせる何かが、これにはある」
山内はそこで初めて、中学生の忠夫を正面から見た。その目は、真剣勝負の経営者の目だった。
「佐伯‥くんやったか?。……ええゲームや。ワシの技術者どもを、ここまで熱心に遊ばせるとはな。……で、このゲームを、ワシに売りに来たんか?」
横の佳子の指が、バッグの持ち手を白くなるほど強く握りしめた。忠夫は、隣にいる母の背中を、机の下でそっと叩いた。
「……買い取りではありません。山内社長、佐伯技術研究所は、御社と『ライセンス契約』を結びに来ました」
忠夫の声が、静かな室内に響いた。




