第十四話:「有限会社」へ
1982年7月
初めてゲームが売れてから一ヶ月後。
「……あなた、今月分、全部締めたわよ」
佳子が震える手で電卓のメモを差し出した。
『3,120,000円』
和雄は、その数字を三度見返した。1982年のサラリーマンにとって、それは「一年分の年収」を軽く超える額だった。
「……忠夫。これ、もう『個人』で済む話じゃないぞ」
和雄の声には、喜びよりも恐怖が混じっていた。
「この調子で売れたとしたらこのまま個人の所得として申告したら、税金で半分以上持っていかれる。それどころか、住民税の通知で、会社に副業が確実にバレる……」
和雄は、息子を真っ直ぐに見据えた。
忠夫はハッとした。未来の知識に溺れ、目の前の「法律」という現実を軽視していた自分に気づく。
「……父さん。どうすればいい?」
「『有限会社』を作る。」
和雄は、会社で経理や法務の人間が話していたことを思い出しながら、ノートに図を書き始めた。
「お前はまだ中学生だ。印鑑証明書の発行が出来ない、だから、母さんを社長に据える。俺は役員だ。会社の名前は……そうだな、そのまま『有限会社 佐伯技術研究所』で登記する」
「今の法律なら、この三百万のうち十万を『資本金』に回せば、会社として認められる。 会社にすれば、お前や俺、母さんに『給料』を払う形にできる。そうすれば、三百万という巨額の利益を三人に分散させ、一人一人の税率を大幅に下げられるんだ」
「さらに、この家の一部を『事務所』として経費で落とす。」
「でも父さん、うちは持ち家だけど、それでも経費になるの?」
忠夫の素朴な疑問に、和雄は得意げにメガネを上げた。
「ああ、もちろんだ。むしろ持ち家の方が、やりようはある。……いいか、この家の一部を『佐伯技術研究所の本社』として登記するんだ。そうすれば、毎年払っている固定資産税や、ローンの利息の一部を、会社の経費として差し引くことができる。」
和雄はノートに、家の間取り図を描いた。
「この六畳間を完全に仕事部屋にする。家全体の面積の二割が『会社』だ。そうすれば、電気代も水道代も二割は経費だ。……忠夫、お前が夜通しマイコンを回して電気を食っても、それは『事業に必要なコスト』になるんだよ」
忠夫は、自分の趣味の空間が、法的に「会社」という響きに変わることに興奮を覚えた。
「……父さん、すごいね。会社のこと、そんなに詳しかったんだ」
「……ふん、伊達に十数年、会社の経理書類の端っこを見てきたわけじゃないからな」
忠夫は驚いた。父・和雄は、ただ黙々とダビングを手伝っていたわけではなかった。裏で密かに、家族を守るための「盾」を設計していたのだ。
「……でも、父さん。会社を作ったら、それこそ勤め先にバレるんじゃ……」
「だから母さんが社長なんだ。俺の名前は表に出さない。住民税の通知も、佳子の分は自宅に来る。……会社には、『妻が趣味の延長で商売を始めたら、予想外に当たってしまった』と言い訳する。 最悪、バレても『俺は手伝っているだけだ』と言い張れるだけの理屈は、俺が会社で積み上げてきた信頼で通してみせる」
「……分かった、父さん」
一九八二年。
中学生の未来の知識と、普通のサラリーマンの生存本能が合体した。
史上最も地味で、最も強固な「ベンチャー企業」が、千葉の居間で産声を上げた。




