第十三話:父、覚悟を決める
和雄は、居間のテーブルに山積みになった現金書留の黄色い封筒から目を逸らすように、一度台所へ行って水を飲んだ。
「……これ、本当に全部お前のゲームが欲しいって人たちなのか?」
和雄が呟く。封筒の山は、もはや恐怖の対象ではなかった。
たった三行の活字を信じて、これだけの人々が、汗水垂らして稼いだ三千円をこの家に送りつけてきている。
「これだけ……これだけの人間が、待ってるのか」
和雄は、自分の月給を優に超える札束と、それ以上に膨れ上がった「発送待ち」の宛名リストを交互に見た。
会社では、自分の名前が表に出ることなどない。だがここでは、今この瞬間に自分たちが動かなければ、この「銭」を払った日本中の誰かを裏切ることになる。
和雄は椅子から立ち上がると、これまで家族も見たことがないような鋭い手つきで、キッチリ締めていたネクタイを乱暴に引き抜いた。それをソファへ放り投げ、ワイシャツの袖を肘までまくり上げる。
「……母さん。悪いが、明日、一日有給を取る」
その目は、いつもの「疲れたサラリーマン」のものではなかった。
「いいか。母さんは宛名書きだ。俺は梱包とダビングをやる。お前は……エラーがないかを見て、全体を仕切ってくれ」
普通のサラリーマンが、家族を守るため、そして初めて見つけた「誇り」のために、夜な夜なカセットテープを焼き続ける「秘密の工場長」に変貌した瞬間だった。
「ピーーーーーーーー」
耳を刺すような高周波の変調音。一本焼くのに、正確に三分四十五秒。
忠夫はストップウォッチを片手に、一台しかないレコーダーのスイッチを繰り返し押していた。だが、注文の山に対し、あまりにも時間が足りない。
「父さん、あそこにあるお母さんの古いラジカセも使おう。二つ繋いで同時に焼くんだ」
忠夫の提案に、和雄は不安そうに眉を寄せた。
「……そんなことできるのか? 音が混ざったりしないか?」
「大丈夫。僕が二股のケーブルを作るから。ただ、信号を分けると音が小さくなるんだ。だから、父さんにしかできない『現物合わせ』をお願いしたいんだ」
和雄は「……分かった。やってみる」と短く答え、老眼鏡をかけ直した。
和雄は、片方のラジカセで焼いてはパソコンに繋ぎ、エラーが出ればコンマ数ミリつまみを回す。それを何十回と繰り返した。機械の理屈は分からなくても、「この位置なら動く」という正解を、彼は根気だけで掘り当てようとしていた。
深夜三時。ついに和雄が声を上げた。
「……忠夫! 三回連続でロード成功だ。このラジカセは『6』、母さんのやつは『7.5』。この位置が黄金比だ!」
和雄は、つまみの位置に油性マジックで小さく印をつけた。その目は充血していたが、どこか誇らしげだった。
隣では佳子が、一通一通、丁寧に宛名を書き続けている。
「……父さん、母さん。ごめんね、こんなこと手伝わせて」
ふと、忠夫が手を止めて謝った。和雄は、完成したテープに「TETRIS」のラベルを慎重に貼りながら、顔を上げずに答えた。
「何を言ってる。……これだけの人が、お前の作ったものを待ってるんだぞ。サラリーマンの俺からすれば、これほどやりがいのある仕事はない」
一九八二年の夜。忠夫を泥臭い手作業と家族の愛情が支えていた




