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南北疾風録  作者: 八月河
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北境の麒麟、南朝の皇帝

北魏の太武帝が宦官の宗愛に弑され、南朝宋では文帝が長男の劉劭に殺害されるという激動の報せが、遠く襄陽の地に届いた時、慕容麒(林全こと慕容復)は、静かに城壁に立ち、眼下の風景を見つめていた。彼の心には、劉裕の遺志を継ぐべき英雄たちが次々と命を落としていくことへの深い悲しみと、それでもなお、この国を守り抜かなければならないという、揺るぎない使命感が宿っていた。


(文帝殿までもが、子の手によって……。英雄の時代は、本当に終わってしまったのか……。劉裕殿が築き上げたこの国は、なぜ、かくも脆いのだ……。しかし、予が守るこの襄陽だけは、決して崩壊させてはならぬ。この地こそが、劉裕殿が予に託した、この国の最後の砦なのだから……)


慕容麒は、襄陽一帯の守備に専念し、北魏からの侵攻を幾度となく退けてきた。彼の指揮の下、襄陽に駐屯する八万の将兵は、百戦錬磨の精強さを誇り、その士気は常に高かった。彼らは、慕容麒という異国の将軍を、もはや自分たちの主として心から尊敬し、信頼していた。


「将軍は、劉裕公の遺志を継ぐ、真の英雄だ!」


「慕容麒将軍がいれば、北魏の万騎が来ようと、百万騎が来ようと、恐れることはない!」


兵士たちの声は、慕容麒の心に静かな力を与えた。北魏の将軍たちにとっても、慕容麒という存在は、最も手ごわい敵となっていた。


「慕容麒か……。あの男さえいなければ、長江を渡り、建康を攻めることなど、容易いことだというのに……。宋には、もはや檀道済という万里の長城は存在しない。だが、慕容麒という、もう一つの万里の長城が、我々の行く手を阻んでいる……」


北魏の将軍たちは、慕容麒の存在を恐れ、容易には宋に手を出せなかった。慕容麒は、南朝宋の混乱とは無縁の地で、ただひたすらに、劉裕が託した安寧という遺志を守り続けていた。彼の存在こそが、南朝宋の北境を守る、最後の希望だった。


一方、南朝宋では、文帝の死後、権力闘争が激化していた。文帝の四男である劉駿は、安北将軍、徐州刺史として彭城に駐屯していたが、その才能と野心を恐れた兄の劉劭によって、不遇の時代を送っていた。


元嘉二十七年には汝陽の敗戦の罪で鎮軍将軍に降格され、元嘉二十八年には北魏の侵入を許した罪で北中郎将に降格されるなど、劉駿は、兄の劉劭の冷遇に耐えながら、再起の機会をうかがっていた。彼の胸には、劉裕の血を引く者としての誇りと、劉劭に対する深い憎悪が渦巻いていた。


(予は、劉劭の陰謀によって、何度も降格させられた……。だが、予の野心は、決して消えることはない! 劉裕の血を引く者として、予が、この国の安寧を取り戻さねばならぬ!)


元嘉三十年2月、長兄である皇太子の劉劭が文帝を殺害するという衝撃的な報せが、劉駿のもとに届いた。この報せは、劉駿の心に燃え盛る炎を吹き込んだ。


(父上を殺し、帝位を奪うとは……! 劉劭は、もはや人ではない! 予が、この手で、劉劭を討ち、父上の仇を討たねばならぬ!)


劉駿は、江州で兵を挙げ、建康へと進軍した。彼の軍勢は、劉劭の暴虐に苦しむ民衆の支持を集め、日増しにその数を増やしていった。彼の進軍は、建康の朝廷に激しい動揺をもたらした。

皇帝の苦悩、反乱の鎮圧


元嘉三十年4月、劉駿は新亭に進軍し、皇帝に即位した。そして、5月には建康を陥落させ、劉劭を殺害し、ついに宋の皇帝の座を手に入れた。


(予は、ついに、父上の仇を討った……! これで、この国は、安寧を取り戻せるはず……!)


劉駿は、大明と改元し、南朝宋の再建に乗り出した。彼は、劉裕の遺志を継ぐ者として、この国の安寧を取り戻すことを誓った。しかし、彼の治世は、安泰とは言えなかった。大明三年4月、異母弟の竟陵王の劉誕が叛乱を起こした。


(劉誕め……! なぜ、予に刃向かうのだ! 予は、劉劭を討ち、この国の安寧を取り戻したはず……。なぜ、また、身内による反乱が……! この国は、いつになったら、真の安寧を得られるのだ……!)


劉駿は、車騎大将軍の沈慶之に劉誕の討伐を命じた。彼の心には、劉裕の遺志を継ぐ者としての責任感と、権力闘争に翻弄されることへの深い苦悩が入り混じっていた。彼は、劉裕が築き上げた宋という国が、身内同士の争いによって、再び混迷の時代へと突入していくのを、静かに見つめるしかなかった。


一方、慕容麒は、遠く襄陽の地で、劉駿の即位と劉誕の反乱の報せを聞いていた。彼の胸には、南朝宋の混乱と、北魏の不気味な静寂が、不吉な予感となって去来していた。


(南朝宋は、劉裕殿という偉大な英雄を失い、未だに混乱の渦中にいる……。劉駿殿は、劉裕殿の血を引く者として、この国を導けるのか……。予は、彼を信じて、この北境を守り抜くしかない……。予が、この北境を守り抜かなければ、この国は、本当に滅んでしまう……)


慕容麒は、劉駿の治世の行く末と、北魏の動向を注意深く見守りながら、劉裕が託した安寧という遺志を胸に、襄陽の城壁に立ち続けた。彼の存在こそが、南朝宋という、身内同士の争いに明け暮れる国を、辛うじて支えていたのだった。

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