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南北疾風録  作者: 八月河
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北の混乱と隆盛、南の衰退

北の覇者である太武帝拓跋燾が宦官の宗愛によって弑されたという衝撃的な報せは、風に乗って南朝宋の襄陽へと届いた。その報せを聞いた林全こと慕容復は、静かに、しかし激しく動揺した。彼の心には、英雄の無残な最期への憐憫と、この混乱がもたらす未来への不穏な予感が渦巻いていた。


(太武帝という、劉裕殿に匹敵する英雄が、宦官ごときに弑されるとは……。英雄の時代は、もはや終わりを告げたということか……。あまりにも、あっけない最期……。だが、この混乱は、宋に安寧をもたらすかもしれない……。いや、待て。宗愛という男は、この混乱を利用し、自らの権力を盤石にしようとするはずだ。北魏の内乱は、宋にとっても、決して他人事ではない……)


宗愛は、太武帝の末の叔父である南安王・拓跋余を新たな皇帝として擁立した。これは、宗愛が傀儡を据え、実権を握るための策略であった。宗愛は、自らを大司馬、大将軍、さらには太師と称し、北魏の権力をほしいままにした。宮殿は、彼の専横と恐怖政治によって支配され、誰もが宗愛の顔色をうかがう日々が続いた。


その頃、襄陽の城壁に立つ林全は、北魏の動向に深く心を痛めていた。彼の耳には、北魏の将軍たちが宗愛の専横に憤る声が、まるで幻聴のように聞こえていた。


「宗愛め! 太武帝様を弑し、拓跋余様を傀儡として操るとは……! このままでは、北魏は宗愛という悪鬼に食い尽くされてしまう!」


「しかし、宗愛の力は強大だ。迂闊に動けば、我らの命はない……」


北魏の将軍たちの間で広がる不満と恐怖は、南朝宋にいる林全にまで伝わってくるかのようだった。そして、彼は、北魏の混乱が、いずれ南朝宋にも波及することを予感していた。


(もし、宗愛が北魏の内乱を収束させ、再び南征を企てれば、宋はひとたまりもない。だが、もし、宗愛が自らの野心に溺れ、内乱を激化させれば、北魏は自滅するだろう。いずれにせよ、我らは、この機に乗じて、力を蓄えなければならぬ)


林全は、建康から届く報せにも目を光らせていた。南朝宋では、文帝が劉劭に殺害された後、再び権力闘争の渦に巻き込まれ、混迷を極めていた。林全は、北魏と南朝宋という二つの大国が、いずれも英雄の死後、混乱の時代を迎えていることに、歴史の大きな流れを感じていた。


だが、わずか八ヶ月後、拓跋余は宗愛の専横に辟易し、親政すべく宗愛の誅殺を諮った。その言葉は、すぐに宗愛の耳にも届いた。


(予を殺そうだと? 愚か者め……。この北魏は、もはや予の手の中にあるというのに、なぜ、それに気づかぬ!)


宗愛は、冷酷な笑みを浮かべ、再び血を流すことを躊躇しなかった。彼は、太武帝を殺害したのと同じ夜、拓跋余を殺害した。その夜、平城の宮殿は、再び血の匂いに包まれた。誰もが、次に殺されるのは自分ではないかと、恐怖に震え上がった。


(このままでは、北魏は、宗愛という悪鬼に滅ぼされてしまう……! 太武帝様が築き上げたこの国を、予が、この手で守り抜かねばならぬ!)


尚書の陸麗は、宗愛の狂気に、静かな、しかし激しい怒りを燃やしていた。彼は、このままでは北魏の未来はないと悟り、密かに同志を募った。羽林郎中(近衛団長)の劉尼、殿中尚書の源賀ら、太武帝に仕えた忠臣たちが、陸麗のもとに集結した。


「陸麗殿。このままでは、太武帝様が築き上げた国が、宗愛という悪鬼に滅ぼされてしまいます。予も、あなたと共に立ち上がります!」


劉尼が、静かな口調でそう言うと、源賀も深く頷いた。


「我らの使命は、宗愛を討ち、この国の秩序を取り戻すこと。北魏の未来は、我々の手に託されているのだ!」


陸麗は、源賀の言葉に力強く頷いた。彼らは、宗愛を誅殺し、亡き皇太子拓跋晃の嫡子である拓跋濬を擁立し、新たな皇帝・文成帝として即位させた。


林全は、この報せを聞き、北魏にもまだ、劉裕の遺志を継ぐ檀道済のような忠臣がいることに、わずかな希望を見出した。


(陸麗、劉尼、源賀……。彼らが北魏を支えている限り、この中華に、真の安寧は訪れるかもしれない。北魏が安定すれば、宋もまた、安寧を保てる。予は、彼らの戦いを、遠くから見守ろう……)


林全は、北魏の英雄たちの行動に、かつて劉裕の死後に、自分たちが感じた絶望とは異なる、希望の光を見ていた。彼は、北魏の忠臣たちが、自らの命を懸けて国を救おうとしている姿に、深い感銘を受けていた。


文成帝は、即位後、民力休養を是とし、開墾殖産を奨励した。また、国内の求心力を高める意味からも、太武帝が行った仏教弾圧を廃止し、仏教を復興させた。

林全は、曇曜が造営を始めた雲崗石窟の噂を耳にした。


(仏像を皇帝の姿に模すとは……。皇帝即ち如来、か。文成帝は、仏教の力をもって、この乱世を鎮めようとしているのか……。太武帝が寺院を破壊し、僧侶を殺害したこととは、あまりにも対照的だ。しかし、この仏教復興は、北魏の民の心を一つにまとめる上で、大きな力となるだろう……)


曇曜は、文成帝の上奏により、僧祇戸や仏図戸を設け、仏教の教えを民衆に広め、彼らを救済しようと試みた。この時代、北魏の民は、拓跋燾の狂気と宗愛の恐怖政治から解放され、新たな希望を見出していた。

林全は、文成帝の治世が、北魏に新たな時代をもたらすことを感じ取っていた。しかし、南朝宋では、文帝が劉劭に殺害された後、再び権力闘争の渦に巻き込まれ、混迷を極めていた。


林全の心には、北魏と南朝宋という二つの対照的な国家の行く末と、劉裕の遺志を継ぐ者としての自らの使命が、重くのしかかっていた。彼は、襄陽の城壁に立ち、静かに、しかし力強く、その使命を全うしていくのであった。


文帝が皇太子劉劭に殺害されたという報せは、北魏の混乱が収束しつつある時期に、南朝宋に衝撃を与えた。劉劭は、文帝を殺害した後、自ら皇帝を名乗り、朝廷を掌握しようとした。しかし、その行為は、南朝宋の官僚たちの間に、深い不信感と怒りを生み出した。


林全は、この報せを聞き、再び天を仰いだ。


(文帝陛下……。あなたは、英雄ではなかったかもしれない。しかし、少なくとも、この国を治めようとする志はあった。なぜ、その命を、息子に奪われねばならなかったのか……。劉裕殿の遺志は、もう、誰にも継がれることはないのか……)


林全は、遠い建康の空を見つめ、静かに悲しみに暮れた。


しかし、文帝の死は、南朝宋に新たな波乱をもたらした。文帝の三男である南郡王・劉駿は、江州刺史の臧質、雍州刺史の劉誕らと結託し、劉劭討伐の兵を挙げた。


「劉劭は、父を弑した大罪人! 予は、父の仇を討ち、この国の秩序を取り戻すため、立ち上がる!」


劉駿の言葉は、南朝宋の官僚たちの間に、熱狂的な支持を生み出した。彼らは、劉劭の専横を憎み、劉駿に新たな希望を見出していた。


劉駿は、劉劭を討伐した後、自ら皇帝に即位した。しかし、彼の即位は、新たな戦乱の火種を生み出すことになった。劉駿は、即位後、自らの権力を盤石にするため、反対派の粛清を始めた。その粛清は、かつて文帝が行ったものよりも、さらに苛烈なものだった。

林全は、襄陽の城壁に立ち、南朝宋の混乱を目の当たりにしていた。


(劉駿……。彼は、劉裕殿の遺志を継ぐ者なのか……。いや、違う。彼は、権力に固執し、父と同じ過ちを繰り返そうとしている。この国は、再び血で血を洗う時代へと突入していくのか……)


林全の心には、深い絶望感が広がりつつあった。


文成帝の治世のもと、北魏は安定した時代を迎えていた。開墾殖産が奨励され、民衆は安寧を取り戻し、仏教復興によって、人々の心は一つにまとまっていた。


しかし、南朝宋では、劉駿の即位後も、権力闘争は続き、国内は疲弊していった。林全は、北魏の隆盛と南朝宋の衰退を目の当たりにし、劉裕が築き上げた宋という国が、自滅の道を歩んでいることを痛感していた。


(劉裕殿……。あなたは、この国を、何のために築き上げたのでしょうか……。あなたの遺志は、もう、誰にも継がれることはないのか……。この南北朝時代は、どこへ向かうのでしょうか……)


林全の胸には、劉裕の遺志を継ぎ、この南北朝時代に真の安寧をもたらすという、新たな決意が静かに燃え上がっていた。それは、彼自身の故郷、慕容一族の悲願でもあった。遠い北の空を見上げながら、林全は静かに、しかし力強く、その使命を全うしていくのであった。

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