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南北疾風録  作者: 八月河
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老将軍の帰還、若き将の挑戦

文帝の治世が「元嘉の治」として全盛期を迎える一方、その繁栄の裏では、劉裕の遺志を継ぐべき将軍たちが次々と失われていた。特に、檀道済が文帝によって誅殺されたことは、南朝宋の未来に拭い去ることのできない暗い影を落としていた。


林全こと慕容復は、襄陽の城壁に立ち、遠い建康の空を見つめていた。彼の胸には、檀道済が最後に発した「自分を殺すことは万里の長城を壊すに等しい」という言葉が、重く、そして悲痛な響きを伴って反響していた。


(檀道済殿……。あなたの言葉は、予言となってしまった。文帝殿は、自ら築き上げたこの国の万里の長城を、自らの手で壊してしまったのだ……。劉裕殿、あなたの夢は、この無残な結末を望んでおられたのでしょうか……)


その報せは、北の覇者、北魏の太武帝こと拓跋燾のもとにも届いていた。平城の宮殿で報せを聞いた拓跋燾は、高らかに笑い声を響かせた。その笑いは、勝利を確信した者の、傲慢な響きに満ちていた。


「最早、宋にはひとりも恐るるに足る者はおらぬ! 檀道済という万里の長城を失った宋は、もはや裸同然だ! 劉裕の築いた国も、所詮は烏合の衆にすぎぬ! 今こそ、華北を統一したこの我が北魏が、南を併呑する時だ!」


拓跋燾は、漢人宰相の崔浩と道士の寇謙之の進言を受け入れ、仏教勢力を徹底的に弾圧する「廃仏」の詔を発した。寺院は破壊され、仏像は溶かされ、多くの僧侶が殺害された。彼は、国内の体制を整え、南征の機会を虎視眈々と狙っていた。その眼差しには、天下を統一するという、揺るぎない、狂気にも似た野心が宿っていた。


檀道済亡き後、慕容復は彼の遺志と兵たちを引き継いだ。慕容復は、檀道済の戦い方を己の血肉とし、それに加え、鍾会や姜維、司馬昭といった英傑たちの智慧を消化し、独自の戦術へと昇華させていった。


(檀道済殿……。あなたの兵は、私が必ずや育て上げ、この国の盾とします)


慕容復は、そう心に誓った。彼の率いる八万五千の兵のうち、八万を一万ずつの八つの独立部隊に分け、それぞれに独自の指揮権と役割を与えた。これにより、北魏の大軍に対しても、常に複数の戦線で対応できる体制を整えたのだ。


「将軍、なぜ一万ずつの小部隊に分けるのですか? 大軍で一斉に攻めかかった方が、北魏の騎馬軍には有効では?」


ある若き将校が、そう尋ねた。慕容復は、静かにその将校を見つめ、語りかけた。


「北魏の騎馬軍は、その機動力をもって、我らの陣形を崩そうと動くだろう。しかし、八つの独立部隊がそれぞれ臨機応変に対応すれば、彼らは容易に我らの陣を破ることはできぬ。さらに、各部隊が連携し、敵を包囲すれば、北魏の騎馬軍とて、ただの獲物となる」


慕容復の言葉は、将校たちを深く納得させた。彼らは、慕容復の指示のもと、苛烈な訓練を重ねた。弓術、槍術、騎馬、そして歩兵の連携。あらゆる戦術を叩き込まれ、彼らは、単なる兵士から、戦場を支配する「独立部隊」へと成長していった。


慕容復は、残りの五千の精鋭部隊を率いて新野に駐屯した。そこは、北魏との国境にほど近い、戦略上の要衝であった。彼は、しばしば北魏軍との小競り合いを繰り返した。それは、単なる戦いではなく、北魏軍の戦術を試すための、周到な計画に基づくものだった。


北魏の将兵たちは、南朝の将軍が指揮する独立部隊の戦術に、次第に恐怖を抱き始めていた。彼らは、南朝の将軍が、まるで生きている檀道済のようだと囁き合った。そして、ある日、彼らはその将軍の正体を知ることとなる。


「あれは、慕容復……! 慕容恪の時代から生き続けている、あの老将軍ではないか!」


北魏の将軍たちは、その報せに震撼した。


「一体、あの男は幾つなのだ? 劉裕と戦った時ですら、すでに老将だったはずだぞ!」


拓跋燾の信頼厚い将軍、穆寿は、その報せを聞き、深く考え込んだ。


(慕容復……。あの男は、劉裕殿の夢、そして檀道済殿の遺志を継ぐ者。その老練な戦術は、もはや我々の想像を超えている……。安易に攻め込めば、手痛いしっぺ返しを食らうだろう)


穆寿は、拓跋燾に、新野の慕容復には手出し無用だと進言した。しかし、拓跋燾は、その言葉を聞き入れなかった。


「恐れるな、穆寿! 慕容復とて、所詮は老いぼれ。老いたる虎に牙はない! 我が北魏の大軍で、新野を叩き潰してくれよう!」


拓跋燾は、大軍を新野に差し向けた。しかし、慕容復は、その攻撃を巧妙にかわし、北魏軍を疲弊させていく。慕容復の独立部隊は、ゲリラ戦術を駆使し、北魏軍の補給路を断ち、彼らの士気を削いでいった。


「将軍、北魏軍の撤退です!」


ある日、報告を受けた慕容復は、静かに頷いた。


(拓跋燾……。お前は、まだ若すぎる。兵力に頼るだけでは、この乱世は生き抜けぬ)


慕容復は、北魏軍の将兵たちが自身の老齢を訝しんでいることを知ると、再び歴史から姿を消すことを決意した。彼は病死を装い、自身の息子である慕容麒と名を変え、新たな若き将として朝廷で軍職を拝命した。


慕容麒として朝廷に現れた慕容復は、若き将軍として、その才能を遺憾なく発揮した。


「慕容麒殿、あなたほどの若さで、これほどの軍才を持つとは……!」


文帝は、慕容麒の才能に感服した。慕容麒は、文帝に対し、新野の重要性を説き、新野の防衛を強化することを進言した。文帝は、その進言を受け入れ、慕容麒を新野の防衛を任せた。


一方、北魏の宮廷では、新野に現れた若き将軍の噂が広まっていた。


「慕容麒……? 慕容復の孫か。所詮は、親の七光りでイキがっているだけの若造であろう」


北魏の将軍たちは、慕容麒を侮り、軽微な部隊を差し向けた。しかし、彼らの前に現れたのは、老練な慕容復の智慧を継ぐかのような、予測不能な戦術だった。

慕容麒は、父である慕容復が育てた八つの独立部隊を巧みに操り、北魏軍を翻弄した。北魏軍は、どこから攻撃を受けるか分からず、常に恐怖と混乱に陥っていた。


「なぜだ……! あの若造は、まるで魔物だ!」


北魏の将軍たちは、慕容麒の戦術に、かつての慕容復の影を見ていた。そして、ある戦場で、慕容麒は北魏軍を完璧に包囲し、大勝を収めた。北魏軍は、惨敗し、それ以降、容易に新野に手出しができなくなった。


拓跋燾は、その報せを聞き、深く悔しさに唇を噛み締めた。


「くそ……! 慕容復め……! 孫まで、我らを悩ませるとは……!」


拓跋燾の怒りは、慕容麒という若き将軍に向けられたが、その怒りの根源には、かつての宿敵、慕容復への恐怖と畏敬の念があった。


林全こと慕容復は、新野の城壁に立ち、遠く北の空を見つめていた。彼の胸には、劉裕の遺志を継ぎ、この南北朝時代に真の安寧をもたらすという、新たな決意が静かに燃え上がっていた。それは、彼自身の故郷、慕容一族の悲願でもあった。遠い北の空を見上げながら、林全は静かに、しかし力強く、その決意を胸に刻み込むのだった。

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