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南北疾風録  作者: 八月河
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北魏の皇帝、南宋の嘆息

文帝の治世が「元嘉の治」として全盛期を迎える一方、その繁栄の裏では、劉裕の遺志を継ぐべき将軍たちが次々と失われていた。特に、檀道済が文帝によって誅殺されたことは、南朝宋の未来に拭い去ることのできない暗い影を落としていた。


林全こと慕容復は、襄陽の城壁に立ち、遠い建康の空を見つめていた。彼の胸には、檀道済が最後に発した「自分を殺すことは万里の長城を壊すに等しい」という言葉が、重く、そして悲痛な響きを伴って反響していた。


(檀道済殿……。あなたの言葉は、予言となってしまった。文帝殿は、自ら築き上げたこの国の万里の長城を、自らの手で壊してしまったのだ……。劉裕殿、あなたの夢は、この無残な結末を望んでおられたのでしょうか……)


その報せは、北の覇者、北魏の太武帝こと拓跋燾のもとにも届いていた。平城の宮殿で報せを聞いた拓跋燾は、高らかに笑い声を響かせた。その笑いは、勝利を確信した者の、傲慢な響きに満ちていた。


「最早、宋にはひとりも恐るるに足る者はおらぬ! 檀道済という万里の長城を失った宋は、もはや裸同然だ! 劉裕の築いた国も、所詮は烏合の衆にすぎぬ! 今こそ、華北を統一したこの我が北魏が、南を併呑する時だ!」


拓跋燾は、漢人宰相の崔浩と道士の寇謙之の進言を受け入れ、仏教勢力を徹底的に弾圧する「廃仏」の詔を発した。寺院は破壊され、仏像は溶かされ、多くの僧侶が殺害された。彼は、国内の体制を整え、南征の機会を虎視眈々と狙っていた。その眼差しには、天下を統一するという、揺るぎない、狂気にも似た野心が宿っていた。


元嘉二十七年、拓跋燾は百万と称される大軍を率いて南征に出発した。檀道済という万里の長城を失った南朝宋は、北魏軍の勢いを止めることができなかった。


「北魏の大軍が、国境を越えてきた!」


「将軍、檀道済殿がいれば、このようなことは……!」


林全は、襄陽の城壁から、遠く江北の地で起こる惨状を目の当たりにしていた。彼の胸には、檀道済が生きていれば、このような悪夢は起こらなかっただろうと、胸を締め付けられる思いがこみ上げてきた。戦死者は万単位に上り、江北の地は血と火によって赤く染められた。

(この惨状は、文帝殿の過ちだ……! 檀道済殿を殺さなければ、この国の民が、このような苦しみを味わうことはなかったはずだ! 劉裕殿、あなたの築き上げた国は、なぜ、かくも脆いのだ……!)


北魏軍は長江北岸の瓜歩まで進軍したが、長江を渡ることはなく、都の平城に引き返した。この時、文帝は、北方を臨みながら、静かに、そして後悔に満ちたため息をついたという。


「ああ……。今もし檀道済が生きていたら、胡び馬にここまで攻め入られるような事はなかったろうに……。予の過ちだった……」


この言葉は、建康から遠く離れた襄陽の林全のもとにも届いた。彼は、その言葉を聞いて、ただ静かに城壁を掴んだ。遅すぎた後悔の言葉に、林全は怒りとも悲しみともつかない感情を抱いた。


南征で大勝を収めた拓跋燾だが、その晩年は、猜疑心と狂気に蝕まれていった。彼は、宰相の崔浩らによる性急な漢化政策に反発し、国史編纂上の問題を口実にして、崔浩とその一族を処刑する「族誅」に処した。


「漢化など不要! 我らは胡人、我らには我らの道がある!」


拓跋燾の狂気は止まらなかった。元嘉二十八年、彼は宦官の宗愛の讒言によって、愛する皇太子拓跋晃が病死したという報せを受け取る。


(朕の、後継ぎが……! なぜ、この時に……!)


深い悲しみに暮れる拓跋燾。その悲しみが怒りに変わることを恐れた宗愛は、元嘉二十九年、ついに太武帝を殺害した。享年四十五。


その後、宗愛は太武帝の末子である南安王・拓跋余を擁立したが、その横暴さに辟易した南安王によって殺害されそうになり、先手を打って南安王を殺害した。その有様を見た尚書の陸麗らによって、宗愛は誅殺され、亡き皇太子の嫡子である文成帝こと拓跋濬が即位した。


林全は、北魏の宮廷で起こった権力闘争の報せを聞き、深く考え込んでいた。


(拓跋燾は、劉裕殿と同じく、天下を統一した英雄であった。しかし、その晩年は、猜疑心と狂気、そして権力闘争という悲劇に飲み込まれてしまった。劉裕殿が築いた宋という国も、そして拓跋燾が築いた魏という国も、英雄の死と共に、新たな混沌へと向かっている。この南北朝時代は、一体どこへ向かうのだろうか……)


林全の胸には、劉裕の遺志を継ぎ、この南北朝時代に真の安寧をもたらすという、新たな決意が静かに燃え上がっていた。それは、彼自身の故郷、慕容一族の悲願でもあった。遠い北の空を見上げながら、林全は静かに、しかし力強く、その決意を胸に刻み込むのだった。

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