二つの魏、一つの陰謀
六鎮の乱が爾朱栄によって鎮圧された後も、北魏の混乱は収まることを知らなかった。各地で大小の軍閥が勃興し、権力闘争が絶えることはない。まるで、嵐が過ぎ去った後に残った嵐の残骸が、再び大きな渦を巻こうとしているかのようだ。
この混沌とした時代を駆け上がったのは、六鎮出身という同じ境遇を持つ二人の男、懐朔鎮の高歓と武川鎮の宇文泰であった。彼らは、長らく冷遇されてきた鎮民の不満を背負いながら、自らの才覚と武力だけを信じ、乱世を生き抜くことを誓っていた。
その頃、南朝梁での敗北と、盟友であった陳慶之との悲劇的な別離を経験した慕容麟は、素性を隠し、野盗に身をやつしながら流離の旅を続けていた。彼の心には、未だ癒えぬ傷と、新たな道を模索する強い意志が宿っていた。やがて、彼は北魏の首都洛陽にたどり着き、衛兵として皇宮に潜入することに成功する。
彼の目的は、もはや単なる生存ではない。この乱世の核心に触れ、何がこの時代を動かしているのか、何がこの国の民を苦しめているのかを、自らの目で確かめることだった。
(我は、ここで何をすべきか……? ただ息を潜めるだけでは、この時代の濁流に飲まれる。南での敗北は、我に多くのことを教えてくれた。権力とは、武力だけでは手に入らぬ。人の心とは、見せかけの理想だけでは掴めぬ。この中央の腐敗を、この肌で感じ、この目で確かめなければ。それが、予が再び立ち上がるための糧となるのだ)
慕容麟が衛兵として働く中、彼は孝荘帝の苦悩を間近で知ることになる。皇帝は、爾朱栄の圧倒的な武力と権威に怯え、いつ命を奪われるかと夜も眠れぬ日々を送っていた。その顔には、皇帝としての威厳も、一国の主としての気概も欠片もなかった。
ある夜、慕容麟は当直中に、一人で酒を酌み交わす孝荘帝に遭遇する。玉座から離れたその姿は、ただの哀れな男がそこにいるようだった。
「そなた、そなたは誰だ……? いや、よい。どうせ、わしの愚痴を聞いても、何も変わらぬ。わしは、もう誰も信じられぬのだ。この国の皇帝でありながら、爾朱栄という虎の傀儡。毎日、毎日、いつ食われるかと怯えている。わしは……わしは、何のために生きているのだ……?」
孝荘帝は、慕容麟に、胸の内に溜め込んでいた絶望を吐き出し始めた。
「爾朱栄は、わしを皇帝の座に据えた恩人だ。だが、彼は、わしをただの飾りとしか見ておらぬ。わしの目の前で、忠臣を容赦なく斬り捨て、わしの娘を好き勝手に連れ去る。わしは、ただ見ていることしかできない。何一つとして、反抗できないのだ……。そなた、この絶望がわかるか? この無力感が、どれほどわしを蝕んでいるか」
孝荘帝の震える声は、絶望と恐怖に満ちていた。慕容麟は、静かにその言葉に耳を傾ける。南朝梁で朝廷の権力闘争に苦しみ、孤独を味わった己の姿を、この男に重ねていた。
(この男もまた、予と同じ孤独を抱えているのか。権力という檻の中に閉じ込められ、ただ死を待つばかり。しかし、予は違う。予は、まだ戦える。この男の絶望に、予の剣が光を灯せるのならば、それは予の新たな道となる。この国の中央から、乱世の渦を断ち切るために)
慕容麟は、決意を固めて口を開いた。彼の声は、衛兵らしからぬ、静かで確固たる響きを持っていた。
「陛下。この身は、ただの一兵卒。しかし、陛下の悩みを、この目で見て、この耳で聞きました。陛下が、この国の未来を案じる心、予はしかと受け止めました。もしよろしければ、この身が、陛下の力になりましょう。この国の未来を、陛下と共に取り戻すために」
慕容麟の言葉に、孝荘帝は驚きの表情を浮かべ、彼の顔をじっと見つめた。
「そなた……。その目は、ただの一兵卒のものではないな。その言葉に、予は微かな希望を感じた。そなたの正体が何者であろうと、予はそなたを信じよう。だが……爾朱栄は、人間ではない。彼は、虎であり、鬼だ。そなたの命が、いくらあっても足りぬぞ」
「予は、故あって、素性を明かせませぬ。しかし、陛下の志に、予の剣と知略を捧げましょう。爾朱栄を討ち果たし、この北魏に、真の安寧をもたらすために。この命、惜しくはございませぬ」
慕容麟の言葉に、孝荘帝は涙を流した。彼は、慕容麟に爾朱栄暗殺の密命を託した。その手は震えていたが、瞳には久しぶりに希望の光が宿っていた。
爾朱栄暗殺を決行する夜。慕容麟は、単身で爾朱栄の寝所に忍び込んだ。暗闇の中、音もなく進むその姿は、まるで夜に溶け込む影のようだった。だが、爾朱栄はすでに彼の存在に気づいていた。
「ほう……。なかなかやるではないか。この爾朱栄の寝所に、単身で忍び込むとはな。貴様、何者だ? わしの嗅覚を欺き、ここまで近づいた勇気には感服するぞ。だが、愚か者め。ここは貴様の墓場となる。お前のような小僧が、わしを殺せると思っているのか?」
爾朱栄は、豪放な笑みを浮かべながら、慕容麟に問うた。その声には、武人としての自信と、この状況を楽しんでいるかのような余裕が滲み出ていた。
慕容麟は何も答えず、手にした剣で爾朱栄に襲いかかった。二人は宮殿から中庭まで、互角の激戦を繰り広げる。剣と剣が激しくぶつかり合い、夜の闇に火花を散らした。その激しい衝撃に耐えきれず、やがて二人の剣は砕け散った。
「くっ……!やるではないか、小僧! まさか、わしの剣を受け止めるとはな! 良い腕だ! だが、ここで終わりだ! 貴様は、わしの武勇の前に、屈することになる!」
剣を失った二人は、近くにいた禁軍の兵士から槍を奪い、再び激突した。爾朱栄は、虎の如く荒々しい技で慕容麟に襲いかかった。繰り出される一撃は何よりも重く、大地を揺るがすかのようだ。慕容麟は、その圧倒的な力に苦戦を強いられた。
「ハハハハ!どうした? その程度の力で、わしを倒せると思っているのか? 貴様のような若造に、この爾朱栄は倒せぬ! この乱世は、力こそが全てなのだ! 予の力が、この北魏を、そして天下を統一するのだ!」
だが、慕容麟の槍も軽くはなかった。龍の如く繰り出される槍は、爾朱栄の重い一撃をいなし、鋭い突きで彼に対抗した。二人は互いに致命傷を負わせる寸前まで戦い続ける。その戦いは、まるで雷鳴と嵐がぶつかり合うかのようだった。
最後は、慕容麟が逃げるふりをして、爾朱栄の意識をわずかに逸らし、すぐさま槍を繰り出した。
「ぐっ……!」
爾朱栄は、その一撃を急所は外したが、それでも致命傷となった。彼は、膝から崩れ落ち、倒れこみながらも、慕容麟を睨みつけた。
「貴様……! まさか、この爾朱栄を……! 卑怯な手を使うとはな……! だが……その知略……。予の武力だけでは、この乱世は生き抜けぬということか……。貴様は、予とは違う……。予には、ないものを持っている……」
慕容麟は、倒れこむ爾朱栄に近づき、静かに語りかけた。
「我は、黄河の北岸で敗戦を喫した慕容麟の息子、慕容輔臣と申す。貴殿の強さ、しかと見届けた。貴殿は、我の故郷の英雄、陳慶之と肩を並べる武人だった。だが、貴殿のような武人でも、この乱世の濁流には抗えなかったようだ。貴殿は、武力に溺れ、人の心を見失った。それが、貴殿の敗因だ。力だけでは、天下は収まらぬ」
爾朱栄は、慕容麟の言葉に、かすかに笑みを浮かべた。その笑みは、自嘲と、そして若き英雄への賞賛が入り混じっていた。
「そうか……。慕容麟の息子か……。親父に似て、なかなか骨のある男だ。貴様ならば……次代の強者となりうるだろう……。だが……この北の天下は……そう簡単に手に入るものではないぞ……。予の屍の上を、多くの野心が踏み越えていく……。この乱世は、まだまだ終わらぬ……」
そう言い残し、爾朱栄は息絶えた。その巨大な体は、静かに大地に横たわった。
爾朱栄を討ち果たした慕容麟、もとい慕容輔臣は、孝荘帝に報告した。孝荘帝は、爾朱栄の死を喜び、慕容輔臣を軍将に取り立てた。彼は、慕容麟としてではなく、慕容輔臣として、再び北の地にその名を轟かせることになったのだ。
爾朱栄を討ち果たした三日後、慕容輔臣は孝荘帝から正式に召見を受けた。宮殿の玉座の間は、かつての爾朱栄の影に怯える重臣たちで埋まっていた。
「慕容輔臣、前へ」
「はっ!」
孝荘帝の声は震えていたが、以前より確かな響きがあった。
「朕はそなたを禁軍左衛将軍に任じ、洛陽の守りを託す。そなたの武勇と忠義に免じ、特別の権限を与えよう」
重臣たちの間にざわめきが起こった。元徽が進み出て抗議した。
「陛下! 素性も定かでない者に禁軍を任せるのは危険です!」
慕容輔臣は静かに言った。
「陛下、恐れながら、臣の出自が問題なら、この任は辞退いたします」
孝荘帝は玉座の扶手を強く握りしめた。
「朕は決めた! 逆臣を討った者が誰であろうと、朕の恩人は朕の恩人だ!」
(この皇帝、ようやく背骨が立ってきたか)
慕容輔臣は内心ほほえんだ。
禁軍将軍としての慕容輔臣の台頭は、宮廷の旧臣たちの嫉妬を買っていた。就任から十日後、侍中の元徽は鄭儼らと密議を開いていた。
「あの田舎者が毎日のように孝荘帝と密談している。我々の立場が危うい」
鄭儼が毒づいた。
「あの蛮族め、禁軍を掌握して何を企んでいる?」
元徽は陰険に笑った。
「李神軌を通じて面白い情報を得た。宇文泰が密かに慕容輔臣を誘っているらしい」
「ならば...」
鄭儼の目が輝いた。
「謀反の疑いをかければよい」
一方、慕容輔臣は部下たちに訓示していた。
「我々の務めは皇帝と都を守ることだ。私情に流されるな」
(この宮廷は腐敗している。しかし今は耐える時だ)
彼は歯を食いしばった。
武川鎮の本営では、宇文泰が于謹と策を練っていた。
「慕容輔臣が禁軍将軍に就任したか...」
宇文泰は地図を睨んだ。
「孝荘帝の傀儡になるつもりか?」
于謹が進言した。
「李神軌を通じて接触を図りましょう。彼は我らの縁者です」
宇文泰は懐から手紙を取り出した。
「『武川の雄は北の乱を鎮めんとす。将軍の才、天下のために用いられよ』と伝えよ」
その夜、慕容輔臣は巡察中に不審な人物から密書を受け取った。
(宇文泰からの誘いか...)
彼は密書を燭火で焼き捨てた。
(今は動かぬ時期だ。全てを見極めねば)
懐朔鎮では、宇文泰の動きを察知した高歓が慕容紹宗を呼んでいた。
「聞いたか? 宇文泰が慕容輔臣に接触したらしい」
慕容紹宗は複雑な表情を浮かべた。
「彼は孤高の狼です。簡単には懐柔できませぬ」
高歓は熱を込めて語った。
「ならばこう伝えよ。『北の民は塗炭の苦しみにある。共に乱世を終わらせ、新たな世を築かん』と」
数日後、慕容紹宗は洛陽で密かに慕容輔臣と会った。
「失礼、私は慕容紹宗と申す。失礼ながら貴殿は……」
「そうか、貴殿は太原王の御子孫か」
「如何にも」
「私の祖先は林姓を名乗っていたが、太原王から国姓を賜り以来名乗らせ頂いてる」
「では、貴殿はもしや?林暁将軍の末裔か?」
「左様、訳あって南に逃れ百年ぶりに私が北に戻ってきた」
「そうでござったか…」
「今日はそれを話しに来た訳でもござるまい?中に入りましょうか」
「では…」
「高歓殿は真に天下を憂う人物だ。そなたのような人材を切に望んでいる」
慕容輔臣は窓の外の洛陽の街並みを見つめた。
「高歓か...」
(あの男の言葉は魅力的だ。しかし...)
彼の脳裏に陳慶之の最期の姿が浮かんだ。
(理想だけでは乱世は生き抜けぬ)
夜更け、慕容輔臣は一人城壁の上に立っていた。月光が洛陽の街を照らす。
「将軍、夜露が冷たいですよ」
振り返ると、若い配下の兵が立っていた。
「お前はなぜ兵になった?」
「家族が爾朱栄の兵に殺され...将軍が仇を討ってくださったからです」
慕容輔臣の胸に熱いものがこみ上げた。
(これが予の戦う理由だ...弱き者を守るため)
彼は東の空を見つめた。高歓のいる方角だ。
(いつか決断の時が来る。それまでに、真に信じられる道を見定めねば)
爾朱栄の死は、北魏の権力構造を崩壊させた。爾朱氏の諸将が各地で割拠し、権力闘争はさらに激化する。この混沌とした状況の中で、高歓と宇文泰という二人の英雄が台頭する。彼らは、互いに牽制し合いながら、この乱世の覇権を狙っていた。
宇文泰は、爾朱栄の死後、爾朱氏の勢力が衰退していくのを静観していた。彼は、自らの武川鎮軍閥を率い、虎視眈々と好機を窺っていた。彼の側近である賀抜岳との会話が、彼の思惑を物語っていた。
「爾朱栄が死んだか。孝荘帝も、なかなかやるではないか。だが、彼もまた、新たな傀儡を立てるための道具にすぎぬ。この北の天下は、予がいただく。高歓め……。予よりも先に動くか」
宇文泰は、遠く離れた高歓の動向に神経を尖らせていた。
「宇文殿、高歓が力をつけているとのこと。いかがなされますか? 我々も、早急に手を打つべきでは?」
賀抜岳の問いに、宇文泰は冷静に答える。
「賀抜殿。慌てることはありません。高歓は、爾朱氏という巨木を倒すために、多くの力を集めました。だが、その巨木を倒した後は、その集めた力もまた、彼の敵となる。今は、高歓が疲弊するのを待つのみ。我々は、来るべき時に備え、力を蓄えましょう。虎が獲物を仕留めるのを待つように、静かにその時を待ちます」
一方、高歓は、爾朱栄のもとで葛栄を討ち、反乱者を次々と下し、その武名を轟かせていた。彼は晋州刺史に任じられ、爾朱氏の軍閥の一員として、力を蓄えていった。五三〇年に爾朱栄が孝荘帝に殺害された後、爾朱氏の諸将が各地で割拠する中、高歓は爾朱兆と協力して歩藩を撃破し、兄弟の契りを交わした。
「兆よ。我らは兄弟だ。この北の天下を、共に手に入れようではないか。だが、そのためには、爾朱氏の他の将軍たちを、まとめ上げなければならぬ。お前の力が必要だ。お前が、爾朱氏の顔として、皆を束ねてくれ」
高歓は、爾朱兆に兄弟の契りを交わすことで、彼を懐柔しようとした。爾朱兆は、高歓の言葉に騙され、彼に協力する。しかし、高歓の真の目的は、爾朱氏の力を利用して、自らの勢力を拡大することにあった。
(爾朱兆よ。お前は、爾朱氏の武力しか知らぬ愚か者だ。お前は、予の足場にすぎぬ。俺は、お前たち爾朱氏の力を利用し、この北の天下を奪ってみせる。爾朱栄の二の舞にはなるものか。力だけでは、天下は収まらぬことを、俺は知っている)
この頃、慕容輔臣という若き将軍の存在は、北魏の各派閥の間で知られるようになっていた。爾朱栄を討ち果たしたという武勇と、その卓越した知略は、多くの将軍たちの耳に届いていた。
「慕容輔臣か……。爾朱栄を討ち果たしたという、あの若造か。是非、わが軍に迎え入れたいものだ。彼を配下とすれば、天下統一も夢ではない。彼の故郷の安寧をちらつかせ、懐柔してみようか……。いや、高価な金品と地位で籠絡してみよう。彼ほどの男ならば、どのような手を使っても手に入れる価値がある」
各派閥は、慕容輔臣を自らの勢力に引き入れようと、様々な策を講じた。しかし、慕容輔臣は、いずれの誘いも、丁寧に断りを入れた。
(我は、誰の駒にもならない。南朝梁での失敗は、予にそれを教えてくれた。予は、予自身の道を歩む。この乱世を、予自身の力で生き抜いてみせる。予の忠誠を捧げるべきは、まだ現れていない。真の英雄は、力だけではなく、理想と、そして民を思う心を持たなければならない)
慕容輔臣の心には、誰にも縛られない、孤高の決意が宿っていた。
しかし、そんな慕容輔臣の孤高の決意を打ち砕く出来事が起こる。
ある日、爾朱兆は、慕容輔臣に剣を突きつけ、自らの配下に加わるよう強要した。
「慕容輔臣! お前のような男が、なぜ予の配下にならぬ! 予の配下となれば、この北の天下を、お前と分け与えてやろう! 予の力と、お前の才があれば、天下に敵なしだぞ!」
爾朱兆は、傲慢な笑みを浮かべながら、慕容輔臣を脅迫した。その顔には、力で全てを支配できると信じている愚かさが滲み出ていた。
しかし、慕容輔臣は、その剣をいとも簡単に捌き、爾朱兆を拳と蹴りで制圧した。
「我は、貴殿のような愚か者の配下にはならぬ。貴殿のような男に、この北の天下を任せるわけにはいかないのだ。貴殿の武勇は認めるが、その器は、この乱世の覇者には足りぬ。貴殿の心には、民を思う心が欠けている。貴殿に忠誠を誓うことは、この国の民を裏切ることになる」
慕容輔臣は、爾朱兆を人質として捕らえ、その場から逃亡した。
この一連の出来事を、高歓は見逃さなかった。彼は、すぐさま精鋭の兵を送り、慕容輔臣と爾朱兆を拘束し、自分の前に引き立たせた。
「ハハハハ! まさか、この高歓が、爾朱兆と慕容輔臣を一度に手に入れることになろうとはな! 運命とは、面白いものだ! 爾朱兆よ、貴様は愚かだ。なぜ、この慕容輔臣という宝を、力ずくで手に入れようとした? 力だけでは、人は従わぬ。それが、貴様と、そして爾朱栄の敗因なのだ」
高歓は、大声で笑い、全軍を洛陽に入れた。そして、彼は、左右に孫騰、任祥、高隆之、慕容紹宗、斛律光、侯景、高傲曹、封隆之、堯雄、彭楽、竇泰、司馬子如、段韶ら、彼が率いる豪華な将軍たちを並べて、慕容輔臣と爾朱兆と対面した。
諸将は、黙々も慕容輔臣と爾朱兆を見つめていた。その視線は、慕容輔臣の武勇と、爾朱兆の愚かさを、鋭く見抜いていた。
高歓は、慕容輔臣をしばらく牢獄に入れ、その才能と忠誠心を見極めようとした。数日後、爾朱兆の軍を吸収して初めて、高歓は慕容輔臣を召喚した。
「慕容輔臣よ。お前の才覚と武勇は、この高歓が認める。予の配下となり、この北の天下を、共に築いてはくれぬか? 予は、爾朱栄の二の舞にはならぬ。力だけでは、この乱世は終わらぬことを、予は知っている。お前の知略と剣が、予には必要なのだ。お前の目は、予と同じ、この乱世を終わらせるという強い意志を宿している。予と共に、この乱世を終わらせ、新たな時代を築こうではないか」
高歓は、慕容輔臣に、真摯な眼差しで語りかけた。慕容輔臣は、高歓の言葉に、心を揺さぶられた。
(この男……。爾朱栄とは違う。彼は、この北の民を、真の意味で救おうとしている。彼の理想は、予の理想と重なる……。力と知略、そして何よりも、この乱世を終わらせるという強い意志。予が忠誠を誓うべきは、この男しかいない。彼ならば、予の力を、この乱世のために使ってくれる)
慕容輔臣は、高歓に絆され、その配下に収まった。
この報せを聞いた宇文泰らは、悔しがった。
「まさか、あの慕容輔臣が、高歓の配下になるとは……! 高歓め、また一つ、厄介な力を手に入れたか……! 予は、この北の天下を、高歓に渡すわけにはいかぬ! 必ずや、奴を打ち倒してみせる!」
宇文泰は、高歓に対する対抗心をさらに燃やし、来るべき東魏との戦いに備えるのだった。
北魏は、高歓の東魏と宇文泰の西魏に分裂し、中華の北には、東と西という二つの魏が並び立つことになった。
その頃、北の宮廷で軍将となっていた慕容輔臣、すなわち慕容麟は、この北魏の分裂の報せを聞き、深い感慨を覚えていた。
(劉裕が築き上げた宋が滅び、北魏もまた分裂したか……。まるで、この乱世が、永遠に続くことを象徴しているかのようだ)
彼の心は、複雑な感情で揺れ動いていた。かつて、自身が生き延びるために奔走した日々、そして陳慶之との共闘と、その後の悲劇的な敗北。すべてが、この北の分裂という大きな流れの中に、飲み込まれていくように感じられた。
(宇文泰と高歓……。彼らが、この北の覇権を巡って争うのか。どちらが勝つにせよ、この戦乱は、いつまで続くのだろうか……。そして、予は、この二つの魏と、どのように向き合うべきか……)
慕容輔臣は、東魏に属することになった自らの運命を受け入れながらも、この二つの魏の動向を、静かに見つめていた。彼の心には、いつか再び、北の地で雌雄を決する日が来ることを予感していた。
高歓が慕容輔臣を配下に加えたことで、その幕僚たちの間に様々な思惑が渦巻いていた。
孫騰は、高歓の執務室で密談を持った。
「高歓殿、慕容輔臣を配下に加えたことは、大変な強みです。しかし、あの男は、爾朱栄を討ったほどの武勇と知略の持ち主。いつか、高歓殿の地位を脅かす存在になるかもしれません」
高歓は、孫騰の言葉に深く頷いた。
「孫騰よ、お前の心配は分かる。だが、予は、あの男を単なる配下として見ていない。彼は、この乱世を終わらせるための同志だ。彼の才能を抑え込むのではなく、存分に発揮させてやることが、我が東魏のためになる」
一方、侯景は、陰で慕容輔臣を警戒していた。
(高歓殿は、あの慕容輔臣を過大評価している。いずれ、あの男の野心が表面化するだろう。その時こそ、私の出番だ。高歓殿を守るためなら、どんな手段も厭わない)
慕容紹宗は、同じ慕容氏の血を引く者として、複雑な思いを抱いていた。
(慕容輔臣……。もしや、あの男は、我が慕容一族の復興を目指しているのか? それとも、他に謀でもしているのか? いずれにせよ、彼の動向から目が離せない)
西魏の宇文泰は、高歓の勢力拡大を危惧し、独自の対策を講じ始めていた。
「高歓め、慕容輔臣を手に入れたことで、さらに勢いづいている。我らも、対抗できる武将を探さねばならぬ」
賀抜岳が進言した。
「宇文殿、南梁から亡命してきた将軍、楊忠という男がおります。武勇に優れ、知略にも長けた人物です」
宇文泰は、興味深そうに頷いた。
「楊忠か……。会ってみよう。もし彼が真に優れた武将なら、我が西魏の柱として迎え入れよう」
こうして、東西両魏は、それぞれ有力な武将を抱え込み、激しい勢力争いを繰り広げることになるのだった。
東魏の将軍として新たな出発を切った慕容輔臣は、自らの宿営で静かに考えを巡らせていた。
(高歓殿は、確かに非凡な人物だ。しかし、彼一人でこの乱世を終わらせることはできるのか? 予は、彼を支えつつも、自らの道を見失ってはならない。この乱世の民を救うためには、時には高歓殿とも対立する選択をせねばならぬ時が来るかもしれぬ)
彼は、懐から古びた短剣を取り出し、じっと見つめた。それは、かつて陳慶之から贈られた形見だった。
(陳慶之殿……。予は今、北の地で新たな戦いを始めようとしている。貴殿が南で目指した理想を、今度は予が北で実現してみせる)
夜明けの光が窓から差し込み、慕容輔臣の決意を新たにさせるのだった。東西に分裂した北魏、そして激化する勢力争い。英雄たちの思惑が交錯する中、新たなる戦乱の時代が幕を開けようとしていた。




