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南北疾風録  作者: 八月河
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麒麟の帰還、武帝の転変

南朝斉が滅び、蕭衍によって南朝梁が建国されてもなお、慕容麒は関中の地で燕恪軍を率い、中枢に戻ることを頑なに拒んでいた。彼の心には、狂人に忠誠を誓うことへの嫌悪と、己の生存のために唯一無二の戦力である燕恪軍を守り抜くという固い決意が、複雑に絡み合っていた。


その間にも、北魏との小競り合いは絶えず、慕容麒は韋孝寛といった歴史に名を残す智将たちと幾度も干戈を交えた。


(韋孝寛か……。やはり、北魏には、才ある将が絶えない。この男の用兵は、まさしく智将と呼ぶにふさわしい。予の知る限り、彼は、後世に名を残す名将だ。北魏が、これほどの将を輩出している限り、予は、いつかこの地を追われることになる……)


慕容麒は、北魏の名将たちと戦ううちに、燕恪軍が十万から三万へと減っていくのを、苦渋の思いで見ていた。一人一人の兵士の死は、彼の心に重くのしかかった。彼は、未来の歴史の知識を持ちながらも、目の前の現実を変えることができない無力さに、深く憂鬱になっていた。


(予は、ただの未来を知る者でしかないのか……。彼らが命を賭けて戦っているというのに、予は、この中華の未来を知っているだけで、何も変えられぬのか……。いや、変えなければならない。この世界で生き残るためにも、この燕恪軍という唯一の居場所を守るためにも……)


蕭衍は、慕容麒の非礼を受け入れつつも、その行いを案じていた。彼は、自らが蕭宝巻のような暴君ではないことを慕容麒に伝え、朝廷に戻ってくるように、何度も書簡を送った。


「慕容麒よ。そなたが蕭宝巻に反発し、中枢を離れたことは、朕も理解しておる。しかし、朕は蕭宝巻とは違う。朕は、そなたの才を必要としておる。この国の安寧のため、建康に戻ってきてはくれまいか……」


蕭衍からの熱心な要請に、慕容麒はついに言い訳できなくなった。彼は、燕恪軍を率いて関中を発ち、建康へと向かった。


建康に到着した慕容麒は、蕭衍の御前に進み出た。


「臣、麒、ただいま参上致しました」


「うむ、卿を待っておったぞ」


「はっ!」


蕭衍は、慕容麒を中枢に迎え入れ、今後の辺境の守備について、細々と語り合った。


「北魏は、もはや侮れぬ相手。彼らは、孝文帝の漢化政策によって、ますます強大になっておる。そなたの力なくしては、この国の安寧は保てぬ……」


慕容麒は、北魏の精強さ、そして韋孝寛のような名将が数多く存在することを、率直に蕭衍に伝えた。蕭衍は、慕容麒の話を聞き、深くため息をついた。


「北魏には、韋孝寛のような智将がいるというのか……。予が、この国を安寧に導くには、まだ多くの難関が待ち受けておるようだな……」


蕭衍は、慕容麒という万里の長城を得て、南朝梁の安寧を保つことを確信した。慕容麒の存在は、南朝梁の国力増強に、大きな意味を持っていた。


蕭衍の治世は、前半と後半で、全く異なる様相を呈していた。天監年間の前半、彼は沈約や范雲といった名族出身者を宰相に就け、諸般にわたって倹約を奨励し、官制の整備、梁律の頒布、大学の設置、人材の登用、租税の軽減といった実績を挙げた。また、土断法を実施し、流民対策でも有効的な施策を実施するなど、名君と呼ぶにふさわしい治世であった。

慕容麒は、蕭衍の善政を目の当たりにし、心から安堵していた。


(蕭衍殿が、この国を安定させてくれる。彼が名君として君臨してくれるのなら、予はただ、将軍として彼に仕えればよい。この生活が、いつまでも続いてくれることを願う……)


しかし、普通元年に改元して以降、彼の政治は次第に放縦さが目立つようになり、それとは反比例して、彼が帰依する仏教教団に対しては寛容さが目立ち始めた。蕭衍自身も仏教への関心を強め、ついには大通元年以降、自らが建立した同泰寺で「捨身」の名目で莫大な財物を施与した。その結果、南朝梁の財政は逼迫し、民衆に対する苛斂誅求が再現されてしまう。


また、朱异に代表される寒門出身者を重用したことで、官界の綱紀も紊乱の様相を呈してきた。

慕容麒は、蕭衍の変貌に、深い憂慮を抱いていた。


(蕭衍殿……。あなたは、なぜ、このようなことに……。仏教に帰依し、国政を疎かにするとは……。これでは、北魏に付け入る隙を与えてしまう……。歴史の知識が正しければ、この後、侯景の乱が起きる。その原因は、この仏教への帰依と、寒門出身者の重用にある……。予は、どうすれば、この歴史の流れを変えられるのだ……?)


慕容麒は、蕭衍に幾度となく諫言を試みた。しかし、彼の言葉は、蕭衍の耳には届かなかった。


「慕容麒よ。そなたは、武の道に長けておるが、仏の道には疎い。予は、この国の安寧を、仏の力によってもたらそうとしておるのだ。そなたは、黙って予に従っておればよい」


蕭衍の仏教信仰は表面的なものではなく、数々の仏典に対する注釈書を著し、その生活は仏教の戒律に従ったものであり、菜食を堅持したため、「皇帝菩薩」とも称された。このことは、蕭衍が当時の国際社会において、仏教信仰でも高名であったことを示していた。


慕容麒は、南朝梁の栄光と転落を静かに見つめながら、自らの生存と、燕恪軍という居場所を守るために、北魏との戦いに備えていた。彼の心には、この時代に生きる者としての使命と、未来を知る者としての無力感が、複雑に交錯していた。


天監四年、蕭衍が北伐を決めると、慕容麒は、その総大将に蕭宏が任じられたことを知った。


(蕭宏殿が、都督南北兗北徐青冀豫司霍八州北討諸軍事か……。彼の軍才は、未知数だが、蕭衍殿が選んだ男だ。きっと、才ある将なのだろう……)


慕容麒は、蕭宏の軍才を静かに見守っていた。梁の北伐軍が洛口に到着すると、蕭宏は前軍で梁城を落とし、北魏の将の晁清を斬った。しかし、北伐が長期戦となると、撤退の勅命が出された。


(なぜだ……。なぜ、撤退するのだ……。蕭宏殿は、北魏軍を打ち破り、北伐を成功させる好機であったはず……)


慕容麒は、蕭宏の決断に深い疑念を抱いた。天監六年夏、侍中のまま驃騎将軍・開府儀同三司の位を受けた。その年のうちに司徒に転じ、太子太傅を兼ねた。天監八年夏、侍中のまま使持節・都督揚南徐二州諸軍事・司空・揚州刺史となった。天監十一年冬、開府儀同三司・侍中のまま、驃騎大将軍に左遷された。まもなく侍中、驃騎大将軍のまま、使持節、都督揚南徐二州諸軍事、揚州刺史に任じられた。天監十二年、使持節、侍中、都督、揚州刺史、驃騎大将軍のまま司空に転じた。


慕容麒は、蕭宏の官職が、まるでジェットコースターのように上下するのを見て、深くため息をついた。


(蕭宏殿……。あなたは、いったい何者なのだ……。才ある将か、それとも、ただの政敵に翻弄される男なのか……。この国の未来は、このような男たちの手に委ねられてよいのだろうか……)


慕容麒は、南朝梁の栄光と転落を静かに見つめながら、自らの生存と、燕恪軍という居場所を守るために、北魏との戦いに備えていた。

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