メユメ
「何、寝てんだよ~」
無神経な声に起こされた俺はゆっくりと顔を上げた。教室はオレンジ色に染まっていた、周囲は元ガキ大将と俺のみしか居ない。
バカ大将を軽く睨みつけると、「また、キレた!あはは」と馬鹿にしながら逃げた。もう中学生だっていうのに、ガキかよ。
そういえば、いつから寝ていたんだっけ……。
思い出せない。帰りの会で先生が何を話していたか覚えていないから、恐らく5時限目が終わってから寝てしまったんだろう。
あーあ、明日みんなに茶化されちゃうな――。
◇
廊下を気だるく歩く。寝起きが悪いせいで、夢の中に居るような浮遊感に襲われていた。
ああ、怠い……。夜更かしをしてインターネットなんてやっていた訳じゃないのに、かなり眠い……。
俺の家では俺が中学生になったのにも関わらず、就寝時間は夜の9時だ。そんなに、早く寝ているのに眠い……。
3階から2階へと階段を下りていると、階段の踊り場でオカルト研究会の部員が窓から空を見ていた。
ufo――いや、今はuapだっけ?
多分、それを探しているんだろう。科学部である俺には関係無いな、話した事もないし。
声をかけずに2階へ向かおうとした、その時。
担任の先生に遭遇した。何か悩んでいるのか、顔を伏せながら階段を上っていた。だが、俺が居る事に気付くと俺を見つめてきた。
観念するしかないか……、優しい先生だし体育系の先生みたいに激しく怒らないだろう。取り敢えず、帰りの会で寝ていた事を謝ろう。
そう思っていると、先生は怒らなかった。代わりにあるお願いをしてきた。
「あのね、お願いが有るのだけれども。霧島さんにプリントを届けてくれないかい?」
「霧島さんに」
霧島さん。
下の名前までは知らないけど、確か同じクラスだった様な……。でも、
「学級委員長には頼めないんですか?」
「頼むのを忘れてしまったんだ。だからと言って、家に届けない訳にはいかないからね」
「はぁ……」
なんで、俺に――とは思った。だが、寝ていた件も有ったから断る事は出来なかった。それに今の時間帯で家に帰ったところで、俺は家の鍵を持っていないから入れない。暫くは、親の帰宅を待たなくてはいけない。
「分かりました、行きます。でも、霧島さんの住所は知らなくて……」
「ほら、桐島さんなら第一団地4号棟だよ。4階の何号室だったかな――」
すると、後ろでuapを探していたオカルト研究会の部員が急に話かけて来た。
「切島さんの住所なら知ってるよ」
「本当かい?良かったら一緒に行ってくれないかい?君は隣のクラスだけど……」
「いえいえ、丁度団地に用が有ったので!」
彼が知ってるなら、彼に頼めば良いじゃないか。
そう思ったが、そんな事を言える勇気は無かった。唯々、黙って彼と先生の話を見届けるしか出来なかった。
「じゃあ、頼んだよ君達」
「さあ、キリシマさんの家に向かおうよ」
「う、うん。よろしく」
俺と彼は、申し訳なさそうにしている先生を後にした。下駄箱に着くと、玄関口から綺麗なオレンジ色に染まっている空が暗くなっていく様に見えた。
パンザマストが流れるまでには帰ろう――。
◇
団地に着くまでの間、俺と彼は黙々と歩いていた。話す話題が特に無いし、隣のクラスとは接点が無いからだ。団地が見えてくると、彼は唐突に話を振ってきた。
「彼女って、確か不登校だよね。なんで、学校に来なくなったんだろうね」
霧島さんって、女性だったっけ……?
そもそも、俺が中学に通ってから霧島さんがどんな顔してるか知らない気がする……。そもそも、なんで、来てないのかも知らない……。なんか、理由を聞いた気がするけど--。
俺が必死に思い出そうとしてるのを見て、彼は察したのか苦笑いを浮かべた。
「知らないんだ?そうだよね、長らくキリシマさん来てないから。霧嶋さんの通っていた小学校の同級生も居ないみたいみたいだし」
「そうなんだ。因みに、霧島さんって下の名前はなんて言うんだっけ?」
「桐嶋さんのプリント見ればいいじゃないか」
「あ、ああ、そうか。下の名前--って言うんだ」
俺が霧島さんのプリントを見ながら歩いている内に、団地に辿り着いた。
ここの団地はかなり広い。この団地は似た建物が10棟以上も有る。広場で遊びに行く際は迷わないけど、初めて行く友達の家を探す際は迷ってしまう程に。夕方だからか、人気は少なかった。
「霧嶋さんは4号棟だから、広場から行った方が近いね」
「じゃあ、広場へ行こう」
◇
広場を横断し、左に曲がると四号棟が見えてきた。ロビーに入り、四号棟のポストを見る。しかし、霧島という苗字は何処にも存在しない。
すると、彼は404号室のポストを指した。そこに書かれていた字は、濡れたのか字がにじんでいた。
「ここだよ。きりしまさんの部屋は」
「そうなんだ、字がにじんでいて気付かなかったよ」
「君がKIRISHIMAさんの部屋が何処か分かった事だし、僕は5階に行くよ。それじゃあ、また学校で」
「うん、また学校で」と俺が言う前に、彼はそそくさとエレベーターに乗ってしまった。表示灯は1Fから5F へと表示が変わった。
せめて俺も乗せてくれよ、と思いながら俺は階段をゆっくりと上り始めた。
4階へ進むに連れて、夕焼けが暗くなっていく。こんなに暗くなってきているのにパンザマストはまだ聞こえない。
4階へ着くと、誰かが住んでいるとは思えないくらいには暗く静かだった。長い廊下の奥は明かりが一つも無い。
気味が悪いっ……。早く霧島さんにプリント渡して帰ろうっ……。
手前から、ゆっくりと歩く。
401
エレベーターの灯りだけが唯一の救いだった。でも、この先からは暗くなっていく――。生活音が聞こえても良い筈なのに、静寂だ。
402
歩く度に暗くなる。幼稚園児じゃないのに暗闇が怖い。奥から何かが現れそうで――。
静寂過ぎて、俺の鼓動が聞こえ始める。小刻みに鳴る音が、気分をより悪くさせてくる……。
403
3を見た途端に、身体が少し楽になる。
鼓動が雑音へと変わり始めたが、後もう少し進めば終わる。そんな安心感だけが頼りだった。
崖の縁を歩く様な足取りで、霧島さんの部屋を目指す。
404
ようやく辿り着いた。大した距離では無かった筈なのに、長い時間歩いていた様に感じた。
でも、もう終わりだ。早くプリントを霧島さんに渡して帰ろう。
俺がインターフォンを鳴らそうと、人差し指を近づけようとした――その時、
扉はいきなり開かれた。
◇
「何?」
404号から出てきたのは、おかっぱの女性だ。髪を灰色に染めていて、メガネを掛けていた。服はよれよれで、だらしない。
見たところ、同い年に見える。彼女が霧島さんなのだろうか。
それにしても……、中学生で髪を染めるとか、不良じゃないか――。
不良な同級生に嫌悪感を抱いていると、彼女は微かに苛立ち始めていた。
「だから、何の用?」
「あ、あ、先生からプリントを届ける様に--」
俺が言い終える前に、霧島さんは俺の手からプリントを奪った。気怠そうな表情を浮かべながら、プリントの真ん中を見つめている。
数秒経つと、その怠そうな視線を俺に向けてきた。
「――何で来たの?」
「いや、だから、プリントを――」
「もういいわよ」
何が気に食わなかったのか、嫌そうな顔をしていた。俺が何をしたっていうんだ。
彼女は溜め息をすると、プリントをくしゃくしゃにして、ポケットに入れた。これから外出なのか、扉を閉めて鍵をかける。
「もう、帰りなさい。寄り道せずに」
彼女は振り向かずに言うと、そそくさと階段へ向かった。
何なんだよ。
まるで、年上みたいな口調をして。
――そんな事を言う勇気は俺には無い。そこに有った小石を軽く蹴っ飛ばして、階段に向かう事にした。
404、
403、
402、
401--。
進むに連れて、苛立ちが募っていく。階段の入口に飛んだ小石を、再び404号室の扉へと蹴っ飛ばした。
なんか、いつもよりイライラする……。何なんだろうと思っていた最中、ある考えが頭に過る。
5階に居るオカルト研究会の彼に会って話をしよう。
彼は彼女を良く知ってるみたいだし、彼女について色々聞いてみよう。
話を聞けば彼女についての印象も変わるだろうし、と――。
階段を再び上って、5階に辿り着く
--筈だった。
辿り着いた場所は、屋上へと続く扉だった。確かに彼はエレベーターで5階に行った筈なのに……。屋上に行ったならば、表示灯にはRと表示される筈……。
不審に思っていたけど、それはすぐに解消された。彼が屋上の扉を前にして興奮していた。扉には窓が有る。窓には、空が見えていた。
何か、uapでも見えたのだろうか?彼に話かけてみた。
「どうしたの?」
「ここから、面白いのが見えるんだよ!!君も見てみなって!!」
俺は彼の右手で背中を押されながら、扉の前に立った。そして、窓を覗く--。
そこには、巨大な「目」が有った。
いや、目と言うには神秘過ぎる――。
強膜であろう部分は黒で染まっていて、そこに点々と輝く物が有った。まるで、そこだけが星空の様に。
角膜であろう部分は満月に似た何かが有った。満月と違う所で言えば、影の模様が兎では無いぐらいだ。
それにしても――、
「何なの……?これ。まるで、星空に浮かぶ満月みたいじゃないか……?」
「へぇ、君にはそう見えたんだ。ほら、もっと見てよ」
俺は言われるがまま、空に有った目を見つめた。
これは一体何なのだろう?
こんな現象は、自然界には無い筈……。
徐々に空が赤くなっていく。それでも、俺は目を合わせ続けた。
不思議と、角膜が明るくなってきた。瞬きもせずに見ていたせいか、目が痛い。
両目を軽く押さえながら、俺はその場に座り込んだ。
「大丈夫かい?」
「まあ、ね。少し目が痛くなって……。夢中になり過ぎちゃったよ--」
心配してくれた彼に応えようと、見上げた。
だが--。
◇
彼は忽然と居なくなっていた。先程まで、隣に居た筈なのに。俺が困惑していると、ある異変に気が付いた。
「何なんだこれ……」
思わず、呟いてしまう程に空が赤く見えた。先程から見えていた目は相変わらず存在はしているけど、それ以外は血で染められた様に赤い。
何が起きてるか、分からない。
いや、きっと残像でそう見えるだけだ!
そうに違いないっ!
だって、こんなこと科学的ではないんだからっ……!
俺は混乱しながら階段を駆け下りる。赤く見える空間を、唯々下りていく。
きっと、大丈夫。きっと、大丈夫。
そう言い聞かせながら、下りる。
しかし、ロビーに着いても
辺りは赤く見えていた。
◇
ロビーを出た先に広がっていたのは、いつもの町並みが赤く染まっている異様な光景だった。
染まっているといってもペンキで塗られている訳ではなく、空から降り注ぐ真っ赤な光によって染まっている様だった。
俺は、目がおかしくなったのではないか……?
もしくは、脳が……。
混乱してる最中、空を見上げる。すると、ある事に気づいた。
あの目は赤く染まっていない。むしろ、先程よりも色鮮やかに輝いていた。
訳が分からない。
一旦、家に帰ろう……。
それで、夕食まで寝ていよう。起きた時に、この光景が広がっていたなら、病院で診て貰おう--。
◇
おかしい。
先程の階段の上り下りで疲れた身体を癒す為、ゆっくりと歩いていた。いつもの町並みを歩いてる筈だった
歩いていれば誰かと会う筈なのに、
誰にも会わない。
学校の周囲を走っているバレー部の部員達、下校中の生徒、学校の近くにあるスナックのおばさん、薬局のお兄さん、駄菓子屋のおばさん。
何もかも消されたかの様に、居なくなっている。
それだけではない。信号機の点灯も無いし、車も無い。他の住宅から見える灯りも無い。
俺は、別の世界に移動してしまったのか……?
いや、そんな筈無い。科学的じゃない。
そう言い聞かせていても、この光景は変わらない。
いつもの十字路が見えてくる。
ここを左に曲がって真っ直ぐ行けば、家だ。とにかく、家に行こう。
十字路が目前に近づいた――その時。
◇
地面から複数の黒いモヤが現れた。
黒いモヤから、何かの手が伸びてくる。徐々に腕や頭が見えてきた。
体は痩せ細っていて、色は肉が焦げた様に暗い。頭は肉が少なく目が無い様に見える。そして、体臭なのか鉄の臭いがする。
黒いモヤから全身が出てくると、ふらつきながら立ち尽くしていた。
何なんだよ、これっ……!?
ゾンビ--いや、違う。腐っていない。
妖怪――いや、それも違う。そんな、伝承的なものじゃない。
簡単に言い表せない、化け物に俺は足がすくみ動けなかった。
そして、状況が更に悪化した。
化け物達は急に俺を見つめると、ゆっくりと俺に向かってきた。
どうしよう、どうしよう。逃げなきゃ。
足を動かさなきゃ。このままじゃ、何されるか分からない。
嫌だ、怖いよ。誰か、助けて。
後ろに下がろうとしても、数センチしか動かない。
化け物達はその倍、動く。
徐々に近づいてくる化け物に、俺はなす術が無い。
一番近かった化け物が目の前に来た――。
◇
急に後ろから、誰かが右手で目隠ししてきた。そして、耳元で女性の声がした。
「ねぇ、早く帰りなさいって言ったよね?」
霧島さんだ。
でも、そんな悠長な事をしてる場合じゃないっ……!
「き、霧島さんっ!逃げなきゃっ……!この――」
「ああ、大丈夫。コイツらは目を合わさなければ良いから」
霧島さんは左手で、俺の頭を触れた。そして、優しく押す。
俺の視線が地面に向く様にすると、目隠していた右手を外した。
そこには、棒立ちしている化け物の足が見える。化け物は歩くのを止めていた様だ。霧島さんは何故、知っているのだろう……?
「このまま、下を向きながら家に行きなさい。大丈夫だから。でも、急いでね?時間無いから」
「霧島さん、君は一体……」
「さあ、ね」
霧島さんはそう言うと、足音を後ろの方へ鳴らした。そして、足音が徐々に小さくなる。団地に戻ったのかもしれない……。
後で礼を言うとして、今は家を目指さないと――。
下を向きながら、慎重に歩く。震えていた足を収めようと、深呼吸しながらゆっくりと慣らしていく。
化け物にぶつからない様に十字路を左に曲がると、軽く顔を見上げた。視線の先には化け物達は居ない。
だけど、後ろの化け物達はどうだろう……?
軽く後ろを振り向く。
化け物達はこちらを見ずに棒立ちしたままでいた。ふらつきながら、何もせずに。
……良かった。俺は一安心して、道なりに歩いた。
相変わらず赤く染まった道が続いていた。
そして、その先には俺の家が見えていた。
家まで、後もう少しだ……。
先ほどまでゆっくりだった歩調を早めた。
◇
身体に違和感を覚えた。
何故か、浮遊感を感じていた。そして、髪が静電気で逆立つ様に浮き始める。まるで、何かによって吸い込まれる様な……。
空を見上げると、そこには異様なものが有った――。
あの目が、巨大化していた。
地上に近づいてるわけではない、でも先程から吸い込まれる感覚が強くなってきてる気がした。
『急いでね?時間ないから』
霧島さんの先程言っていた事が頭に過ると、全身に嫌な汗が溢れ出す。
俺は必死に家まで走る事にした。徐々に、徐々に家までの距離が縮まっていく。
後、もう少し――そう思っていた。
◇
「なんだこれっ!?」
重力に身体が逆らい始めた。まるで、月面を歩く宇宙飛行士みたいに。
走れども、走れども、距離が縮まりにくくなってきた。
空を見上げると、あの目は更に巨大になっていた。空を覆い尽くす様に。
後、20歩。
足が空回りしてくる。微かに地面から離れ始めていた。
後、15歩。
どうにか、距離を縮めようと歩幅を広げる。やけくそだった。
後、9歩。
こんなにも近いのに、遠く感じる。それでも、動かさなきゃ。死にたくない……!
後、4歩。
玄関のドアまでもう少しだ……!
後、3歩。
身体が完全に浮き始める。必死にドアノブに手を伸ばす。
後、2歩。
両足が空に向かって吸い込まれそうになる。ドアノブを握りしめてドアを開いた。
後、1歩。
柱に掴みながら、俺は勢い良く玄関に――
◇
――暑い。
ゆっくりと目を覚ますと、そこはいつもの寝室だった。全身が汗でずぶ濡れになっていた。
俺、帰ってこれたのか……?
ゆっくりと、身体を起き上がる。周囲はいつもの光景が広がっていた。
赤一色ではない、いつもの日常。
ああ、良かった。俺は生きて帰ってこれたんだ……。
取り敢えず、明日学校に行ったら霧島さんに――。
――何か、おかしい。
何故か違和感を覚えた。部屋はいつも通りの筈だ。
それでも、何か違う。
俺はふらつきながら部屋を出ようと立ち上がった。そして、ふと鏡を見た時に違和感の正体に気が付いた。
そうだ……、俺は中学生じゃない。
いや、もう中学生ではない。
今年で、29歳になる社会人だ……。
そうだよ、そうだ……。
俺の学校にオカルトの研究会なんて無い。あんな担任の先生や同級生も知らない。
それに、中学生の頃は不登校の同級生なんて一人も居なかった。
霧島さんという同級生は
存在しないのだから――。
◇
2025年
6月6日23時36分
あれから数年経った。
それでも尚、あの夢を鮮明に覚えている。あの恐怖も、霧島さんについても。
この話をここに投稿しようかどうかをずっと迷っていた。
ホラーにしては奇怪過ぎるし、体験談にしても奇怪過ぎる。また、夢の話として無かった事にするのは淡白が過ぎる。
そして、今日。
俺はこの話を投稿しよう、と意を決した。
有名な怪談で、「夢の中で死ぬと現実で死んでしまう」や「この話を聞くと同じ夢を見る」なんてものが有る。
それなら、この話を投稿してもバチは当たらないだろう――、と。
夢というのは不思議なもので、(執筆時では)完全には解明出来ていないらしい。
人間には、到底理解が出来ない現象がそこには有る。
だからこそ、夢から始まる怪談が誕生するのかもしれない。もしかしたら、今日も何処かで産声が上がっているのかもしれない。そして、
あなたが今日見る夢かもしれない。
終