6話 ふれるたびに、遠くなる
季節がゆっくり移ろうように、
僕たちの距離も、自然に少しずつ近づいていった。
気づけば、初めて言葉を交わした日から、もう数ヶ月が過ぎていた。
図書館のあの窓際の席で、彼と並んで過ごす時間は、
いまではすっかり、日常の一部になっている。
最初は「黎明さん」なんて呼ぶことさえ少し緊張していたのに、
気がつけば、自然と「黎明」と呼べるようになっていた。
彼も、少しだけ照れくさそうに笑いながら、受け入れてくれていた気がする。
ここ数ヶ月のあいだで、少しずつ――
僕は彼のことを知った。
たとえば、静かなときほど何かを考えている顔になること。
真剣に本を読んでいるとき、眉間にしわが寄ること。
ほんの少し疲れている日や照れる時は、首の後ろに手を回す仕草が増えること。
時折ふっと笑うあの表情に、ほんの少しだけ寂しさが混ざっていること。
言葉で説明できるほどはっきりしたものじゃないけれど、
その空気に、触れれば触れるほど――
どこか、胸の奥が静かにざわつくようになっていた。
けれど、
たった一度だけ――
ほんの一瞬だけ、
いつもの彼とは違う表情を見たことがある。
あの日の黎明は、
まるで、何か深い闇を背負っているみたいだった。
窓から差し込む光の中で、
ふと、遠くを見つめるような目をしていた。
普段は柔らかいその視線が、
どこにも焦点を結ばないまま、ただ空を漂っていた。
まるで、
いまにも、どこかへ消えてしまいそうな――
そんな儚い気配を、確かに纏っていた。
声をかけようとしたけれど、
その空気を壊すのが怖くて、
僕はただ、隣で静かに座っていることしかできなかった。
何も聞けなかった。
何も言えなかった。
あのとき、
胸の奥に落ちたざらつきは、
今も、ふとした瞬間に疼く。
ただ僕は変わらず彼の隣に座り続けた。
それでも、日々は静かに流れていた。
何事もなかったかのように。
今日も、ふたりで並んで、本棚を眺めていた。
いつもの席ではなく、
それぞれ、静かに手に取る本を探している。
ふと、棚の向こうで、黎明の横顔がちらりと見えた。
指先で背表紙をなぞる仕草。
何でもない光景なのに、
胸の奥が少しだけ、ふっと温かくなった。
ふと、手に取りたい本があったけれど、
僕の背では、ほんの少しだけ届かなかった。
背伸びして指を伸ばしていると、
背後から、すっと腕が伸びて、
軽々と本を取られる。
「……ちょっと、僕だって取れたのに。」
思わずむくれると、
黎明は小さく笑って、
ひょいっと僕の頭に手を置いた。
ぽんぽんと、子供をあやすみたいに軽く叩く。
「はいはい、よくがんばりました。」
からかうような声に、
僕はむっとしたふりをして、
でも、なんだか嬉しくて、
顔を逸らした。
悔しいから、
つい、肘で彼のわき腹を小さく突いた。
本気じゃない。
ちょっとだけ、仕返しがしたかっただけだった。
「……いてぇ。」
黎明は小さな声で、
わざとらしく眉をひそめた。
その顔がなんだかおかしくて、
思わず、ふっと小さく笑ってしまう。
「……なんで笑うんだよ。」
困ったように、でもどこか甘えた声で、
黎明がぽつりと言った。
僕は顔を逸らしたまま、
小さく肩を震わせた。
手渡された本を胸に抱きながら、
ふと思う。
──こんな時間が、
ずっと続けばいいのに。
そんな願いが、
胸の奥に、静かに沈んでいった。