エピローグ
数年が経った。
今、僕は中国で教師をしている。
授業が終わったあと、ふと寄り道することがある。
その屋上からは、街の奥にある、懐かしい図書館の屋根が見える。
何度も通ったあの場所。
今はもう、誰の姿も確かめられないけれど――
結局、あの日以来、
彼の姿を、一度も見ることはなかった。
時々、風の向こうに、彼の背中が浮かぶ気がする。
毎回、少しだけ泣いてしまう。
「……最近、何かあったの?」
声をかけてきたのは、知らない青年だった。
まっすぐで、どこか懐かしい目をしていた。
自然と、なぜか話してしまった。
理由なんてわからない。
ただそうしたくなっただけだった。
「……ちょっと、昔のことを思い出して。自分って無様だなぁって感じただけだよ。」
僕が苦笑いで返すと、青年は手を首の後ろに回し、少しだけ首を傾げて言った。
「昔のこと、忘れられないのって悪いことじゃないよ。
無様でも、悲しめるなら――それって、ちゃんと人間らしく生きてる証拠だと思う。」
「……って、昔、誰かに言われたことがあってさ」
青年はそう言って、少しだけ照れたように笑った。
僕ははっとして、思わず青年の顔を見つめた。
その声の調子でも、言葉の選び方でもない。
ただ――それは、黎明がかつて自分に言った言葉だった。
「それに……本当に大切なことは、最後まで口にできないものだしさ。」
その言葉は、誰かに言われたわけじゃないのに、
なぜか、胸の奥にまっすぐ刺さった。
……きっと、あの人も、同じように思っていたんじゃないか。
そう思った瞬間、静かに胸が疼いた。
名前は知らない。
でも、確かにそこに“誰か”がいた。
風が、頰を撫でた。
僕は、そっと目を閉じて、
心の中で、静かに一つの名前を呼んだ。
―黎明。
それだけで、今日は少しだけ、あたたかかった。




