10話 「静寂の裏側で」
雨に打たれながら、空を見上げていた。
濡れた髪が額に張りつく。
視界の奥、街灯の光さえ、滲んで見える。
暗がりの路地裏で、俺はただ、立ちすくしていた。
怒りとも、迷いともつかない感情が胸の奥をせめぎ合っていた。
感情の名前なんて、もうどうでもよかった。
ただ、どこにも行けなかった。
ああ、
あの時からだろうか。
何かが崩れ、
迷う日が増えたのは。
あの電話が来てからだ。
元々、自分で調べあげていた調査結果だった。
頭ではとっくに理解していた。
けれど、認めたくなくて、
知人に、もう一度だけ調査を依頼した。
“もしかしたら”を、ほんの少しだけ、
信じたかった。
けれど――
それは、あの日、
“現実”として突きつけられた。
何もかもが、音を立てて崩れた気がした。
何も聞こえなかった。
ただ、頭の奥にだけ、あの声が残っていた。
「……10年前、郊外の一軒家。標的は二名」
雨の音と、
遠くのクラクションが混ざり合う。
「処理の実行者、“H・Y”――間違いない」
胸の奥が、じわりと熱を持ち始めた。
それでも、表情は動かない。
「金の流れも確認した。“蒼”の名が残ってる」
「……お前が受け取った分も、そこに入ってるかもな」
携帯を握る感触が、
まだ掌に残っている気がした。
「……それで、どうする?」
あのときは、何も答えられなかった。
いや、
本当は、答えなんて最初から決まっていた。
ただ、
目を背けていただけだった。
現実に引き戻されたように、
雨の音が急に耳に刺さった。
俺は携帯を取り出し、
短縮番号を押す。
「……明日の夜、23時。南側の倉庫街。C-4区画の奥」
相手の返答は聞かずに、通話を切った。
そこで終わらせる。
それだけのために、
もう迷う理由はなかった。
倉庫街に向かう途中、
雨はようやく弱まりはじめていた。
それでも、濡れたアスファルトには、
鈍く街灯の光がにじんでいる。
指定したのは、
人気の少ない南の区画。
監視カメラの死角が多く、
建物の配置が入り組んでいる場所だ。
ここなら、音も、人目も遮れる。
あの人間を仕留めるには、悪くない。
足を止める。
視線を巡らせ、
退路と死角を確認する。
侵入経路は三つ。
確実に仕留めるには、東の壁際で待つのがいい。
音が反響しにくく、地面も濡れていない。
動きやすさも問題ない。
一つひとつ、冷静に確認しながら、
身体のどこかが、じわじわと熱を持っていく。
これでいい。
これで、全部終わらせる。
誰にも見られずに。
誰にも知られずに。
そして、何も残さない。




