9話「静かに、取り残されて」
乾いた靴音が、夜の路地に小さく響いていた。
重たい空気のなか、
無感情に、指示された役割をこなす。
手には、冷えた金属の重み。
懐に隠したそれが、
この街の掟だとでも言うように、無言で肩を押してきた。
ターゲットの姿を、目の端で捉える。
──ただ追って、
ただ仕留めるだけ。
何も考えず、何も感じず、
名前も、顔も、意思さえも捨てて、
ただ命令に従うだけの”蒼”として。
──そうして、生きてきた。
違う。
本当は。
こんな世界で、
何かを壊しながら生き延びたかったわけじゃない。
あいつを──
俺の両親を殺した手を、
この手で終わらせるために、
俺は、ここにいる。
──
そんな夜に。
ふと、
あの光景を、思い出してしまう。
──
あれは、
どれくらい前だっただろう。
ふと顔を上げたとき、
視線が一瞬、止まった。
ふわりと揺れる黒髪。
前髪の隙間から覗く、
幼いけれど、真剣な目。
理由なんてなかった。
ただ──
なぜか、目が離せなかった。
──
何度も、同じ時間に、
同じ場所で、
気づけば、探してしまっていた。
──
あのときも。
君は、小さな背を伸ばして、
高い棚に手を伸ばしていた。
届かないとわかっていても、
諦めずに。
その仕草が、
どこか痛々しくて。
──
気づけば、立ち上がって声をかけていた。
ただ、それだけだったのに──。
しばらく、顔を見かけることができなかったけれど。
また、顔を上げたとき。
そこに、君がいた。
そして、悩んだ末、君に書いた俺の名前。
胸の奥が、
静かに、ざわめいた。
──
俺は、
もう、逃げられなかった。
──
乾いた空気が、
肌を刺す。
現実に引き戻される。
誰かの足音。
短く交わされる、無機質な指示。
冷えた銃の重みが、
また、掌に蘇る。
ここは、
そんな甘い記憶を持ち込んではいけない場所だ。
知っている。
わかっている。
──それでも。
あの光景だけは、
胸の奥から、どうしても消えなかった。
静かな光。
ふと顔を上げたときに目にした、
あの細い背中。
もう、手を伸ばすことはできないと知っていても。
俺は、
たぶん──
あの場所に、あの時間に、
まだ、取り残されたままなんだ。




