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プロローグ
あの人と過ごした時間は、きっと幻だったんじゃないかと思う。
怖いほど静かで、穏やかで、なのにいつも死の匂いがしていた。
気づかないふりをしていた。
本当は、初めて目が合わせたときからわかっていたかもしれない。
「この人は、どこにもいけない人なんだ。」
引き止められなかった後悔と、それでも隣にいたかった自分。
何もできなかった、無様な人間だ。
言葉にできなかったことは、たくさんある。
けれど、一生忘れられない。
あの人が本をめくる指先が、今でも目に焼きついている。
静かな午後だった。
何も起こらないまま、時間だけが静かに流れていた。
陽の光が揺れて、埃がゆっくりと舞っていた。
ページをめくる音が、かすかに響いていた。
あのとき、
何ひとつ変わらないはずの日々の中で――
心だけが、そっと揺れていた。