1 夢との出会い
始めて烈の演技を見た時に静香は心底、彼を羨んだ。
ただのステップなのに、ただターンしただけなのに。
確かに彼の周りに音楽が見えたのだ。
周囲には喧騒しか無かった。
曲など全く存在しなかったはずなのに。
「結局」静香は小さく呟いた。
「どれだけ努力をしても勉強を重ねても、才能には勝てないと言う事?」
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物心つく前から静香にとって、フィギュアスケートを見るのは日課同然だった。
彼女の母である郁恵が、フィギュアスケート大ファンだからだ。
郁恵は「大きな画面で見たいのよね」とYouTubeをテレビに映せるようにしている。
お陰でいつも静香は、リビングにあるテレビを好きなように見られない。
小学生になり、友人と見たテレビの話をしたいのに常に母にテレビを乗っ取られていた。
仕事に行っている母と、帰る時間が同じ位にだった。
だからテレビを利用したがるタイミングも、同じ時間帯にかぶりやすいのだ。
ご機嫌にソファに座る母の隣に彼女も座り「見たい番組があるんだけど」と相変わらず口にする羽目になる。
「エキシビションって競技の演技に比べて自由度っていうかエンタメがあって」
郁恵が言った様に、YouTubeから流れる演技でエンタメ性については何となくわかった。
彼女の影響で、様々な演目を見ていたからだ。
「これやっと見つけたの。検索してもなかなか出て来なくて。
だから、このエキシビションだけは見せて」
テレビに流すためにスマホを操作しながら、郁恵は嬉々とした声で娘に話した。
「彼とってもイケメンだから私、大好き」
白人男性の選手を眺め、郁恵は黄色い声を上げる。
いつもの流れで、静香は今回も一緒に見ることにした。
「仕方がないフィギュア以外なら、良い母親だから」
静香は小さく愚痴る。
「見て見て」
良い母親は一瞬にして少女に戻りテレビに、釘付けになった。
「本当、王子様みたい」
「仮面の男という映画があるでしょう。あの話がモチーフなの」
「そんな映画知らない」
2人は素早く会話を終わらせ、演技を待つ。
白い氷の上に颯爽と出てきた、金髪のイケメン男性。
選手は深紅の衣装を身にまとい、銀盤中央へ向かう。
衣装の所々にある橙がかかった黄色のフリンジが風に舞った。
氷上中央に立ち、演技を始める為にポーズをとる。
右手で仮面作り顔を覆う。
左手は自分を抱くように右腰に触れている。
俯き気味だとは言え、立っているだけで愁いと沈黙が彼を支配した。
流れてきた音楽と共に両手を外し、ゆっくりと滑り出す。
氷上に波を描き滑り、焦らすように足を変えゆるゆると走る。
選手の彼は、既に物語の主人公だ。
両手はもがき苦しむかの様に、互い違いに上下させた。
ロープが首に巻き付いたような演出から、全てが一転。
じりじりとするような緩慢な動きだったのが、急に勢いづき激しくなったのだ。
戦うため空中に作り出した剣で切り付け、突き刺し、薙ぎ払う。
高まる興奮と緊張。
高揚が最高潮に達すると、至高の四回転ジャンプ。
勝ちを収めた主人公は勝利のスパイラルを演じる。
片足を腰の高さまで上げ、両手を広げ上半身を下げ氷上を縦断する演技。
主人公の動き一つ一つが、リンクも物語も支配すると告げる。
興奮を少しずつ冷ますべく、片足を軸に回転を掛ける。
堅固だった主人公の、優雅なスピン。
柔らかさをも手に入れた彼は、内面を解き放つために自らの仮面を「バッ」と脱ぎ捨てた。
主人公の動きがと曲が止まる。選手に戻った瞬間だ。
会場がピタリと時を止めた。
「きゃあああああっ」
フライング気味に郁恵が歓声を上げると、画面の中の全てが揺れている。
静香はソファからずり落ちるような感覚に陥った。
「綺麗とか上品とか、そんな言葉じゃ全然足りない。
こんなに胸を高めるものが存在するなんて」
感動というより、はしゃぎ楽しんでいた郁恵は静香を訝しむ。
「これすっごく有名な演目なんだけど、あんまりだった?」
「私、スケートやりたい」
晴天の霹靂を絵に描いたら、きっと郁恵の表情になるんだろう。
「あ、えっと、お母さんアイスクリーム食べるけど、静香も食べよ」
分かりやすく動揺し、この場にそぐわないことを言いだしたのが驚いている証拠だ。
郁恵は娘にフィギュアスケートを習わせたくて見ていた訳じゃない。
ただ好きだったから、見ていただけ。
巻き込まれた娘は結果、母を巻き込むことになる。