63.マコが消える日。
「朝比奈、ちょっといいか?」
学校が終わった夕方、帰宅しようとしていた真琴を橘カエデが呼び止めた。
夕日を背に受けて赤いボブカットが燃えるように光るカエデ。以前は怖かった苛めっ子の彼女。だが今日の彼女は全く別の意味で何か恐怖を感じた。
「どうしたの?」
そう尋ねる真琴に、カエデが静かに校庭にあるブランコを指差し言う。
「ちょっとあそこに行かないか」
「え、ええ……」
大切な話がある。すぐに真琴は直感した。
ギーイ、ギギーイ……
少し古びた令華高の校庭にあるブランコ。
ふたりがそれに乗り少し揺らすと、どこか錆びた鉄が擦れるような音が辺りに響き始める。グランドではスポーツ系のクラブをする高校生達の大きな掛け声がグランドに響いている。
カエデがブランコを揺らし赤い髪を靡かせながら言う。
「三上さんに告白されたんだろ?」
(え?)
真琴はブランコに座ったまま横のカエデを見つめた。
朝の駅での告白劇。
学校で噂にならなかったので誰にも見られていないと安心していたが、カエデには見られていたのだろうか。
「どうして知ってるの?」
「朝、見ちゃってさ……」
そう話すカエデの顔は悲しげである。ブランコを強く漕ぎ、カエデが言う。
「何で逃げたんだ?」
「……」
無言になる真琴。
できれば逃げたくなかった。ちゃんと受け止めたかった。でもそれはできなかった。カエデが言う。
「逃げるということは、それが朝比奈の答えなのか?」
「私の、答え……」
自分の中では答えなんてとっくに出ている。
でも龍之介や周りから見れば逃げてばかりいる自分はそれを否定したと思われても仕方がない。
「ちゃんと向き合えよ。好きなんだろ、三上さんのこと」
「……」
真琴が固まる。
幾ら隠しても隠し切れない。同じ好きな人だからこそ伝わる感覚。真琴が少しブランコを漕ぎ言う。
「……うん、好き」
カエデがぐっと歯に力を入れる。
「だったらちゃんと答えろよ。何であんなことする!!」
真琴が真剣な顔で答える。
「怖い、怖かったの……」
怖い、恥ずかしい。
それは真琴の偽らざる気持ち。根暗で陰キャだった彼女があんなに明るい人と一緒になる事がやはり未だに怖い。カエデがブランコを止め、目を赤くして言う。
「それじゃあさ、それじゃあさ、三上さんが可哀想じゃん……」
真琴はあのカエデが涙する姿を見て、ようやく自分がしてきたことの本当の意味に気付いた。
「ユリがさ、朝まで慰めてあげる。龍之介君を」
後ろで手を組み、そう少し首を斜めにして笑顔でユリが言う。
夕日に当たる金色の髪。風に吹かれて時々揺れる美しい髪に龍之介が見惚れる。
「ユリちゃん、……え?」
ユリは戸惑う龍之介に思い切り抱き着いた。
「ユリちゃん!?」
焦る龍之介にユリが言う。
「ユリは龍之介君のものだよ。私が慰めてあげる。ユリがずっと傍にいてあげる」
甘い香り。柔らかい肌。服を着ていても感じる大きな胸。
完全に凹んで枯れかかっていた龍之介に、それは間違いなく優しい恵みの雨となって癒しを与えた。
「ユリちゃん……」
『天使様』に二度も逃げられ、失意のどん底にあった龍之介が一瞬、ユリに靡く。
「龍之介君……」
ユリが龍之介のわずかな変化に気付き強く抱きしめる。
(もうこのままユリちゃんと……)
そう考えた龍之介の目に、遠くを歩くひとりの人物の姿が映った。
「天使様……」
それは夕日を背にこちらに歩いて来るまさに『おさげの天使様』。龍之介はユリの腕を解き、一直線に彼女の元へと走り出す。
「え、ちょっと!? 龍之介君!!??」
せっかくいい雰囲気だったユリが突然の行動に驚く。
(天使様、天使様っ!!!)
会ってどうする。会ってまた逃げられたら傷つくだけだろ。
それでも龍之介はまっすぐ走った。『天使様』に会えるのならもう他のことは考えない。
「え?」
そんな彼の目に、その彼の姿が映った。
「マ、マコぉ!?」
朝比奈真琴。龍之介の男の同居人である。
突然走って来た龍之介に真琴が驚いて言う。
「ど、どうしたんですか? 龍之介さん??」
確かによく見ると帽子被ってるし、髪もおさげではない。夕日が後ろにあって見辛かったとは言え『天使様』とマコを間違えるとは。龍之介が苦笑いしながら言う。
「いや、何でもないよ。おかえり、マコ」
「あ、はい。ただいま……」
驚く真琴だが、彼の遥か後ろにひとり立つ金髪の美少女を見て声を出す。
「ユリさん……」
その声にはっと気付いた龍之介が「ちょっとごめん」と言ってユリの方へと走り出す。
「龍之介君……」
そうユリは可愛らしく名前を呼んだが、もう先程までの彼とは別人になっていることに気付いた。龍之介が言う。
「ごめんね、ユリちゃん」
「何が?」
分かっていて聞く辛さ。
「俺、やっぱり『天使様』が好きなんだ。ユリちゃんのことも大事だけど、その、ごめん……」
「謝らないでよ……」
ユリが涙目になって言う。
「ごめん、……あ」
その言葉を口にした龍之介が、再び謝ってしまったことに気付き手を口に当てる。ユリがくるっと背を向けて言う。
「帰るわ。じゃあね」
「ユリちゃん……」
龍之介は金色の髪を揺らしながらエントランスに入って行くユリの背中をじっと見つめた。
「龍之介さん、今のユリさんでしょ? ここに住んでいたの?」
強力なライバルであるユリ。
その彼女がまさか同じマンションに住んでいたとは驚きである。
「うん、そうみたい」
龍之介もそれに苦笑いして答える。ようやく少し落ち着いた真琴が頬をぷっと膨らませて龍之介に言う。
「それよりどうしてユリさんと会っていたんですか? それって浮気じゃないですか?」
静かだが圧のある言い方。龍之介は真琴を見つつ本当に彼が『天使様』のような気がして来た。
「浮気って俺、また振られたわけじゃん。誰に対しての浮気?」
「そ、それはそうですけど……」
感情が先走って行ってしまった言葉。その矛盾を突かれ真琴が口籠る。
「そんなことよりもさ、聞いてくれよ。俺、マコがさ、さっき『天使様』に見えちゃってさ……」
少し笑いながらそう話す龍之介を、マコは下を向いて黙って聞く。
(私、私……)
様々な人の言葉や顔が真琴の中で現れては消えて行く。そして最後に記憶の中の龍之介が現れて、自分に言う。
『好きだ! 俺と付き合ってくれ!!』
真琴が顔を上げて笑顔で龍之介に言う。
「さ、部屋に行きましょう」
「そうだな」
ひとつの覚悟をした真琴。
龍之介と一緒にエントランスへと向かった。
「龍之介さん、今日は何が食べたいですか?」
部屋に入りキッチンへやって来た真琴が龍之介に尋ねる。少し考えた龍之介が答える。
「そうだな、カレーとか食べたいかな」
「分かりました。カレーですね。作ります。だからひとつお願いがあるんですがいいですか?」
笑顔の真琴。龍之介が尋ねる。
「お願い? いいよ、言ってみて」
龍之介はそう言いながらも、さっき真琴と『天使様』を見間違えたことを恥ずかしく思っていた。幻覚が見えるまで落ち込んでいたのかと自嘲気味にそれを思い出す。真琴が言う。
「前に、『天使様』の為に買って来ていた貝のイヤリング、覚えています?」
貝のイヤリング。
それは以前剛とユリのよりを戻そうとして、レンカノ達と一緒に行った水族館で買った天使様へのプレゼント。半分忘れていた龍之介がそれが自分部屋の引き出しに入れたままになっていたことを思い出す。
「イヤリング? 覚えてるけど、それがどうかした?」
真琴がにこっと笑って言う。
「あれを持ってきてくれませんか」
「イヤリングを?」
「はい」
龍之介は怪訝な顔をして「分かった」と言い自室へ戻る。
(自分に素直になる)
(きちんと応える)
(私は、龍之介さんが好き……)
ひとり待つ真琴が今ある感情と向き合い、自分に言い聞かせる。
「逃げちゃダメ。怖いけど、恥ずかしいけど、私が真琴になる」
ふうと大きく息を吐くと、手にイヤリングを持った龍之介が戻って来た。
「はい、これ。どうするの、こんなの?」
龍之介が貝のイヤリングを真琴に手渡すと、彼女はその箱を躊躇わずに開け中のイヤリングを取り出す。驚いた龍之介が言う。
「ちょ、ちょっと、マコ! 何やって……」
そこまで行った龍之介が固まる。
真琴はイヤリングを丁寧に両耳につけ、そして被っていた帽子をゆっくりと外した。
「え、え……」
はらりと落ちる長い髪。
真琴はかけていたメガネもゆっくり外し、テーブルの上に置く。
「マ、マコ……」
驚く龍之介をよそに真琴は慣れた手つきで長い黒髪をおさげに纏めていく。
「うそ、そんな……」
そして目の前に現れた『おさげの天使様』を前に、龍之介が力なく座り込む。真琴は髪を纏め終えると笑顔になって言った。
「こんにちは。龍之介さん」
それはまさしく龍之介が恋焦がれた『天使様』の笑顔であった。




