59.龍之介の決意
「う~ん、疲れたなぁ……」
「そ、そうですね……」
夕方まで掛かった各種検査。
問診やCT、脳波検査など、特に異常を感じていない龍之介にはただ疲れるだけの時間であった。部屋に戻って来た龍之介が待ってくれていた真琴に言う。
「まあ、でもこうしてちゃんと検査してくれるのは有り難いな」
「そ、そうですね……」
「明日は警察にも行かなきゃいけないし。ああ、面倒……」
「そ、そうですね……」
真琴はひとり動揺していた。
よくよく考えてみれば同じマンションで暮らしていても寝室は別だし、基本トイレやお風呂もお互い干渉しない。だが、この病院の部屋ではそんなことはできず、龍之介から少し離れた場所にあるベッドで自分も眠らなければならない。様子がおかしい真琴に気付いた龍之介が声をかける。
「なあ、マコ。どうかしたのか?」
「え? いや、何でもありません……」
「腹減ったのか?」
「いや、そう言う訳じゃ……」
龍之介が真琴に頭を下げて言う。
「マコ、ごめんな」
「え? な、何が!?」
突然の謝罪に戸惑う真琴。龍之介が頭を上げて言う。
「いや、この間さ。夕飯作って待っててくれたんだろ? 悪いなって思ってさ……」
(あっ)
すっかり忘れていた。
龍之介が事故に遭う前の出来事。真琴が嫉妬して怒った件。
「い、いや、私の方こそ、ごめんなさい。ぶったりして……」
非はないであろう龍之介を平手打ちした真琴が謝罪する。
「まあ、それだけマコが怒っていたんだろ? あれからちゃんとご飯は食べたから」
「あ、はい。ありがとうございます……」
そうじゃない。怒っていたのはユリと一緒に居たから。
そんな理不尽なことを言える訳もなく、真琴が下を向いて黙り込む。
コンコン……
その時ドアをノックする音が聞こえた。
「はい?」
龍之介が返事をする。
「お食事をお持ちしました」
「あ、どうぞ」
龍之介の声を聞いて担当職員がカートに乗せた夕飯を持ってくる。
「うわっ、美味そっ!!!」
テーブルに置かれた夕食。それはまるでどこかの懐石料理のような豪華なものであった。職員が部屋を出るのを待ってから龍之介が言う。
「すげえな、ここの飯」
「そうですね。美味しそう」
入院もしていないのに真琴の分もあるのはキヨの計らいだろうか。この豪華な食事ももしかしたら彼女の指示かもしれない。
「いただきます!!」
ふたりは久し振りに一緒の夕飯を食べた。
「マコ、先に風呂入るな」
「あ、はい。どうぞ……」
真琴はまた下を向いて赤くなって答える。龍之介がまたその場で服を脱ごうとするが、真琴がそれを見て慌てて言う。
「ちょ、ちょっと! 服はお風呂場で脱いでください!!」
「え、いいじゃん。ここで」
「ダメです!!!」
「ちぇっ、面倒だな……」
真琴に言われた龍之介が渋々脱ぎかけの服を持って脱衣所へと向かう。
「ふうーーーっ」
ひとりになった真琴が大きく息を吐く。
(私、今日はお風呂やめておこうかな。い、一日ぐらい平気よね……)
そう言って自分の腕を撫でてみる真琴。思ったより汗で汚れている。涼しくなってきたとはいえまだ昼間は汗ばむし、それに龍之介との会話で何度も変な冷や汗をかいている。
「マコー」
「は、はい!?」
突然開かれる脱衣所のドア。龍之介が顔を出して言う。
「一緒に入るか? 男同士、たまには汗を流そうぜ!!」
真琴が首を左右に振りながら答える。
「いいです、結構です!! 要りません!!!」
「あ、そうか……」
龍之介は少し寂しそうな顔でドアを閉める。
(どうしよう、どうしよう!! お風呂は入りたいけど、すっごく恥ずかしいし!!)
真剣に悩む真琴。
しかしその数分後。
「はあ……、入っちゃった……」
龍之介が出てすぐにお風呂に入ってしまった。毎日の入浴を欠かしたことのない真琴。病院だろうがお風呂があるなら入ってしまう。
「気持ちいいわ……、たまには別の浴槽もいいわね……」
最近ずっと巻いたままのさらしを思い出し、凹凸の少ない胸に手をやる。
(いくらまな板の私でも、これだけ毎日巻いていたらさすがに息が詰まるし、汗をかくわ……)
「……」
真琴の意識が部屋の外にいる龍之介に向けられる。
この薄いガラスドアと扉一枚の向こうに龍之介がいる。今自分はハダカ。なんだか不思議な状況に不思議と興奮する。
一方の龍之介はお風呂を終え、ベッドにひとり横になって天井を見つめていた。
(よく大きな怪我もなく無事だったな……)
ひとつ間違えば大怪我、一生意識が戻らなくなっていたかもしれない。生きていることが当たり前だった龍之介にとって、今こうして息をしていることがとても尊いことに感じる。
(俺はまだ死ねない。なぜって『おさげの天使様』に告白して幸せなキャンパスライフを送るんだ!!)
予想もしていなかった今回の事故。それが龍之介の心に火をつけた。
「あ、あの……」
脱衣所から顔を出した真琴が部屋にいる龍之介に声をかける。龍之介はベッドに横になり天井を見ながら答える。
「お、出て来たか。マコ」
「う、うん……」
髪は洗わなかった。体を洗えただけで十分である。
「さあ、もう寝るぞ。消灯の時間だ」
「そ、そうだね。寝る準備をするね」
真琴は少し安心しながら部屋の明かりを暗くし、寝る準備を始める。
「あれ?」
風呂から出てきた真琴を見て龍之介が声をかける。
「マコ、お前。寝る時も帽子被って寝るのか??」
(えっ)
寝ない。帽子を被って寝ることはしない。
「あ、うん。帽子が好きで……」
苦しい言い訳。それでもここで髪を出して寝る訳にはいかない。
「ふーん、まあいいけど……」
龍之介は再び天井を見つめる。
「龍之介さん、おやすみなさい……」
「ああ、おやすみ」
寝る支度ができた真琴が龍之介に挨拶をしてからベッドに入る。
(緊張する……)
同じ空間。同じ部屋。
男装中だから襲われる心配はないけど、男の人と一緒の部屋で寝るなんて生まれて初めてのこと。
(私がもし女だと知ったら、こっちに来るのかな……)
真琴は少し離れた場所で静かにしている龍之介のベッドを横目で見つめる。
「なあ、マコ」
「え、あ、はい!」
(呼ばれた、呼ばれた、龍之介さんに呼ばれたーーっ!!)
真琴の中で極度の緊張と得体の知れぬ期待が入り混じる。龍之介が言う。
「俺、決めたんだ」
(決めた!? 何を、一体何を決めたの!!)
真琴の脳がその答えを巡って高速回転し始める。手には汗、足先は冷たくなり龍之介の次の言葉を待つ。
「俺さ、『天使様』に告白しようと思うんだ」
「えっ」
思ってもいなかったセリフ。黙る真琴に龍之介が続ける。
「今回こんな事故に遭ってさ、人間っていつ死んじゃっても不思議じゃないって思ったんだ。この当たり前の毎日がずっと続くとは限らない。だったら一日一日を悔いのないように生きなきゃってね」
「龍之介さん……」
真琴が龍之介のベッドを見つめる。
「だから今回の件が終わってまたマンションへ戻ったら、俺、『天使様』に告白するよ」
黙る真琴に龍之介が言う。
「あ、これ『天使様』には内緒な。お前にも迷惑かけられないし、先に知られて構えられても大変だし」
(いや、もう本人に話しているんですけど……)
龍之介の言葉に驚きながらも真琴が苦笑する。
「場所は駅」
「は?」
真琴が聞き返す。
「朝、駅で会った『天使様』に告白するんだ!!」
朝、駅、多くの人の面前。
「ちょ、ちょっと、そんなの恥ずかしくて……」
真琴は自分が朝の混み合う駅で皆の面前で龍之介に告白される場面を想像する。
(いや、無理無理無理無理っ!!! そんなの恥ずかしくて死んじゃうよ!!!)
「りゅ、龍之介さん、それはやっぱりよした方が……」
「よし、頑張るぞ!! マコも応援してくれな!!!」
真琴はもう止められなくなった同じ部屋に男を思い呆然とした。そして心のどこかで『まだ目を覚まさなくても良かったのでは?』等と思わず考えてしまった。




