57.私が龍之介さんを守ります。
(龍之介さん……)
結局真琴は一睡もしないまま龍之介の横で朝を迎えた。
窓から差し込む朝日。暗かった部屋が少しずつオレンジ色に染まり行く。真琴は未だ目覚めぬ龍之介の頬に手をやり小さく言う。
「朝ですよ。龍之介さん、そろそろ起きましょうか……」
ちょっと油断するとすぐに涙が流れる。一睡もしていないが不思議と眠気は感じない。
眠ったままの龍之介だが、その頬がまだ温かいことを確認でき真琴は少し安心する。
同時に今日の朝、龍之介の母親がやって来ることを思い出し男装マコへと変装を行う。龍之介はきっと男友達の所で暮らすと家族に伝えているはず。真琴は鏡を見ながら帽子から髪が出ていないかを確認した。
(酷い顔……)
眠気は感じないが、さすがに徹夜で見守っていたせいで顔は腫れてしまっており目も赤い。軽く水で顔を洗うとさっぱりした。
そして朝の回診、看護婦などがやって来て様子を確認した後、その人物が部屋へとやって来た。
「あら、あなたは?」
黒いウェーブのかかった長い髪。決して若くはないがスレンダーな体に色気十分の美しい女性。真琴は初めて会ったがすぐにそれが誰だか分かった。真琴が立ち上がって頭を下げて言う。
「は、初めまして。朝比奈真琴と言います。龍之介さんの友達です!」
龍之介の母親が驚いた顔で答える。
「あら、龍之介と一緒に暮らしている子よね? ご迷惑かけているようでごめんなさいね」
「いえ、そんなこと……」
真琴は慣れぬ相手に汗が噴き出る。母親が言う。
「でも龍之介からはお友達は男って聞いてたのに、聞き間違えだったのかな?」
(うっ)
鋭い。
桃香にも見破られたのだが、この母親は瞬時に見抜いた。母親はあまり気にしない様子で窓際まで歩き窓を開けながら尋ねる。
「龍之介はまだ起きないの?」
「ええ……」
話題が意識を取り戻さない彼の話になり暗い顔になる真琴。母親は懐からタバコを取り出し火をつけ、窓の外へふうと煙を吐く。
(えっ)
真琴はその光景が信じられなかった。
禁煙である病院で平然とタバコを吸っている。龍之介があまり家族のことを話したがらない理由が少し分かった気がする。
携帯灰皿にタバコを入れた母親がため息交じりに言う。
「しかしねえ、人の子の為に自分がこんなんになるなんてね」
窓を閉め、長い髪をかき上げながら母親が言う。その姿を見ながら真琴は思った。
(龍之介さんだから、優しい龍之介だから勝手に体が動いて助けちゃったんじゃないですか)
真琴がベッドで眠ったままの龍之介を見つめながら思う。
(私が龍之介さんを守ります……)
「あの……」
真琴が母親に話し掛ける。
「なに?」
「龍之介さんを今日大学病院へ転院させるつもりなんですが、いいでしょうか?」
「大学病院?」
母親が怪訝そうな顔でその言葉を繰り返す。
「はい。脳神経外科の偉い先生がいらっしゃる病院できっとそこなら龍之介さんも治るかと……」
「そんなお金、うちにはないわ」
母親が不満そうな顔で答える。他人の家の事情。それを勝手に決めて貰っては困ると言わんばかりだ。真琴が答える。
「お金なら心配しないでください。うちが全て出します」
「は?」
これには母親も驚く。どういう関係は知らないが、そのような偉い先生のいる大学病院へ行くなら結構な額が掛かるはず。
「どうして、あなたが?」
驚いた顔で尋ねる母親に真琴が答える。
「龍之介さんには言葉にできないほどお世話になっています。だからその恩をお返ししたいのです。先生のことなら大丈夫。うちのおばあちゃんの知り合いで……」
「ふーん……」
母親が腕を組んで唸る。
「あなた、龍之介のお友達?」
「はい」
「たかが友達がどうしてそんなことを?」
「お世話になったんです、とても」
「世話になったぐらいで、本当に払えるの? 転院のお金」
「はい、私が払う訳じゃないんですが……」
真琴の額に汗が滲み出る。初対面で分かる苦手な相手。それでも龍之介の為に必死に食らいついた。そこへ真琴を助ける声が響く。
「お金ならご心配なく」
「え?」
その聞き慣れた声を耳にし、真琴がドアの方へと目を向ける。
「おばあちゃん!!」
そこには綺麗に白い髪を纏めたキヨが立っていた。真琴が駆け寄りキヨに言う。
「おばあちゃん、もう体は大丈夫なの?」
キヨが真琴の顔に手をやり笑顔で答える。
「ええ、心配掛けたね。もう大丈夫」
「良かった……」
真琴はキヨに抱き着いて喜ぶ。大きな手術を終え退院したばかりのキヨ。以前より痩せた感はあるが元気そうである。キヨが龍之介の母親に言う。
「わたくしは朝比奈キヨと申します。この子の祖母でございます」
丁寧に頭を下げるキヨに、龍之介の母親も思わず頭を下げる。
「龍之介さんの転院に関する一切の費用はわたくしが持ちます。だからどうぞご心配なく」
「え、ええ。それは助かるわ……」
落ち着いた中にも強い圧があるキヨ。母親に一切の反論は許さない雰囲気を醸し出す。その時龍之介の母親のスマホが鳴る。
「あ、ちょっとごめんなさい……、もしもし、え、あ、うん。大丈夫……」
母親はそのまま部屋の隅へ行き小声で話し始める。そして何やら笑いながら会話をしてからキヨ達の元へ戻って来て言う。
「転院の件は分かったわ。龍之介の為になるなら好きにしていいから。あと、私これから警察とか保険のお話があるからこれで失礼しますね」
そう言って軽く頭を下げてそのまま部屋を出て行った。取り残されたふたり。呆然とする真琴にキヨが言う。
「人様の家庭には色々あるものよ。他人が口を挟むことではないわ」
「うん……」
それにしても酷い。酷過ぎる。
彼女が病室に来てから一度も龍之介に触れていないし、優しい言葉も掛けていない。そこに愛はなかった。
(私も両親とは全然会っていないけど、けど……)
少なからずこのように見捨てるような扱いはされていない。家を出るという我儘も聞いて貰っている。
「龍之介さん、早く起きてくださいな」
キヨがベッドに近寄り、そっとその布団を撫でながら言う。真琴はそんなキヨ背中、そしてベッドで横たわる龍之介を見ながら思う。
――龍之介さんの周りに、全然愛がないじゃないですか……
朝になり止まっていた涙が再び溢れ出す。
いつも明るく気丈な彼。その姿と今の彼の姿があまりにも違い過ぎて、小さな心の真琴では耐えきれなくなっていた。
「それから真琴……」
真琴の方を振り返ったキヨが顔を押さえて泣く彼女に気付く。キヨはそのまま歩み寄り、優しく真琴を抱きしめて言った。
「大丈夫。必ず龍之介さんは治るわ。あなたがそれを信じてあげなきゃ。ね」
「うん……」
キヨに抱かれて少し落ち着く真琴。キヨが言う。
「私はこれから転院の手続きに行ってくるから。龍之介さん、お願いね」
「分かったわ。大丈夫だから」
真琴は涙を拭くとキヨの言葉に頷いた。
「トラさんが来たらそっちもお願いね」
「あ、うん。分かった」
龍之介の祖父である虎次郎にも連絡を入れたキヨ。場所は遠いがこちらに向かっているそうだ。
(龍之介さん……)
キヨが出て行き、再び龍之介とふたりだけになった病室。
真琴が喋らないとエアコンの音だけが小さく響く静かな空間。空は晴れ、雲一つない快晴なのに真琴の心は全く晴れない。
「龍之介さん……」
しばらく間龍之介を見つめていた真琴が、再びその名前を口にする。そして布団の中から彼の手を取り出して両手で握り涙声で言う。
「あなたは私が守ります。龍之介さん……」
「……マコ」
(え?)
真琴は一瞬耳を疑った。
確かに今『マコ』と聞こえた。そしてその呼び方をするのはただひとり。
「龍之介さん!? 龍之介さん!!」
真琴は握っていた手を強く握り返し名前を呼ぶ。
「ううっ……」
動いた。
龍之介の手が、顔が少しだけ動いた。
「龍之介さん、龍之介さん!!!」
その必死に自分の名前を呼ぶ真琴の声は、しっかりと本人へ届いていた。
「……あれ、マコ?」
やっと聞けた龍之介の声。はっきりとした彼の声。
「龍之介さん、良かった……」
真琴は手を握ったままベッドに顔を埋めて涙を流す。
「マコ、ここは……?」
目を開けて天井を見つめながら龍之介が尋ねる。
ガバッ!!!
「え?」
横になっていた龍之介に、いきなり真琴が抱き着いた。
「龍之介さん、龍之介さん、うわ~ん、良かったよお……」
そして恥じらうことなく大声で泣いた。状況が分からず戸惑う龍之介が言う。
「ここって病院? 俺、そう言えば車に……」
徐々に蘇る事故の記憶。そして自分が病院にいることへと繋がる。
「マコが、看病してくれたんか?」
「う、ううっ……」
それに応えずずっと龍之介に抱き着いて涙する真琴。龍之介はそんな真琴の体を優しく撫でながら言う。
「ありがとな、マコ。でも、なんか夢を見たような気がする」
「……夢?」
涙で目を真っ赤にした真琴が顔を上げてその言葉を繰り返す。
「ああ、夢。『おさげの天使様』が夢に現れて抱き着いてくれたんだ」
(ん?)
真琴の脳裏に昨晩、龍之介の前で『女の真琴』になったことが思い出される。
「それでさ、なんか『天使様』が顔を真っ赤にして俺に抱き着きながら、ぶちゅ~ってキスしてくれたんだ」
「な、な、なに言ってるんですか!?」
それを聞き真っ赤になる真琴。
「で、今目が覚めて、てっきりまた『天使様』が抱き着いてくれているかと思ったんだけど、マコだったか……」
「はあ?」
がっかりそうな顔をする龍之介を真琴が睨む。
「なによそれ!? 私じゃ嫌だったんですか!!」
龍之介が困った顔で答える。
「いや、嫌って言うか、その、心配してくれたのは嬉しいんだけど、男に抱き着かれてもな……」
(あっ)
真琴はすっかり忘れていた、今自分が男だってことを。
慌てて龍之介から離れる真琴。被っていた帽子の位置を戻し、下を向いて顔を赤くする。
「マコ」
上半身を起こした龍之介が真琴に言う。
「ありがとな」
「あ、うん……」
最高の笑顔。
真琴はこの笑顔が見られるのならばどんなことでもできると思えた。




